3-9:美女と焼き肉とライススプラッシュ
赤羽にダンジョンが現れてからというもの、当初は不動産価格が急激に下落し、人口は目に見えて減っていった。しかしダンジョン産業やプレイヤーに関わるビジネスなどがさかんになり、ダンジョンによる経済効果が想定を上回りはじめた頃、人々は目ざとく戻ってきて、その循環にうまくはまるような商売を始めた。
そんなこんなで、赤羽の飲み屋街はさらなる拡大と発展をとげることになった。
三番街近くにあった小学校が安全保障を理由に移転し、まるっと空いた土地は行政主導であっという間に建物と道路で埋まった。
空き家となった住宅や古いビルは区画整理の対象となり、飲食店やプレイヤー向け賃貸物件が激増した。昔ながらの飲み屋街の風情を惜しむ声もあったが、今やアジアでも屈指と称される経済的賑やかさにかき消されていった。以上、ウィキプリオより。
でも――さすがにこの狂騒はネット百科事典でも表現しつくせないだろう。
普通の背広の酔っ払い、プレイヤーらしき装備を着込んだ酔っ払い、あるいはいまいちカタギに見えない酔っ払い。スマホ片手に歩く若い女性グループ、ハメを外した外国人観光客。
そして、【トロール】【ブラウニー】【アシュラ】【ネコマタ】【ハヌマーン】などなど、多様な亜人タイプのプレイヤー。
ダンジョン産の得体の知れない肉を店先に吊り下げた露店、用途もわからないダンジョン由来素材の土産物屋。猫耳やタトゥーメイクで亜人を表現したコスプレお姉さんが店頭に立つ夜のお店。
あちこちで響く呼び込みの声。笑い声、嬌声、怒声。
夜の赤羽三番街は、まさに日本と海外とSFとファンタジーをごった煮にしたような混沌の坩堝へと変わっている。
「あわわ、はわわ」
平日から祭りでもやっているのかというくらいの盛況ぶり、混雑ぶり。必然的に、まあしかたなく、千影はギンチョと手をつないで歩くことになる。
指定された店は三番街のちょうど中心付近にあり、たどり着くまでにだいぶ汗だくになってしまう。
店に入って待ち合わせだと告げると、上の階の個室ブースに通される。「お疲れ様」と丹羽がほんのり赤い笑顔で迎えてくれる。すでにビールジョッキは半分減らされ、焼く前の肉がテーブルに並べられている。クリーチャーの死肉ではなく、ちゃんと地上の牛と豚だ。
「こんばんは、早川くん、ギンチョちゃん」
つーか私服エロいな。もっとビッt――じゃなくて派手めの服を想像していたのに、ぴったりした薄手のニットが逆にあざとくてエロい。いつもより化粧気があり、首元に金色のチェーンが覗いている。
「こんばんは、えーと、しょくいんのおねーさん」
「丹羽めぐみよ。めぐみおねーさんって呼んでね」
「はう、めぐみおねーさん。きょうはおまねきありがとうございます。やきにくはうまれてはじめてです」
「ああ、いいの、いいのよ! さあ隣に座って、思う存分独り占めさせて!」
ギンチョぷにぷにタイムが始まる。千影の挨拶も半分くらいしか聞こえていないようなので、熱くなった網に肉を並べておく。タン、カルビ。あとホルモン的なやつ? ハツ的なやつ?
焼き肉屋なんてめったに来たことがない。一人ではハードルが高すぎてまず来ないし、家族で行った記憶もない。去年にあの人たちと行ったのが初体験だったかもしれない。
いい感じに脂が落ちて香ばしいにおいがのぼりはじめると、ギンチョの目がきらきらと輝きだし、口の端から行儀の悪い露が垂れる。丹羽がタレと塩を小皿に用意する。
「はふふ、はふふ! うまし、カルビうまし! こんなにもしろいごはんがとまらない!」
「あの、ギンチョさん……食べ放題だからさ、いくらでもお肉出てくるからさ、お願いだから野菜も食べて……」
ラグビー部員のごとき勢いで肉を頬張るギンチョを、丹羽はうっとりと微笑ましく見つめている。「こないだのクエストのお礼」とかいう今宵の催しがいかにサランラップよりも薄っぺらい建前であるかを、千影は改めて認識する。わかってはいた、わかってはいたんだ。
「それにしても、今日はギンチョちゃんが無事に帰ってきてくれて、ほんとによかった。あ、もちろん早川くんもね」
「はい」
ついででもいい、社交辞令でもいい。それでもじゅうぶん救われる。
「初めてのダンジョンはどうだった? 楽しかった? やっぱり怖かったかな?」
ギンチョの箸が止まる。もぐもぐ咀嚼して、水で流し込む。そして黙り込む。
「え、どうしたの? なにかあったの?」
「えっと……まあ……最初だったので、やっぱり怖い思いとかも……」
「ああ、ごめんね。思い出させちゃったね。大丈夫よ、お肉食べて元気出して。ほら、ハラミは塩ダレがオススメよ。はい、あーん」
「むぐむぐ」
「まあ、みんな最初はそうよね。みんな初めてダンジョンに入ったときは、いきなり怖い思いして、怪我したりして。それで現実を知ってやめちゃう人もいるし、最悪戻ってこれない人だって……だから、ポータルに帰ってきたあなたを見たとき、私たちみんなすごくほっとしたのよ」
「…………」
「まだ九歳なのにすごいわ、大人だって簡単には真似できない。ほんとに偉い、すっごい勇気――」
「ぜんぜん、すごくないです!」
ギンチョがいきなり大声で励ましを遮り、丹羽がぎょっと目を丸くする。千影も多少びっくりするが、とりあえずテーブルにスプラッシュされた米粒をおしぼりで拭いておく。
「……いっぱいがんばろうっておもって、おにーさんについていって、あかいいしもみつけたけど……かいじゅーにたべられそうになって……こわくなって、にげてばっかりで……いっぱい、おにーさんのじゃましちゃって……」
思わずテーブルを拭く手が止まる。顔を上げると、ギンチョがこちらに泣きそうな顔を向けている。
「……ごめんなさい、おにーさん……」
千影は三秒くらい硬直し、顔を歪ませる。向かいの二人をぎょっとのけぞらせてしまう。自分ではわからないが、おそらくキモさではそこらのクリーチャーも及ばないレベルだと想像する。
どんな顔をしていいかわからなくなったのだ。「なんだよ、そんなこと気にしてたのか」と笑い飛ばすのか、「キッズがそんなん気にしなくていいって」と励ますのか。どちらもうまくできる自信がなかった。
「あ、いや、別に……役に立つなんてこれっぽっちも思ってなかったし……」
間違えた。二人がドン引きしている。わかってる、ごめんね。こういうところでミスるのがコミュショーなんですよ。
「いや、違う、そうじゃなくて……僕は別に気にしてないし……怖い目に遭わせちゃったのも、むしろ僕がもっと慎重にカバーしてればよかった話だし……」
この子のことを、チームの仲間だと思っていなかった。千影にとってはお客様のつもりだった。丁重にもてなす大事な荷物のようなものだった。それはしかたない。誰でもそう思うはずだ、あの経緯なら。
でも、ギンチョ自身はそうではなかったということか。遊び気分なんかではなく、この子なりに真面目に、本気でダンジョンに向き合っていた。なら――。
「ギンチョはさ、これからどうしたいのって」
「……え?」
「またダンジョンに行きたいって思ってる? 僕への迷惑とかは、今は考えなくていいから」
ギンチョはほとんど間を置かず、でもしかられた猫みたいにおずおずと、うなずく。
「おっかないクリーチャーがわんさかいて、もれなくみんなギンチョを食べたがってるけど」
「ちょっと、早川くん」
「暗かったり暑かったり寒かったりくさかったり、全然思ったのより楽しくない場所だと思うけど……それでもまだ、ダンジョンに行きたいって思える?」
「……いきたいです。おにーさんといっしょに」
最後の一言が、不意打ち気味に千影の胸を小突く。狼狽をごまかすために、トングで肉をせっせと網の上に並べる。
「じゃあ、まずは肉を食べて元気を出そう。明日からのことは、家に帰って話そう」
「はう!」
「肉もいいけど、バランスも考えて。野菜も食べるように……なぜ返事しない?」
この子がどうしてそこまでダンジョンにこだわるのか。それを訊くタイミングかもしれないが、丹羽の前ではやめておいたほうがいいだろう。
「ギンチョちゃん、じゃあお姉さんと約束しよっか」
「やくそく?」
「次、ダンジョンに行って、また無事に元気で帰ってくること。そしたらまた、一緒にお肉食べにいこ? 今度はしゃぶしゃぶかな、それともハンバーグがいいかな?」
「おにくだけのせかいならどこへでも」
「そんな異世界はない」
ていうか庁職員がプレイヤーに過度に干渉するのはルール違反になりそうだけど。まあそんな野暮なことは言わなくてもいいか。任務課を通さずに裏でクエストを依頼する職員もいるし、一緒に食事をするくらいなら問題にならないだろう。
そしてその場には保護者も同伴する。必ず呼ばれる。はずだよね?
「早川くんも約束。今度ギンチョちゃんを怖い目に遭わせようものなら、これまでの活動履歴を全部詳細に書いてもらうからね。レポート用紙百枚以上だからね」
それは約束とは言わない。一般的に脅迫と呼ばれている。
ああ、こいつといるとどんどん脅迫されるネタが増えていく。
当の本人はすっかり機嫌をとり戻し、千影が隅っこで育てていたホルモンまでその牙にかけようとしている。
3話ここまでです。お読みいただきありがとうございます。
よければブクマ、評価や感想などいただけると大変嬉しいです。
また、2話までの後書きに備忘録を追記しました。
拙作の不親切な用語の理解にお役立てください。
次からは4話です。よろしくお願いします。




