3-6:名なし子がいる
ダンジョン復帰、イベントフロア進入から一夜明けて、八月六日、日曜日。
ちょっとゆっくりめに起きて、ゆっくりめに朝食をとる。今日は昼頃にちょろっとダンジョンに向かう予定だ。ギンチョも寝て起きたらいつもの元気をとり戻していて、ごはんもしっかりおかわりする。もう大丈夫そうだ。
十一時を回った頃に呼び鈴が鳴る。アマゾフで買い物した憶えはないし、MHKは渋々引き落としで払っているし、新聞は断りまくって来なくなったし。嫌な予感がする。
「はう、おまちください!」
「あ、ギンチョ、出ないほうが……」
「ちーさん、るなおねーさんです」
「知ってた」
明智はいつものスーツ姿になっている。上着を脱いで「しっかし、毎日あっちーなあ」と襟元をぱたぱたする。千影としては日頃の恨みをこめて汗ばんだ首筋をエロい目で見ておく。
「で、用件だけどね」と明智。「昨日の名なし子の件、結果報告しようと思ってさ。イワブチポータル側でもコッパーちゃんを使ってみたんだけど」
「はあ(電話かLIMEでもいいのに)」
「デザイン的には一緒だけど、音声が英語になってた。ちなみにおへそのボタンで五十種類の言語に切り替えられるらしい」
「へえ(使わないけど)」
「んで。分析結果は、赤羽ポータル側と変わらなかった」
「は?」
「アビリティも一緒。名前とIDとスキルが不明なのも一緒。つまり、あの子がどこの誰かは結局わからなかった」
ギンチョが台所から冷えた麦茶を持ってくると、明智はそれをぐびぐびと一気に飲み干し、「かーっ、麦茶もいいけど麦酒飲みてえなあ!」と天井を仰ぐ。お疲れの様子だ。
「じゃあ……やっぱり正規のプレイヤーじゃないってことですかね……?」
ツアーの観光客や駐屯地のスタッフが逃げ出して、そのままダンジョン内定住者になったケースが過去にあったと聞いたことがある。最近はそういう話はほとんどないらしいが、彼女がまさにそのケースなのだろうか。
「ところがね、イワブチに連れてったところで、あの子が『なんとなくここに来たことがある気がする』って言いだしてね」
「ほえ?」
「そんで、向こうの職員がいろいろヒアリングしたんだけど、あの子はイワブチ側の勝手とかを知ってたり、断片的だけどプレイヤー免許にかかる知識なんかも持ってるみたいだった。IMOD所属のプレイヤーである可能性が高い、というのが向こうの見解だね」
「でも……IMOD側に登録がないんですよね?」
「公式側の手落ちじゃないとしたら……考えられるのは、ダンジョンウイルスによる遺伝子の変化だね。亜人化のアビリティなんかを取得した場合、ごくまれにだけどDNA型鑑定で別人とされる可能性があるみたい。それこそ何千人とか何万人に一人って確率で」
亜人――【フェンリル】の狼人間である直江や、【トロール】の巨人である福島のような肉体変異型のアビリティを取得した人だ。まあ、あれだけ身体が劇的に変われば、そのへんも多少変わってしまっても不思議はない気がする。
「いや、でも……見た感じ……」
???? のアビリティが肉体変異型だとしても、名なし子は外見上どの亜人にも見えなかった。ごく普通の人間のようにしか見えなかった。
「いやまあ、そこはあたしらの憶測も交じるし、あの子のプライバシーもあるしで、ちょっとまだなんともなんだけど……まあ、その可能性もあるっていうかね……」
明智にしてはちょっと歯切れが悪い。ギンチョは神妙な顔で話を聞いているが、果たしてどこまで理解できているか。
「まあ、まだ確定したわけじゃないけど、なんらかの理由で記憶を失ったプレイヤーって線が濃厚だってのがD庁とIMODの見解ってことになってる。ダンジョンウイルスなりクリーチャーに襲われたショックなり……過去に例がないらしいからわからないけどね」
「はあ」
確かに、レベル3という現状も考えると、プレイヤーとしてきちんと活動していた可能性のほうが高い気がする。ダンジョン内定住者では(ダンジョン因子持ちだとしても)そこに至るまでに生き延びられる確率は低いだろうし。
「つーことで、彼女の身柄は昨日のうちにIMOD預かりってことになった。向こうはだいぶ渋ってたけどね」
「じゃあ……今後は……?」
「さあね。記憶が戻るように治療をするとか、顔写真の画像照合で身元を調べるとかするんじゃないかね。もうあたしらの手を離れた案件だから」
そうか。じゃあ、もう彼女に会うこともなさそうだ。
脳裏に浮かぶ彼女の姿は、なぜかいわゆる「一糸まとわぬ」的になっている。おかしい、裸だったのは最初だけなのに。そのあとの会話のシーンもポータルでのコッパーちゃんとの対峙シーンもなぜか肌が露出された状態で再生される。鼻の奥がツーンとしてくるので必死で口呼吸。
「おい、キモ顔童貞マン」
「は、はう(バレた?)」
「あたしがこの話をしに来たのは、あんたらの口封じ……じゃなかった、口止めのためだから」
「どえらい間違いやめて」
「あの名なし子の件、もうあんたらと関わることもないだろうけど、他言無用ってことにしといてほしい。理由は……まあ、時期が時期だけに、いろいろと公式も敏感になってるって言えば伝わるだろ?」
ああ、なるほど。
先日の赤羽テロ事件を受けて、ダンジョン界隈は結構な逆風に晒されている。IMODからするととばっちりもいいところだが、これ以上無用なトラブルや醜聞はごめんだということだろう。
「つーわけで、真面目な公僕は仕事に戻るとするよ。あんたら、今日もイベントフロア行くなら気をつけなよ。ダンジョンニュースにも出てたけど、昨日だけで何十人って人が黒い怪獣どもの餌食になっちまったみたいだからな」
「はわわ……」
「はわわ……」
千影とギンチョ、仲よくビビる。こういうところは気が合う新米コンビ。
「公式のマップもまだまだ全然できてないし、フロアのどこになにが待ってるかもわからない。そのビビリはあんたらの長所なんだから、他の勇敢なやつらみたく無理して遠くまで行ったりしないで、近場でこつこつせこせこ稼ぐとこから始めなよ」
なんかまたしてもフラグが立った気もするけど、そんなものは絶対に存在しないから気にしない。気にしないったら気にしない。
*
おにぎりとおかずを用意して(リュックにこっそり野菜ジュースも忍ばせて)、十三時すぎに家を出る。
ポータルは昨日ほどは混雑しておらず、三十分程度でエレベーターに乗れる。真夏すぎる地上とは対照的な、エリア1の涼しい風が出迎えてくれる。
「じゃあ、今日もイベントフロアに行ってみようか」
「はう!」
「明智さんも言ってたけど、僕らは急造チームで連携も慣れてないし、フロアの情報もまだほとんど入ってない。エレベーターの洞穴付近でせこせこやろう」
「せこせこ! とくいぶんや!」
「改めて大声で言わなくていいよ。周りに人がいるよ」
というわけで、イベントフロア行きのエレベーターをめざして〝ハジマリ平原〟をすたこら歩きはじめる。
やはり昨日ほどではないにしろ、見渡せる範囲にプレイヤーの姿が点々としている。すれ違うときに挨拶をされて「どうも……」と目を合わせずに返事したり、ギンチョが「チビっこ! がんばって!」などと声をかけられたりする。ちょびちょび精神的スタミナが削れていく。
「…………あれ?」
右手の緩い勾配を下った先に小川があり、そこにしゃがみこんでもぞもぞしている人がいる。若い女性、後ろに結った赤茶色の髪に見憶えがある。
「ギンチョさ、あれ……」
「きのうのおねーさんです」
「だよね」
ギンチョがそう言うなら間違いないだろう。あれは昨日の名なし子だ。
ていうか――なんでダンジョンにいるの? しかも一人で。IMOD預かりになったんじゃないの? なんで小川のほとりでピクニックみたいなことしてんの?
などと疑問が頭をよぎっているうちに、チビっこがとことこと彼女のほうに近づいていってしまう。ああ、チョトマテチョトマテ、ギンチョさん。
時系列的には前話「ニロ生~」の前日(日付的には前々日)になります。
本話:八月六日
ニロ生:八月七日深夜(日付的には八月八日)




