第四十話 マッカーサーの提言
1942年6月5日
この日、全世界に衝撃が走る。
泥沼化、若しくは数か月以上は持つであろうと考えられていた中華民国が大日本帝国に対し傀儡化を認めた上で講和条約を締結、大日本帝国の完全な勝利とも言える内容に連合国の首脳たちは頭を抱えることとなった。
アメリカの介入により泥沼化させ工業力の差から長期的に逆転していくというプランは中華民国の降伏によって完全に瓦解した。
そしてあまりにも都合の良すぎる中国共産党の毛沢東の突然死、共産党から心臓発作という発表がされており、誰もが大日本帝国による工作を疑っていたがそれを裏付ける証拠は一切なかった為非難することも出来なかった。
大日本帝国は傀儡化され大東亜共栄圏へと加入した中国国民党軍を指揮下に吸収し軍閥や中国共産党残党との戦いを開始している。
つまり大日本帝国は中国という莫大な力を一瞬にして、なんの障壁もなく手に入れることに成功しており、これはアメリカの工業力で数年後に逆転を期する思惑をも揺るがす大事件であった。
当然日本国内は大歓喜に包まれており、国中が戦勝ムード、そして対連合軍戦争への更なる期待が軍部へは掛けられていた。
更に日本は想定外なことに手駒ではなく蒋介石を中華民国のトップに残し、国内の秩序維持に努めていた。
最も衝撃を受けていたのは当然アメリカであり、中国救援の為にインドに大部隊を移動させていただけに軍部では慌ただしく対策会議が開かれていた。
「なんで、なんでこんなことになったのだ・・・マーシャル!」
ルーズベルトの顔色は決して良くなく、焦りが誰から見ても感じ取れた。
そんなルーズベルトに糾弾されているのは作戦立案の責任者であるマーシャル、こちらもやはり顔色は良くない。
「あ、焦ったのか?我々は・・・。だけど、まさか蒋介石がこんな内容の条約を日本に対してこんなにも早く受け入れるなど全くの想定外ですよ・・・!」
この場にいる誰もがそう感じている、誰もがアメリカの支援を目の前にした中華民国が日本に対して降伏することなど考えもしなかった、それだけにマーシャルを責める人物はルーズベルト以外には存在しない。
「そもそも普通は日本からの講和の打診があったら我々に報告があるはず、それすらなく、通信途絶し直後にこの講和・・・そして毛沢東の死亡、かならず日本が裏で仕掛けているに違いない、違いないのに我々にそれを追求する術はないのか・・・。」
「インドには既に7万人近いアメリカ陸軍兵士が、更にイギリス軍、フランス軍を合わせると10万人近い兵士がいます。日本軍はビルマ全域で停止し、インドへの侵攻は行っておらず戦闘自体が停滞していますが・・・このまま日本軍の主力がインド戦線へ向かってきた場合戦力差はあれど日本軍相手には不足はありません。」
マーシャルの計算では中国戦線から解放された日本軍主力はインド戦線へと移動してくるはずであり、そうなった場合インド洋の制海権を喪失している今、日本軍へと本格的な反攻を行う術はないという結果が出ていた。
だがそれは反攻の話であり、日本軍からの侵攻を防ぐことは出来るとマーシャルは踏んでいた。
一大事に軍の上層部ほとんどが集まったこの場、フィリピンから撤退し反撃の糸口をつかもうと必死になっている男も顔を出していた。
ダグラス・マッカーサー、アメリカ陸軍大将であり、極東陸軍司令であるこの男はマーシャルの次に口を開く。
「ビルマのインフラは未熟も未熟、日本軍の主力が移動してきてもそれを賄うだけの補給線はまだ存在しないだろう。奴らもビルマからインドへの侵攻作戦を開始することは出来ないはずだ。それか餓死者を大量に出しながら行軍するか。」
マッカーサーの合いの手にマーシャルやほかの将校らはそうだそうだと相槌を打つ。
だが自身の意見に賛同してくれたと満足げのマーシャルに、マッカーサーは喝を入れる。
「マーシャル、溺れるな。」
「な、なに?」
「ビルマに主力を置いてその戦線から侵攻作戦を行えないというのなら我々ならどうする?!制海権は完全に自分たちのものであり、自由に海の上を行き来できる。そんな手段を自由に選べる立場で馬鹿正直に戦線正面からぶつかってくるとでも思っているのか?言ってしまえばインドに居る我々の兵士は全員人質とも言える、これを切り札に講和を打診すれば相手に対して譲歩を引き出すことなど容易いだろう。」
マッカーサーの言葉にその場にいる誰もがはっとさせられる、インド洋の制海権はとっくに喪失し、連合軍主力はビルマ戦線に張り付いている。
後方は完全にがら空きであり、日本軍からしたらセイロン島確保した今後方へと上陸作戦を行うことは容易いはずである。
「しかし、日本が本気で上陸してくるとしても、あの国の輸送能力はたかが知れているだろう、本格的な兵力を投入するのにどれだけの期間継続して船を動かし続ける必要があると思う?」
マーシャルの返しには海軍側のキングが答える。
「セイロン島とインド南海岸は100kmと離れていません。タイやマレー半島から直接上陸させれば最初の部隊から後続が上陸するまでのギャップはかかるが、セイロン島に一度戦力を蓄積してしまえばトリンコマリーの軍港から一日の間に一隻の輸送船でも数往復することができる。それが十隻も居れば一日の間に相当な数をインドに上陸させることは可能。最悪なことに奴らはパレンバンの油田を手に入れたせいでインド洋での活動に燃料による制約は殆どないと言っていい。偵察機の情報ではセイロン島には航空機の配備も進められているようだし、ここで日本軍が上陸してこないと考える方が無理があるのではないでしょうか。」
「じゃあどうしろというんだ、なにかこちらから仕掛けなければインドという地で連合軍全体が干上がってしまうんだぞ、海軍はセイロン島の奪還くらいできないのか!」
マーシャルが怒りの矛先をキングへと向けると、それを静止したのはルーズベルトやキングではなく身内のマッカーサーであった。
「マーシャル、落ち着くんだ。皆さんも一回落ち着きましょう。」
マッカーサーはトレードマークのパイプを取り出し、失礼というと吹かし始める。
それにつられ同席する将校らも皆葉巻や煙草を取り出し火をつける。
少し時間が経ち落ち着いたところでルーズベルトが口を開いた。
「マッカーサー、貴様はさっきからずっと落ち着いているな、こんな状況で。もとはと言えば極東司令の貴様は一番焦った方が良いはずだが、なんか策でもあるというのか?逆転する策が。フィリピンから逃げかえってきて、復讐の機会であるこのインドでの作戦をどうやって展開していくつもりだ?」
ルーズベルトにそう問われるとマッカーサーは煙を吹きながら変わらない口調でただ一言だけ言葉を発する。
「さっさと撤退しましょう、我々アメリカ陸軍だけでも。」
その瞬間、机をたたく音が響く、マーシャルが怒りの表情を浮かべ、ルーズベルトは呆気に取られている。
陸軍関係者らは皆理解できないという表情を浮かべており、逆に海軍側の将校らは納得の表情を見せている。
「何を言い出すと思えば貴様!さっさとインドに戻って日本軍を打ち破ってこないか!」
マーシャルがそう怒鳴るとあまりの声量に隣にいたスティムソンが必死に宥める。
「マッカーサー、どういうわけか説明してくれないか、何か理由はあるだろう。」
焦りを一切感じない口調にルーズベルトは流石になにか訳があるのだろうと尋ねる。
「勿論です。マーシャルが立案したインド方面からの中国救済、これは日本を中国と共闘し壊滅させ、戦後中国資本を我々の手にすることまでをも見据えた作戦でした。が、中国はあろうことか我々の活動開始を待たずして日本の下へと自ら入ってしまった。となれば我々はその時点で敗北しているのです、既にこの作戦は失敗、敗北。またしても我々は日本に一杯食わされてしまった。」
その発言に怒りを収めたマーシャルが再び横槍を入れる。
「・・・つまり戦闘すらせず失敗したのだから責任は貴様には無く、私にあると、そう言いたいのか?」
「違う!子供の喧嘩みたいな応酬はやめろ、マーシャル。私もこの結果を全く予想できていなかった。私がなぜここまで焦っていないのか、それはやらねばならないことを確信しているからであって、決して責任を感じていないからではない。私がいまやらなければならないのは、今この場にいるアメリカ軍を動かす皆さんを説得し、アメリカを正しい道に導くことだ。」
その言葉にはルーズベルトが反応を示す。
「どういうことだ?」
「いいですか?既にイギリスの息がかかり、独立運動も激化しつつあるインドなど我々が必要とするものではありません。それよりもインドに残した我々の兵士、これを種に日本に講和条約でも突き付けられたとしましょうか。我々は数万の自国兵士の命を失うことと引き換えに戦争継続を選ぶか、その命を救う代わりにアジアにおける大東亜共栄圏などという狂った夢物語を成就させるかを選択させられることとなる!この戦争を一度でも終わらせれば、中国、フィリピンにビルマやマレー、インドネシアを吸収した日本のアジアにおける権益を崩すことは二度と出来なくなる可能性もある。ならばその種を早急に回収せねばならない・・・イギリス領インドを見捨ててでも、我々は撤退し、日本から講和の種を奪い返し、この戦争を継続させ、そして増産体制を整え、戦力の逆転に成功してから我々は日本を叩き全てを奪い返す、これしかありません。大統領!ここで戦争を継続させることが、数十年、更には百年後にアメリカという国家が世界に対して覇権を成しているかに直結するのです!日本を叩く戦力が整うまで我々はヨーロッパに力を注ぎこめば良い、ドイツ、イタリアを片付けてからこの日本という敵を倒せば良い、我々連合国が勝者となれるのです。」
マッカーサーの描く未来はあまりにも的確で、ルーズベルトだけでなくマーシャルすらもただ黙り込んでしまう。
増産体制が整えば日本に対して逆転できるというのは海軍側は皆が考えていることであり、だからこそ講和を結ばせずに時間稼ぎをするという手段は理想的でありマッカーサーの説明の前から察することができるのであった。
「・・・ダンケルクすら優しく感じることになりそうだ。」
スティムソンがそう呟き、一息ついてルーズベルトが覚悟を決めたように言葉を発する。
「中国やビルマ、マレー、インドネシア、ここらはまだ妥協できたかもしれない。だが我々はすでにフィリピン、グアムやウェークなどの太平洋諸島を失っているのだ、この程度で講和などするわけには絶対にいかない。マーシャル!貴様にもチャンスをやる、即座にインド撤退作戦を立案し成功させよ、インドは一旦諦める!俺もイギリスを説得するのに大変な思いをするだろうがこれは俺の仕事だ、皆は皆の職務を果たせ、良いな!」
その場に居る全員が強い返事をする。
アメリカはマッカーサーの提言一つで首の皮一枚つながる、逆に日本はインドへ上陸し挟撃を行うという作戦をどれだけ早く決行することができるかが鍵となる。
日本軍は現在主力をキングの読み通りトリンコマリーへと集結させている最中である、アメリカの撤退が先か、日本による上陸が先か、間違いなくここが太平洋戦争のターニングポイントであった。
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