エピローグ-2
「――ああ、早川さん、ギンチョちゃん。おかえりなさい」
夕方すぎ、ダンジョンから帰るとアパートの前で中川が待っている。今日は日曜日だが、彼はきちんとシャツを着てネクタイを締めている。D庁職員あるある、休日出勤のようだ。
「ちょうどよかったです。僕もこのへんで用事がありまして、ちょっとテルコさんの件でお話をと思って立ち寄ってみました。お時間だいじょぶですか?」
他の人に聞かれても困る内容なので、続きはアパートの居間で話すことにする。ギンチョが麦茶を出すと、中川は一息で飲み干し、こふううう、と長めのため息を吐き出す。
「テルコさんとIMOD側に登録済みのケイトのデータとで、改めてDNA型鑑定が行なわれまして。その結果が今日出たところで」
「はい」
「結論から言いますと……不一致でした。二人は遺伝子上、別人ということになります」
千影とギンチョは顔を見合わせる。ギンチョにもその意味がなんとなく理解できているようだ。
「……やっぱり、【バフォメット】のせいで……?」
「その可能性が高そうですね。ダンジョン産のレトロウイルスで身体を改造しても、鑑定に使用される縦列反復配列の部分はほぼ変異しない、というのが定説になっています。ただし、直江さんの【フェンリル】のような肉体変異型のアビリティを投与した場合、何千人何万人に一人の確率でそれが起こってしまう。彼女がそのガチャを引いてしまったか、あるいはテルコさんが嘘をついているか、嘘はついていないけどケイトだと思い込んでしまっているか……」
「それかやっぱり、IMOD側のデータが間違ってるとか?」
「ゼロじゃないですけど、確かめるのは難しいですね」
「あるいは、ダンジョンウイルスに『本来……』とか『通常……』というのが通用しないという現実を見せつけられているか」
「そうですね、そういった可能性もあります。ただし、我々にはそれを検証する術がない。せめて、テルコさんのおっしゃっていた日本人男性が見つかればいいのですが……」
どうしてもそこがキーになるのか。テルコと一緒にいたという名なし男。
「探索課のほうで、テルコさんが潜伏……住んでいたというエリア16の洞穴を捜索したものの、彼女以外の人物を特定できるようなものは見当たらなかったようです。髪の毛や指紋といった証拠物も、時間が経っていることもあってか、ダンジョンバクテリアの作用でなかなか採取が難しく……」
「テルコはまだ……思い出せてないんですか……?」
「そうですね……その人物についてはなにも……」
こふー、と中川が一息つく。ギンチョは唇を噛んでしょんぼりしている。
「あ、じゃあ……日本人プレイヤーの顔写真を見せてみるとか? 本人の顔を見れば思い出すかも……って、何人ぶんになるかわかんないですけど……」
「三十歳未満と勝手に仮定しても、何千人といますからね。我々もその方法は検討中でして……彼女の体調が戻って、彼女の了承を得られればですが」
「テルコおねーさん、ぐあいわるいですか?」
ギンチョがちゃぶ台に身を乗り出す。中川は少しバツが悪そうにして、小さくうなずく。
「いろいろあって溜まっていた疲れが出たのか、熱を出して寝込んでいるところです。ああ、ご心配なく、医師の診断では数日安静にしていれば問題ないとのことですから。僕もあとで様子を見てきますよ」
ギンチョが泣きそうになっている。千影はその頭を撫でてやる。
「それで、相談なんですが……もしよければ、お二人にもテルコさんのお見舞いに行ってあげていただきたいなと。今日明日というわけにはいきませんが、体調が戻り次第……彼女も喜ぶと思いますし、あるいはお二人と話したほうが気持ちの整理もつくかもしれませんし」
「はう、いきます!」
「わかりました。連絡してもらえればすぐに」
中川もほっと胸を撫でおろし、麦茶をもう一杯飲む。帰り際、「今日、まだ仕事なんですよね……」と背中を丸めてつぶやく。公務員も大変だ。
「……しんぱいです、テルコおねーさん……」
また会えると聞いてギンチョの機嫌は多少よくなったものの、やっぱりそこが心配らしい。コロッケや回鍋肉が並ぶ千影作にしては上出来の夕食を前にしても、彼女の箸はいつもより進みが遅い。
「熱が出ただけなら、すぐによくなるよ」
「……ほんとですか?」
「だいじょぶだって、中川さんもついてるし。元気になったら会いにいこう。だからお前もちゃんとごはん食べて、夏風邪とかひかないようにしないとね」
「……はう! たべます! むしゃむしゃ!」
「ほれ、回鍋肉のピーマンも食え。ニラ玉のスープも僕にしてはいい感じだぞ。ビタミンとらないと夏バテするから、野菜もしっかり食って……なぜ返事しない?」
*
はい、今日も一日終わりました。お疲れ様でした。
千影は居間の電気を消し、寝袋に足を突っ込む。
あと半月もすれば八月も終わりか。学生だったら迫る学校再開に鬱になりそうな時期だ。同級生よりも一足先に社会人になって、あの長すぎる夏休みがいかに貴重な時間だったかを思い知っている。個人事業主って大変。
こうして自分の元に戻ってきた寝袋の快適さも思い知っている。いやいや、これに親しんでいる場合でもない。自分の家で寝袋で寝ている現状に慣れてはいけない。
いい加減、引っ越しを検討していかないと。自分の部屋がほしい。チビっことの同居生活も慣れてきたけど、何者にも脅かされない一人の空間がほしい。そしたら思いっきり○○○できるのに。×××だってできるのに。
たった数日離れていただけのこの寝袋。それが自分のところに戻ってきた夜、自分以外のにおいが、それも女の子のふわっとした感じのにおいがついていて、眠りにつくまで苦労したのを思い出す。
テルコは今頃、少なくとも寝袋よりも、あるいはあの隠れ家のかたそうなベッドよりも、多少まともな寝床についているのだろう。あとは早く元気になるように祈るだけだ。
そのあとはどこに行くんだろう?
彼女に帰る場所はあるんだろうか?
冷静に考えると、何日か一緒にすごしただけの行きずりの縁にすぎない。
なのに、あいつがガツガツくるから結構しゃべったし、賑やかだったし、楽しかった。一緒に死線もくぐり抜けたし、ずいぶん助けられた。危うくなにかするところだった。
ギンチョも同じだ。あのキレっぷりにドン引きしていたときもあったが、二人は自分以上に馬が合っていたと思う。一昨日の別れからずっと、テルコのことを気にかけている。
――だとしても、これ以上なにができる?
目を開ける。真っ暗な部屋で、彼女のシルエットが目の前に立っていたのを思い出す。
自分はどこまで行ってもヒーローなんかにはなれない。
凡人だ。ボンクラだ。そして、ただの十八歳のガキンチョだ。
自分の本来の仕事はダンジョンプレイヤーだとわかっている。
安全と日々の稼ぎこそすべてだとわかっている。
これ以上首を突っ込んでも、ほとんどメリットなんてないのはわかっている。
テルコも、〝ワーカー〟も、チェーゴも――。誰もが報われる道なんて、誰もが納得できる答えないんて、自分の力では到底叶わないとわかっている。
わかっている。それが現実だ。
だけど、だから――望むのは、あの子を救いたい、ただそれだけだ。
ただそれだけが、英雄でも最強でもない村人Aの、せめてもの希望だ。
「……このままで、いいわけあるか」
またな、と寂しげに笑った彼女の笑顔を見たから? それはある。
彼女に懐いていたギンチョのため? それもある。
来たるべきラウンド2のため? それは――なくはない。
けれど結局のところ、煎じ詰めていけば、プライドとか意地とかいう自己満足的な思いに行き当たる。
ちょっと笑いそうになる。もっと低燃費で低血圧な人種だと自覚していたのに。
それでも――なんだっけ? 一寸の虫にも五分の魂、ってやつか。
「村人Aにも、五分の魂」
寝袋からもぞもぞと這い出て、ボディーバッグを漁る。銀色の小箱の蓋を開け、銀色のシリンジを手にとる。
【ヤタガラス】――鈍く煌めく銀色の筒をしばらく見つめたあと、千影はそれを腕に当てる。
ぷしゅ、と空気の漏れる音、かすかにちくっとする。内包されたレトロウイルスが体内に注入されていく。ウイルスが身体中の血管をめぐり、遺伝子をつくり変えていく――。
目を閉じる。まぶたの裏に甦るのは、ボス男――テルコの教官の、あの熟達した戦闘技術だ。
防御をかいくぐって伸びてくるナイフ、視界から消えるかのような体捌き、こちらの動きを予測した回避動作――。
あのまま続けていたら、勝てたかどうかはわからない。
だけど――これが、【ヤタガラス】があれば。
僕はもう少し強くなれる。もう少し遠くに手を伸ばせるようになる。
「……意外と負けず嫌いなんだよな、僕は」
壁に背中をもたれる。左手でテレビのリモコンを握り、ぴゅっと振る動作をする。何度かそれを繰り返す。ぷちっと電源がついてしまって慌てて消す。
気づいたら日付が変わっている。
「――ここからだ」
ギンチョと正式にチームを組んで、ダンジョン探索を再開した日のように。
今日、もう一度ここからリスタートする。ギンチョと一緒に。
テルコのために、彼女をとり戻すために。
いつもどおり、ちまちまと、せこせこと。やれることをやるだけだ。
これで3章は終了です。ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
3章スタート時よりもたくさんの方にお読みいただけるようになってまいりました。また、いただいたレスポンスの一つ一つがなによりの励みになりました。
この場を借りて御礼申し上げます。
よろしければ感想、ブクマ、評価、レビューをいただけると、著者としても大変助かります。何卒よろしくお願いします。
本作は引き続き、4章「真夏の夜のヨフゥ」に入っていきます。
テルコの最後の記憶、ノブの行方、チェーゴの思惑、待ち受けるヨフゥフロアでの大冒険……千影とギンチョのさらなる戦いが始まる、的な?
ご期待いただけると幸いです。
引き続き、本作をよろしくお願いします。




