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3-2:青春の殴り合い①

 八月二十二日、火曜日。

 スペシャルイベント前日。


 ギンチョを直江に預け、テルコを中川に引き渡し、千影は一人でダンジョンに向かう。そういえばソロプレイはギンチョと出会う前以来だ、若干懐かしいような肩が軽いような。


 とはいえ、待ち合わせの人物のことを考えると気が重いし、そもそもダンジョンだから気を引き締めていかないといけない。左腰に帯びた〝相蝙蝠(あいこうもり)〟――新装備の小太刀二振りの柄を握り、気合を入れ直す。


 イベントフロア行きのエレベーターはだいぶ混雑している。人が多いのもあるが、それよりも公式による機材資材の搬入が優先されるせいで一般プレイヤーが待たされている形だ。


 明日のイベントに備えてか、急遽もう二つ洞穴のエレベーターホールが出現し、エレベーター五基が増設されている。ホール三つにエレベーター六基、一基あたり二十人乗り。それでも明日の推定参加者は五千人を超えるというので、今日の夜中あたりから前乗りの人たちで賑わうかもしれない。遅刻したらアウトで笑えない、明日は早めに集合しないと。


 ようやく久しぶりのヨフゥフロアに到着。


 湿度の低い心地いい風が吹いている。雲のないからっとした空に二つの太陽が照っている。見渡す限り広々とした平原――のはずが、あたりは以前とはすっかり様相が変わっている。


 ホールの周囲にはプロテクターやヘルメットで防御をかためたたくさんの人が慌ただしく動き回っている。D庁とIMOD、両組織の職員を主とした作業員だ。カートや小型のリフトカーなどで資材が運ばれ、テントや櫓、堀やバリケードなどが準備されている。電動立ち乗り二輪車で視察して回っているお偉いさんらしきスーツの男もいる。


 ダンジョン内は各国各組織の軍事介入なし、というのが国際的ルールになっている。今回投入されるのは駐屯地の警備同様、あくまで銃火器メインの「必要最小限の防衛力」のみだ。


 自国領土に他国他組織の軍事力を招き入れたくない日本と、自衛隊のダンジョン介入を快く思わないIMODと主要国。参加者の安全を確保しろという声と、参加者の自己責任を説く声。職員らを危険に晒すことへの懸念、多額の税金が投入されることへの疑念。要はいつものダンジョンにまつわる論争の延長だ。


 それでもこうして防衛拠点を設けてもらえるだけ、一プレイヤーとしてはありがたく思える。いざというとき逃げ込める場所があるというのは心強い。


 とはいえ、イベントの敵勢を前にどこまで安全かは未知数だ。今も近寄ってくる頂点捕食者相手に作業を邪魔されたりしていて、職員プレイヤーらしき人が武器を手にやつらを追い払っている。本番になればPワイバーンなどの空飛ぶクリーチャーもこのあたりまで出張ってくるかもしれない。


 ご苦労様ですー、気をつけて作業してくださいー、などと心の中で応援しつつ、千影は拠点をあとにする。指定された南西の森までは直線距離で一・五キロほど、それまでに何度か試し斬りの機会がありそうだ。頼むぞ、〝相蝙蝠〟。




「五分の遅刻です」


 森を少し進んだところで、木陰から声がする。そのあとで姿を現したのは、千影をここに呼び出した男――イリウスだ。格好や装備はエリア16のときと同じだがマスクはしていない。


「いや、つっても、森のどのへんって電話で言われなかったし……ちょっとさがしちゃったし……」


 そもそもどうやってこちらの番号を知ったのかを知りたい。訊くのが怖い気もするけど。


「そうでしたっけ、すみませんでした。というより、こんなところまでご、ご、ゴソクローいただいてありがとうございます」

「はい」

「ダンジョンほど密会と内緒話に適した場所はありません。私も明日のイベントの下見を兼ねてここへ来ています。というより、そうとでも理由をつけなければ抜け出せなかったのです。上層部はちょっとした騒ぎになっていましてね」

「あー……」

「やはりご存じなのですね」

「いやー……」


 やっぱその件か。バレんの早。IMOD経由だろうなーたぶん。完璧内通者おるやんけ。


「いったいどういうことでしょうね? エリア16で再会した彼女は、まぎれもなくケイトだった。それなのに……あのような欺瞞(フェイク)が通用すると、D庁――いや日本は本気で思っているのでしょうかね?」


 やっぱブッチしとけばよかったかもしれない。そうしたらそうしたで、イベント中「後ろからブスッとやられたらどうしよう?」とか余計な不安が増えたかもだけど。


「えっと、僕はよくわかんないですけど……()()()()()()()()()()()()()()()()()、ってことじゃないですかね……?」


 本当は「ざまあ!」とか言ってみたい気もするが、さすがに人でなしすぎるのと怖すぎるのとで自重する。


 今頃テルコは中川たちと諸々の調整をしているところだろうが、IMODに報告されたとおり、テルコはもはやチェーゴの干渉を受ける立場から解放されている。


 IMODもD庁の鑑定結果を支持している。つまり勝ちは決まっているのだ、九割方。


 それをもたらしてくれたのは、他ならぬノブだった。


「ていうか、逆に訊きたいんですけど……ここで僕に問いただしてるのって、イリウスさんの独断っていうか上からの指示とかじゃないですよね? 仲間に嘘ついて来たって言ってたし……」


 ずっと気になっていた。さんざん頭をひねってきた。


「あと、なんで……あんまり怒ってない感じなんですかね?」


 この人――イリウスの真意は、実はその言葉とは裏腹のところにあるのでは、と。


 イリウスはむしろ楽しげにさえ見える微笑みのまま、目を閉じて、ふーっと長く息を吐く。首を左右に倒してこきこき鳴らし、肩をぐるぐる回す。嫌な予感、と千影は思う。


「やりましょうか、早川さん」

「え?(やらないか?)」

「勝負して、勝ったらケイトをもらう、でしたっけ?」

「ああ……(忘れて)」


 腰に帯びたナイフに手を伸ばしかけ(同時に千影も小太刀の柄に手を伸ばし)、かと思えばその手を止め、そしていきなり地面を蹴る。一直線に距離を詰め、千影の顔面めがけてその手を伸ばす。


「んがっ!」


 千影は間一髪で横にかわし、倒れながら片手で側転して距離をとる。


「へえ、面白い動きですね。というか、お互い得物は抜かずにやりましょうか。明日の本番前に怪我でもしたらほ、ほ、ホンマツテントウですから」

「いや、さっき手、思いっきり目突き(ピース)してましたよね?」


 素手対素手。千影にとっては経験の少ない分野だ。


 低レベルのクリーチャー相手には【アザゼル】のみで渡り合うことも多かったが、素手での対人戦となると片手で数えられるくらいしかない。


 どう構えたらいいんだろう? クリーチャー相手にどう構えてたっけ? カマキリ拳法、鶴の一本足、天地魔闘の……違うか。


「バカにしてます?」

「いや……すんません……」


 意識しすぎてもアレなので、適当に胸元に手を掲げて構える。


 つーかなんでこんなことになってんの? うちの娘がほしけりゃ俺を倒せ的な? ガンコ親父とのゲンコツ勝負的な?

 やだわー、痛いの怖いし、怪我したくないし、さっきから口の中カラカラだし。


 にっと口の端を歪ませたイリウスが、今度はゆったりと歩いて距離を詰めてくる。

 前にやられたやつだ、気づいたら懐に入られている不思議歩法。


 千影は間合いを測りつつ、相手の足を注視する。ぐっと地面を踏み込んだ、その一瞬を逃さない。


 ほとんどモーションなく右の拳が伸びてくる。千影は頬すれすれにかわしつつかいくぐり、逆に左のフックで相手の肋骨を狙う――と、かわした拳が千影の襟を掴み、ぐいっと引っ張る。バランスが崩れたところにイリウスの膝が迫る。


 千影の鼻先を膝が捉える――寸前で腕を挟んでガード。そのまま肩でタックルして突き飛ばす。草の上を転がるイリウスは膝立ちになり、追撃がないのを見てゆっくり立ち上がる。


「早川さん……なにか変わりましたか?」

「まあ……ちょっとばっかり新しいアビリティを……」

「羨ましい……注射器一本で見違えるほど成長できる。年寄りにはショックな世界ですよ、ダンジョンというところは」


 イリウスの顔から笑みが消える。そして全体重をかけて一歩目を踏み出し、まっすぐに突進してくる。


 持てる技術とスピードを使った激しいラッシュ。ジャブ、フック、前蹴り、ローキック。耐衝撃性のジャージを着ていても、一発一発がびりびりと骨を震わせるほどに重い。これまでの老獪さをかなぐり捨てた別人のような猛攻だ。


 左ジャブが千影のこめかみを捉える。一瞬目がくらみ、次に控える右ストレートへの対応が遅れる。それでもかわそうと身をよじったのと同時に、そのイリウスの右腕が自分の左腰へと巻きつくように下ろされる。


 ここにきてフェイントかよ。

 刹那の合間、イリウスがにっと目を細めた、ように見える。


 右腕の反動を使ったハイキックが、体勢を崩した千影の側頭部へと吸い込まれていく。


 ――ぐにゃりと千影の上体が下に折れ、腰をひねりながらハイキックの下に潜る。


「おあっ!」


 適当なおたけびとともにカウンターの後ろ回し蹴り。イリウスの身体のどこかに当たる手応え。彼の身体が斜めに吹っ飛び、千影の身体のほうは一本足で立ったままかろうじてふんばる。


 背中から木の幹に激突し、「ぐっ」と苦痛にうめくイリウス。「ふぬぬっ」と背泳ぎのように腕をバタバタさせてどうにか元の体勢に戻る千影。ばっちり見られていたので若干赤面。


「……やってくれますね」


 ごほごほと咳き込みながらイリウスがそう言う。左脇腹を押さえている、さっきの一撃はそこに当たったらしい。


 千影としては一矢報いるまで何発ももらっているので、やったった感は大してない。そのカウンターも超まぐれだったのは内緒。


 ともあれ言えるのは、【ヤタガラス】の恩恵が半端ない。フェイントで崩された体勢からも自在に動けるし、力をこめた攻撃を返せる。アクロバティックな動作だけでなく、こういう変則的な相手にも対応できる安定感。アビリティって偉大。


「あの、まだやるんですか……?」

「そうですね……いい線行っていますが、この程度でケイトをもらった気になられても困りますしね」

「はう……(マジ言わなきゃよかった)」

「あまり時間もないのですが、もう少しだけ楽しみまs――」


 ギャギャギャ! と獣の声がイリウスの言葉を遮る。


 振り返るのと同時に、もう一度同じ声がする。耳障りな甲高い声。

 遠くから走ってくる影がある。黒い外殻で身をかためた二足歩行のトカゲ、通称Pラプトル――ザコ敵だが数が多い、しかも四方からやってくる。

 囲まれている。ちょっとピンチ。


「……前言撤回ですね」


 とナイフを抜きながらイリウス。


「なにがですか?」


 と刀を抜きながら千影。


「ダンジョンほど密会と内緒話の邪魔をされやすい場所はない、ということです」

「なるほど」

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