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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
2章:赤羽の英雄は主人公に向かない
46/222

1-4:だけど文系明智さん


9/2:一部、ギンチョと【ベリアル】に関する設定やセリフなどを修正しました。

9/2:千影の借金の融資元についての記述を若干変更しました。


 明智は窓際に立ち、窓を開けてタバコを吸いはじめる。「素面で話せる内容じゃない」などと弁明するので、家主としても承諾せざるをえない。


「早川くんさ、レトロウイルスについてどれくらい知ってる?」

「え、あー、えっと……」予想外の唐突すぎる質問に、数秒言葉に詰まる。「ダンジョンのアビリティとかのウイルスがそれですよね。免許試験でも多少勉強しましたけど……」

「そう。RNAで逆転写して、DNAを書き換える。ゲノムと遺伝子とDNAと染色体の違いはわかる?」

「聞けば思い出す的な……あうあう……」

「生物学の講義をするつもりはないから安心しな。人体のレシピ本――早川千影という人間を定義する一冊のレシピ本があるとする。染色体はその本そのもの、DNAはプリントされた文字、その文字を記すインクがアデニンやグアニンなどの塩基。ゲノムはレシピ本に記されたすべての内容で、遺伝子はレシピの中でたんぱく質の合成に関わる部分を言う。ここまではおk?」

「お、おk……」

「あたしも文系だからネットの受け売りだ、気にすんな。んで、レトロウイルスは細胞内のDNAに自分のRNAを逆転写――判子みたいに裏返して貼りつけて、DNAを上書きする。厳密には違うけど、寄生って言えばわかりやすいかもな。レシピが変わればつくられるものも変わる。つくられる料理――細胞が変異するわけだ」


 なんとか話についていこうとする。ていうか、ギンチョの話だよね?


「あたしらはダンジョン由来のレトロウイルスを身体にとり込んだ。身体を強靭にする、皮膚を金属状に硬化させる、視覚や聴覚を強化したり、身体そのものを別の生き物のように変化させる。あたしらの身体に入り込んだレトロウイルスがレシピを書き換えた結果だ。そして今、体内のレトロウイルスはすでに死滅している。ちょっと遠回りな話で悪いけど、これが入り口なんだ。ちゃんとついてきな」

「は、はう」

「普通はレトロウイルスが転写された部分はプロウイルス化して、自分(ウイルス)の分身を増殖させる機能もそこに埋め込まれる。細胞を宿主にして、自分の分身をどんどん産み出すわけだ。ところが、ダンジョンウイルスは必要な上書きが完了し、役割を終えるとそのまま体内で死滅する。これがどういう意味かわかる? 体内からウイルスをとり出すことができないってことだ。つまり、培養したり増殖させたりできない」

「なんと」


「仮に、あたしらの身体から【ベリアル】のウイルスを抽出することができたとしたら、どうなると思う? もしも培養と増殖が可能になれば、シリンジを手に入れなくても、いくらでもレベル1のプレイヤーを生み出すことができる。世の中が【ベリアル】持ちだらけで溢れ返ることになる。ダンジョン因子持ちの人限定だけどね」

「怖いっすね」

「さらに言うと、今の人類の科学力では、シリンジからウイルスをとり出すこともできない。あんな小さな金属製の筒自体が強力無比な生体認証の檻になっていることに加え、ウイルスを内包する液体が空気に触れるだけでウイルスを殺してしまう。嫌がらせにしても度がすぎるレベルだが、きっとあの宇宙人とダンジョンの意思? とかいうやつらのメッセージなんだろうな。ウイルスがほしけりゃ、横着しないでダンジョンに来いってさ」

「【ベリアル】以外のシリンジは外でも売買されてますけど」

「だとしても複製はできないし、流通量も限られてるからね。主な購買者は公式かプレイヤーか認可を受けた研究機関だし。D庁やIMODを介さない取引も法的に制限されてるし、使えるのは因子持ちの人間に限る。本格的に人類単位の社会問題になるのはまだ先の話だろう。あ、そのへんは君も詳しいか」

「うぐ……」


 この悪魔に弱味を握られることになった黒歴史的一件が思い起こされる。


 今から半年前、両親が経営している工場に多額の借金があることを、弟のメールで知った。援助を求める内容ではなかったが、それでも放ってはおけなかった。


 親子関係は十年以上も前に破綻していたから、家族愛とか大層なものではない。一人暮らしを始める際に金銭的に援助してもらったし、賃貸契約の保証人になってもらったりしたし。

 放っておいてもなんとなく寝覚めが悪いし、育ててもらった恩くらいは返しておこうという、その程度の動機だった。


 それでいくらかまとまった金を渡すことになった。

 とはいえ、装備を新調したばかりだったし、手元にそんな金もなく。なのでシリンジを手に入れて売ろうと思った。

 エリア8以降にこもってやっとの思いでゲットした【フェニックス】三本。アビリティやスキルだったらもっとよかったが、それでも資源課に持っていけばそこそこいい値段になるはずだった。


 ところが、ちょうど在庫が多く集まっていた時期で、買取価格のほうは思ったよりも伸びなかった。かき集めたアイテムの売却額を含めても目標額に二百万ほど届かず、またダンジョン内ヒッキーの生活かーとうんざりするところだった。


 そこで、ふと邪念が頭をよぎり、ネットでこっそり売ってみようと思った。


 通常のダンジョンアイテムと異なり、シリンジのダンジョン庁を介さない売買はダンジョン法違反となる。最悪の場合、免許停止となるおそれもある。

 でも、めったなことではバレないとネットに書いてあったし、傷薬代わりのドラッグシリンジが世間様に流出したところで大きな問題にはならないだろうし、まあちょっと注意されるくらいで済むんじゃないかな――と高をくくっていた。


 フリマユーザーの中で「この人なら悪用しなさそうだし、資源課より高値で買ってくれる」という人とコンタクトをとってみた。それが囮捜査だとはまったく気づかなかった。


 千影が最後の最後でビビったため、結局は未遂に終わったが、ときすでに遅し。確かにお咎めは受けずに済んだものの、今に至ってもこうしてちくちくいびられ続けている。以上、黒歴史の回想終わり。


 ちなみに、結局は実家にまとまった額を送ることができた。【フェニックス】を資源課で売り、足りないぶんはD庁のプレイヤー向け貸付金制度を利用した。歴一年ながらレベル3到達という実績が加味され、どうにか目標額をそろえることができた。


 それなのに、弟から「父さんも母さんも感謝しているっぽい」的なメッセージが来ただけで、二人からは直接その旨伝えられていない。求めてもないから別にいいんだけど。


 というわけで、自分の家庭の思った以上の複雑怪奇さを思い知らされたところで一件落着。以上、誰にともない報告終わり。


「まあ、そのへんの話はともかく、ダンジョンは人類にとって垂涎の遺伝子工学の宝庫でありながら、地球人類によるウイルスの応用は遅々として進んでいない、というのがまず前提だ」


 明智はタバコを携帯灰皿に落とし、また元の位置に座る。コーヒーを飲みかけてやめる。「まずいからやめとこっと」とわざわざ声にして言う。


「そんで、ここからが本題。地球上の金銀財宝全部集めてもまだ足りないほどの価値を持つダンジョンを、日本一国で占有することをよしとしない各先進国が、IMOD――国際ダンジョン管理機構を創設した」


 ギンチョと荒川で特訓していたときに見た、あのモダンな建物を思い出す。赤羽岩淵駅を最寄りとし、荒川の旧岩淵水門近くに建てられた、景観とは不釣り合いな最新施設。あれがIMODの管理するイワブチポータルだ。


 外国籍の人たちはダンジョン庁ではなくIMODの試験と規定でプレイヤーを取得し、イワブチポータルにあるエレベーターからダンジョンに進入する。日本のダンジョン法などの法律とIMODの発起により制定された国際ダンジョン法が複雑に絡み合い、めんどくさいことになっている、という噂はよく耳にする。


「君が戦った間抜けな殺し屋コンビ、あの二人はれっきとした米国籍でイワブチ組。それは想像ついただろうけど、犬マスクのほうも身元が割れた。彼女もイワブチ組だった」

「は?」

「これから彼女と会うことになってるけど、一緒に行く?」

「は?」



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