エピローグ-1
八月十三日、日曜日。テルコと別れて二日後。
「そっち行ったぞ、あんちゃん!」
中野の声がヨフゥの密林に響く。
ふっ、ふっ、と千影の呼吸が短くはずんでいる。狭い視野の中で色とりどりの木々が高速で通りすぎていく。
顔を庇いながら茂みに突っ込む。がささっと抜けた先で視界が開ける。同時に並走していた標的の姿を捉える。
もふもふの白毛を黒い外殻に変え、大きさをライオンサイズにした黒巨大ウサギ。D庁発表の公式名称はPラビット――頂点捕食者は頭文字Pと、外見上よく似た地球生物の名前をつなげた呼称で統一されている。そいつは血走った目で並走する千影を睨み、「シャシャシャ!」と警戒音を発する。
前後の足は丸太のように太く、背中の外殻はいっそうぶ厚く緑色になっている。一人ウサギとカメ、と奥山が形容していた。その奥山たちは後方にいるはずだが、まだ姿は見えない。
一気に加速し、敵の前に滑り込む。Pラビットが止まろうとして前足をぬかるんだ土の中に突っ込み、前につんのめる。
千影は左手に握った剣鉈を振ろうとするが、敵の背中側が垂直近くまで浮き上がっているため、甲羅が首の付け根まで隠していて剣鉈が通る隙間がない。
「らあっ!」
しかたなく頭のてっぺんに振り下ろす。ガツンッ、と案の定、刃はほんの少し外殻を削った程度ではじかれる。それでも衝撃が脳に届いたのか、黒ウサギが「ビイイッ!」と非難めいた声をあげる。
Pラビットは逃げ足が速くて外殻がかたく、プレイヤーを見かけると速攻でとんずらする。どこが頂点捕食者なのか。シリンジのドロップ事例があったらしく、イベントに参加するプレイヤーの注目を一身に集めるレアキャラだが、追いつめられると腹をくくって臨戦態勢になり、案外強かったりする。レベル3相当くらいはあるらしい。
正面から見ると、言われるほどウサギには似ていない。むしろ邪悪なカピバラという感じだ。前歯はサーベルタイガーみたく口からせり出していて、かなり鋭そうだ。あれで病院送りになったプレイヤーも結構いるらしい。
「おらぁっ! らぁっ!」
レベル的には格下だが、倒しきるまでにそれなりに時間がかかる。中野奥山コンビとギンチョの三人が到着するまでの三分間、かなり壮絶な泥仕合を繰り広げることになる。
千影は打ち疲れて息を切らし、しこたま剣鉈で殴られたPラビットは涙目でふらふらしている。外殻の破片がばらまかれ、体液がぼたぼたとこぼれている。動物愛護団体には到底見せられない光景だ。
「おう、あんちゃん。片づいたみたいだな」
どうにかとどめを刺したところで、三人がやってくる。千影は汗だく息も絶え絶え、地上なら熱中症不可避の激しい運動だった。
「ふう、いい仕事したぜ。なかなかの強敵だった」と金髪中野。
「ああ、俺らにはちょっと物足りなかったがな」と黒髪ロン毛奥山。通称〝赤羽の英雄〟。
ちなみに二人はPラビットの逃げ道を塞いだだけで、一太刀すら浴びせていない。別にいいけど。
およそ二カ月前、初対面時は二人ともまだレベル1だった。先月の赤羽テロ事件の際に活躍し、奥山は黒のエネヴォラにとどめを刺したことでレベル2になり、一躍赤羽の居酒屋界隈で時の人となった。中野もそれに負けじとダンジョンで研鑽を重ね、先日ようやく相棒に追いついたそうだ。
昨日LIMEで「一緒にコラボしない?」と誘いがあり、流れで一緒に狩りをすることになった。猫耳ヘッドギアをつけたギンチョをしこたま可愛がり、「オトモのいる狩り生活!」といつも以上にテンションを上げていた。そのおかげか知らないが、こうしてレアクリーチャーと遭遇し、無事に仕留めることができた。
認めるのは癪だけど、二人ともプレイヤーとして軌道に乗りつつある。充実している。いわゆるダン充。
「にしても、早川のあんちゃん、やっぱり調子悪そうだな」と中野。「てっきり一瞬でやっちまうかと思ったのに、だいぶガツガツやってたみたいだし」
「まあ、俺らというまばゆい新星に焦る気持ちもわかるけどさ」と奥山。「器ってもんの大きさは人それぞれじゃん? 自分のペースで行けばいいんじゃん?」
「はあ」
と、Pラビットの死骸がどろどろと融けはじめる。細胞自殺――レアアイテムドロップの兆候だ。
「うおっ! きたきた!」
「さあさあ、なにが出るかな!?」
中野奥山が興奮気味にかじりつく。千影とギンチョも目をくわっと開いて凝視する。
そして、地面に融けて広がっていく体液の中に、ぽつんと小箱が――銀色の小箱が現れる。
「きたぜ! アビリティだ!」
「あんちゃん! 早く見てくれよ!」
いつもなら大はしゃぎの千影だが、二人のほうにお株を奪われた感があって平静のままでいられている。おそるおそる箱を手にとり、裏返してみて――。
「……はは、あははははは……」
「あんちゃん……どした……?」
「ちょっと怖いんだけど……笑えるアビリティなん……?」
千影から小箱を受けとると、二人は裏側の説明文の英訳を試みる。おそろいのしかめっ面を見るに、二人の英語力は千影とそう変わらないようだ。
「……【ヤタガラス】。バランス感覚強化のアビリティです」
千影がレベル3になったのは去年の十月くらい。それからずっと、密かにこのアビリティを求めてきた。
【ケイロン】と同じレア度評価A。入手しづらいが、一部の中堅どころにとっては地味に重要なアビリティだ。
「はは、ここにきてかよ……」
この十カ月、それなりに危険な場所に足を踏み入れてきたし、強敵とも戦ってきた。だいぶ苦労してきたつもりだけど、なかなか縁がなかった。資源課のトレードや売買のリストでも見かけることはなかった。
それがここにきて、しかもこんなタイミングで。レアキャラとはいえザコを倒してドロップなんて。
ちくしょう、これだから赤羽ダンジョンって。
笑わずにはいられない。一人だったら声が涸れるまでさけんでムチウチになるまで頭をシェイクしているところだ。
あるいはこれも、【ザシキワラシ】のご加護だったりして――最近なにかいいことがあると、まずそんな風に考えてしまう。
「ぶへ、らんれふか?」
「あ、ごめん」
気づいたらうちの座敷わらしのほっぺたをぶにぶにしている。中野奥山が怪訝な顔をしているのは置いておいて。
「つーか、バランス感覚の強化って、地味だなあ」
「ネットで見たことある気がするけど、どんなだっけ?」
千影は二人に向けてがばっと頭を下げる。
「すいません……これ、【ヤタガラス】、僕がもらっていいですか?」
顔は見えないが、二人が戸惑っているのは伝わってくる。そのまま千影は言葉を続ける。
「今日の分け前、折半って約束ですけど……金額にしたら全然足んないかもですけど、他のアイテムとかは全部譲るんで。なんならあとでいくらか渡すんで……お願いします、僕にください」
いつもの千影なら、こんな風にゴリ押ししたりはしないだろう。もう少し遠回りに意思を伝えて、ちらちらと機嫌を窺いつつ交渉するだろう。
だけど――今回だけはなりふり構っていられない。
「僕、ちょっと……いろいろあって、少しでも早く強くなんなきゃいけなくて……」
なにがなんでもこれが必要だ。だから――。
「いやまあ、全然構わないけどさ……あんちゃんにはいろいろと世話になってるし」
「【ナマハゲ】ももらったしな……だけどあんちゃん、これ、そんないいやつなの?」
千影が頭を上げると、二人は言葉どおり、不服そうな顔はしていない。ただ不思議そうに銀色の小箱を眺めている。
「えっと……文字どおりバランス感覚が強化されて、乗り物酔いしなくなったり回転で目が回らなくなったり、足場が悪いところもだいじょぶになったり、激しい動きとか空中でも平衡感覚を保てたりとか……」
うーん、普通に正直に答えちゃったわ。
でもまあ、ぐぐればすぐわかるし。この人たちを騙してまでというのもアレだし。
「へー、要は【ベリアル】の補助みたいなもんか。地味だけど面白そうだな」
「あんちゃんがそこまでほしがるってことは、結構重要なやつなのかもな」
もう少しふっかけられるかな? しょうがないよな、それだけのアビリティだもん。
なんてことを思っていると、奥山がすっと小箱を差し出してくる。隣の中野はにかっと笑って親指を立てている。
「まあ、俺らは先週アビリティゲットしたばっかだしな。今回はあんちゃんの番だ」
「その代わり、さっきの約束忘れんなよ? 三番街で結構ツケ溜まっちゃってて、今日ひと稼ぎしなきゃだからさ」
「あ……ありがとうございます」
二カ月前に【ナマハゲ】を譲ったことが、こんな形で【ヤタガラス】になって還ってくるなんて。気前がいいというか義理がたいというか。
お調子者でめんどくさいことも多いイメージの二人だけど、この縁は意外と悪くないのかもしれない。
というわけで、ありがたく【ヤタガラス】を受けとる。ギンチョのほうを窺うと、「よかったですね」と彼女も嬉しそうにしてくれている。冷静になった千影は、この子に相談せずに決めてしまったことを少し反省する。
「あ、ちなみに……先週ゲットしたアビリティって……?」
「……………………………………」
「…………【ナマハゲ】…………」
「あっ……」
ギンチョが紙コップに水筒の麦茶を注ぎ、千影たちに振る舞ってくれる。塩分入りで身体にしみる。そうしてしばしの休憩タイム。
「にしてもさ、あんちゃんって左利きだったっけ?」
「つか、あの青っぽい高そうな武器、どうしたん?」
「えっと……今は左手の特訓中で……武器のほうは、メーカーに調整に出してて……」
「そっか、それで剣鉈か。レベル4には役不足? 力不足? な武器だけど、だからこそ使い手の真価が問われるってもんだよな」
「俺も剣鉈でエネヴォラとかいう人類最悪の敵、倒しちゃったじゃん? このままケンナターとして頂点まで登りつめようかなと思ってる。武器変えたら負けかなと思ってる」
「はあ」
ギンチョは近くに腰を下ろし、麦茶を飲んでいる。頭上を見つめ、ぽけっとしている。なんとなくだけど、なにを考えているのか想像がつく。今日の夕飯のこと――ではないと思う。
よっしゃ! と【ナマハゲ】コンビが立ち上がり、空になった紙コップを高々と掲げる。
「じゃあぼちぼち、次の獲物をさがしますか! 今度こそ敗北を知りたい!」
「俺らの勢いについてこい! 乗るしかないだろ、このビッグ・オクヤマウンテンに!」
「はあ」
密林エリアを出ると、遠くの平地に黒ワニことPカイマンがのしのし歩いているのを見かける。
イベント当初はそのタフさと凶暴さから中堅以上専門という扱いだったが、最近では攻略法――尻尾を切り落とすとかひっくり返して腹を狙うとか――がネットでも出回っているため、外殻や肉目当てで積極的に狩られるようになっている。
でも中野奥山は見なかったことにしている。「今日タイタンズどこ戦だっけ?」とか話しながらそっぽを向いている。
「じゃあ、ちょっと僕が……」
試しに千影がフルチャージ(二分)の【イグニス】を放ってみたところ、一撃で頭を吹っ飛ばしてしまう。凄惨な現場にドン引きしていた中野奥山だが、そいつが【フェニックス】をドロップして大喜び。千影としても多少借りを返せた形になってひと安心。
お互いに有意義な冒険になったところで、今日はここまで、お開きとなる。
3章エピローグ、もう一つ続きます。




