第636話 トロントに現れたアビゲイルの母親
核の脅威を退けた後に、カナダ軍はドローンを使用して、トロントの市街地の確認作業を行っていた。それが指令室のパネルに映しだされ、軍人部隊が一軒一軒の建物を調べる状況が、映しだされている。
それを見たタケルが言う。
「まだパンデミックが始まったばかりだったから、生存者が大勢いるな」
クキが頷く。
「ゾンビ破壊薬のおかげでセーフティエリアが出来たからな、それにビスク製剤のおかげで発症しない」
それを聞いた、諜報部のリーダーが言った。
「本当に助かった。博士がいなければ、もっと多くの人が死んでいた」
軍人がそれに答える。
「さらには、感染の拡大させないような早い対応が、政府から出されましたからね。これだけ早い対応が出来たのは不思議ですが、家から出なかった人らが大勢いたようです」
「なるほど」
「それでも……被害は甚大ですが」
「彼らのおかげだ。早い段階で首相に伝えてくれた」
「そうだったのですね」
軍人たちが俺達に礼をする。パネルには、救出される家族が映し出されていた。
「核で焼かれなくてよかった」
「ええ」
次々に変わっていくパネルの映像だが、あるパネルが映し出された時だった。
アビゲイルが突然声を上げる。
「えっ!」
「どうした?」
「いや……まさか」
エイブラハムが尋ねる。
「どうしたんじゃ?」
「いま、母さんが映ったような気がした……」
「なんじゃと? そんな訳はない。あの子は、もう死んでしもうたはず」
諜報部のリーダーが言う。
「どのパネルです?」
「ここに移った映像です」
アビゲイルが指をさすと、軍人に向かって諜報部のリーダーが聞く。
「ここは?」
「ロジャーズ・センターですね」
「球場か……。もっと、映像を追えないだろうか?」
「待ってください」
そこには、多くの市民が集められており、食事を与えているようだった。次々にパネルが映し出され、ある場面に来た時にアビゲイルが指さした。
「ま! 間違いない! 母さんだわ!」
エイブラハムも、真剣なまなざしで食い入るように見る。
「そんな……バカな……なんで、こんな所に……死んだはずでは」
「間違いないわ」
それを聞いて、皆が騒然とする。
「博士のお母様?」
「はい……この人です」
中年から初老にかけての女が、毛布にくるまって炊き出しのスープを手にしている。だが飲みもせず、ボーっと固まっているようだ。それを見てアビゲイルもエイブラハムも、動けなくなってしまった。
クキが聞き直す。
「他人の空似では?」
「違う! あの顔の火傷の跡! 私が子供の頃に庇って油をかぶって!」
ミオが、エイブラハムに聞く。
「先生。本当ですか?」
「間違いない……、わしの治療の跡がある……」
それに反応し、諜報部員のリーダーが軍人に言った。
「彼女を、あの人を保護してくれ。すぐに、面会する必要がある!」
「イエッサー」
見ている映像では、その女が軍人に声をかけられていた。うつろな目のその女は、軍人に連れられて、人ごみの中から連れていかれるところだった。
「そんな……なんで……」
それに、ミオが言う。
「会ってみなくちゃ! とにかく、会ってお話しましょう!」
「え、ええ」
そこで軍人が言う。
「少し時間がかかります。トロントはまだロックダウンの状況ですし、危険が潜んでる場合もあります。慎重に慎重を期すためにも、もう少し時間を頂かないと」
ミオが首を振る。
「じゃあ、こちらから行きましょうよ」
「でも……」
アビゲイルが戸惑いの声を上げる中で、諜報部員のリーダーが軍人に言う。
「運送用のバスを用意してもらえないだろうか」
「もちろんです。カナダの恩人ですから」
アビゲイルが頭を下げた。
「ありがとうございます」
俺達が、指令部を抜け外で待っていると、一台のバスが乗りつけられた。俺達が、それに乗り込んで、トロント市街地の方向へと向かう。既に多くの人が避難している為、動く車も無くスムーズに進んだ。
「人達は?」
「郊外に避難させています。まもなく、バリケードに到着します」
俺達の乗バスが、軍人が立ち並ぶバリケードに到着すると、ゲートが開きバスがゆっくり進んでいく。まだゾンビの残骸があちこちに転がっており、軍人たちはそれらをブルドーザーで寄せて、ゾンビ破壊薬を振りかけている。
アビゲイルが言った。
「あの使い方はもったいないかもしれません。一度振りかけたら、そこから揮発して空気中に漂います。行動停止した者には、もう必要ありません」
「わかりました」
バスを止めて、扉を開けた軍人が軍人を呼んでそれを伝えた。
「助かりました」
「数が限られていますので、効率的に使うといいと思います」
「流石です」
しばらく進むと、高い塔が見えて来て軍人が言う。
「あのCNタワーの先に、球場があります」
軍の車両が止まっている場所が見えてきて、その前に停まり俺達はバスを降ろされた。そして軍人が、そこにいた軍の人間に言う。
「先ほど確保した、初老の女性に会いに来たんだが」
「あ。聞いております!」
そして軍人たちが道を開け、先に進んでいく。その先では、次々に救出された人間達が連れて来られ、ビスク製剤を打たれていた。
「体調の悪い人から優先に」
「あなたは、本当に素晴らしい方です。カナダ市民が大勢助かりました」
「いえ。出来ることをやったまでです」
「カナダを救ってくれた。本当にありがとう」
先に進んでいくとテントが現れ、前にいる軍人が敬礼をした。
「いま! お連れ致します!」
アビゲイルとエイブラハムが、不安そうな顔をしており、ミオがアビゲイルの背中をさすっている。
むっ?
テントの中から、年配の女が連れ出された。
「母さん!」
だが、俺はアビゲイルを押さえた。
「まて」
「えっ?」
俺は、そのまま言うか迷った。だが、この状況をどうしても収めねばならなかった。
「母親ではない」
「い、いや。間違いないわ! 母さん! 私よ!」
仲間達も、俺の深刻な空気にピリついていた。
ミオが言う。
「ヒカル。どういう事?」
「……あれは、試験体だ」
それを聞いてアビゲイルが、悲痛な顔を俺に向けた。
「し、試験体……」
「間違いない……これは……罠だ」
その事を、アビゲイルに告げた瞬間だった。
「ぐあ!」
連れてきた軍人の腹から、槍のようなものが突き出ていた。
「えっ……」
隣の軍人が目を見開き、俺がすぐに大きな声で叫ぶ。
「その女から離れろ!!!」
だが、軍人たちはすぐに動く事が出来ずに、一斉にそこにいた全員が貫かれてしまった。
だが俺は、その……元アビゲイルの母親に対して、すぐに刃を向ける事が出来なかった。
「ぐ、ぎぎ」
アビゲイルの母親だった女の腕から、何本もの槍が突き出ており、それが軍人たちを襲っていたのだ。貫かれた軍人たちは空中に浮いており、それに向けて周りの軍人が銃を構える。
「撃て撃て撃て!」
パンパンパン!
次々に胴体に被弾するが、試験体は全く動じない。
ブン! と槍を振り払うようにし、貫かれた軍人たちが周辺にばら撒かれる。
銃撃の音が鳴りやまぬ中、アビゲイルを庇うように前に立ち、刀を構えてどうするかを考えていた。
「こんな罠に……、皆を危険にさらしてしまった」
アビゲイルの言葉に、俺が答える。
「アビゲイルに非は全くない、こんなふざけた罠を仕掛けた奴が全ての悪だ」
「……母さんの体まで……」
隣では、エイブラハムが、ぺたりと尻餅をついて泣いていた。
「あの子が……あの優しかった……」
アビゲイルが、俺の隣りに立って言う。
「母さん! ごめんね!」
そう叫んだ一瞬。俺の、強化した聴覚だけに聞こえてきた。
「コロ……シテ……アビィ……コロ……シ……テ……」
こんな非道な事があるだろうか? 俺は冷静さを失いかけていた。もう一人、聞こえていたツバサがアビゲイルに伝える。
「……博士……殺してほしいって言ってる」
「うう……母さん」
「アビゲイルに会った事で、微かな人格が呼び覚まされ押さえているんだ。だが……もう限界だ」
刺されて転がっていた軍人たちが、もぞもぞと動き出した。それがずるりと立ち上がると、異常に筋肉が膨れ上がって来る。
「ゾンビ破壊薬が……効かない?」
俺の気配感知では、ゾンビでなくそいつらも試験体として生まれ変わっていた。アビゲイルの母親は、どうやら試験体製造機に作り変えられたようだった。いまにも、飛びかかろうかという状況で、俺は最後にもう一度アビゲイルに聞くのだった。




