第548話 薄氷の上の静謐
俺を送り出すために立ち上がっていたオリバーが、深いため息をついてソファーに腰を沈めた。頭に乗せていた氷嚢を落とし、じっとテレビの映像から目を放せないでいる。やってきたボディガードも一緒にその映像を眺めているが、サングラスをしているので表情はよくわからない。
ニュースではラスベガスで謎の暴動が起きており、州警察が鎮圧をしていると言っていた。だが映像から見る限りでも、それがただの暴動でないことは明らかだった。
ブーっと俺のスマホが鳴る。
「オオモリか?」
「ラスベガスが……」
「テレビで見ている」
「そうですか」
「直ぐに戻る」
「はい」
スマートフォンを切ってポケットにしまいこみ、オリバーに言う。
「これは、ニューオーリンズやフォートリバティと同じ状態だ」
「あれは、テロでも暴動でもなく……ゾンビなのかい?」
「そうだ」
オリバーとボディガードは目を合わせた。そこで俺がボディガードに忠告する。
「ここにあの波が来たら、迷わず渡した銃弾を使え」
「直ぐに来る可能性があるのか?」
「噛まれた奴が、車に乗って逃げて来る可能性がある。ここで発症すれば、そのうち広がる」
オリバーが言う。
「ラスベガスからここまでは六時間。だが、逃げ惑う人間がいるとすれば、渋滞に巻き込まれ直ぐにはこれまい」
「手を打つ必要がある」
するとオリバーがスマートフォンを取り出して、番号を押し始める。
「どうするんだオリバー?」
「古い友人に連絡する」
そして数コールの後に、相手が電話に出た。オリバーは俺にも聞こえるようにして、スピーカーでスマートフォンを差し出しながら話す。
「久しぶりだなオリバー」
「将軍。元気かね」
「電話の理由は分かっているよ」
「うむ。だが、事は深刻だ。ラスベガスを急ぎ隔離する必要があるようだぞ」
「そうなのか? いま、州兵が向かっている。あれの原因を知っているのか?」
「例の会社が開発した薬が関係しているらしい」
「……なるほどな。こちらも慎重に動かねば、誰がどちら側についているかが分からん」
「軍内部もか?」
「そうだ。助けが必要ならヘリを出すが?」
「その時は連絡させてもらうさ。それより、一刻も早く手を打ってくれ」
「分かっている。では忙しいので」
「ああ」
そう言って電話が切れる。どうやらオリバーは、軍隊の上層部にも顔が利くらしい。
そしてオリバーが言う。
「すまん。ラッキーボーイ、もう少し話を」
「ああ」
「これからどうなるね?」
「放っておけばアメリカは終わる。手を打たねば、日本や中東の二の舞だろう」
「軍が介入するようだが?」
「ファーマー社のあれは、そんなに優しくはない」
「そうか……。ならどうすれば……」
「中東では、ゾンビ破壊薬をまき散らしてゾンビを止めた。一刻も早く、アビゲイル博士にゾンビ破壊薬を作らせる事だな」
「わかった」
「俺達もすぐに動かねば」
するとオリバーが、自分のデスクから何かを持ってくる。
「こちらが用意したスマートフォンだ。これで連絡をさせてくれ」
「持って行こう」
俺はそれを受け取り、そのままオリバーの屋敷を出た。だが念のため、自分のスマートフォンを取り出してオオモリにつなげる。
「ヘイ、オオモリ」
「はい」
「オリバーに連絡用のスマートフォンを渡された。どうすればいい?」
「合流しましょう。これから地図に合流地点を流しますので、それに従ってください」
「わかった」
すると俺のいる位置が画面に移り、目的の位置までのルートが記された。俺はその道に沿って歩き出し、すぐにその店を見つけた。オオモリの指示通りに行くと、店先が黄色と白の縞々模様になっているカフェが出てくる。
店に入ると食い物の匂いがして来て、カウンターで注文した。だがどれがどれか分からずに、結局はハンバーガーとポテトとコーラを頼む。ポケットに入っている百ドル札を出して釣りをもらうと、席に座って待っててくれと言われる。俺は分かりやすいように、道路沿いのテラスに出て腰を下ろした。
すぐ聴覚強化をし、必要な情報だけを選び周囲の会話に耳を傾ける。
「みたか?」
「ああ、暴動だってな」
「ベガスがあんなことになるなんてね」
「州警察だけじゃなく、軍も出動しているらしいぜ」
「そんなに大変な事になってるなんてな」
なるほど、どうやら他人事だと思っているらしい。ここは現状平和なので、あの暴動がここまで伝わるとは思っていないのだ。そこにウェイトレスが料理を運んで来てくれた。
「おまたせしました」
「街は平和なようだが」
「あなたはヨーロッパの人?」
咄嗟に嘘をつく。
「……そうだ」
「このあたりはアメリカでも特に安全な土地なのよ」
「なるほどな」
「ねえ、あなたすっごくかっこいいけど、もしかしたらヨーロッパの俳優さんとか、アーティストだったりしないよね?」
「いや、俺は勇者だ」
「?」
だが俺はじっとウェイトレスを見つめて、ふと声をかけてしまう。
「いいか?」
「ええ」
「万が一、誰かが暴れ出したり、突然人が倒れ始めたら、介抱などせずに仕事もほっぽり出して走って逃げろ。出来るだけ安全な場所に、例えばビルの屋上に逃げるんだ」
「なーにいってるの? スパイさんとかじゃないよね?」
「違う。勇者だ」
「ル〇・ヴィ〇ンなんか着てるのに、変な事言って」
「忠告はした」
「ごゆっくりー」
そう言ってウェイトレスは店内に入って行った。どうもアメリカ人というのは陽気らしく、気さくに話しかけて来る奴が多いらしい。あと何処に行っても、このハンバーガーというのが置いてある気がする。
それを一口頬張ったところで、サングラスをかけたオオモリとタケルがやってきた。
「お疲れ様です。ヒカルさん」
「ああ」
「うまそうだな! 俺も頼んでくっぞ」
「好きにしろ」
するとオオモリがタケルに慌てて言う。
「あ、ぼ、僕のも」
「あーん? てめえ、俺をパシリにしようってのか?」
「ち、違います! じゃあいいです!」
「うそだよ! 俺のと同じでいいか?」
「はい」
そうして、タケルは店内に入って行き、オオモリが俺の隣りに座った。
「これだ」
オリバーからもらったスマホを見せると、オオモリが自分の鞄からパソコンを取り出してつなげる。パチパチと捜査していると、オオモリが俺に言う。
「やっぱり。追跡機能がありました」
「疑っているという事か?」
「どうでしょう? 緊急の時に近くに行くためかもしれませんし」
「解除しろ」
「はい」
そうしてオオモリが操作をしているところに、タケルが戻ってきた。そこで待っていると、またさっきのウェイトレスがやって来る。
「イケメンのヨーロッパ人の次は、イケメンのアジア人と……」
オオモリを見て話すのを止めた。それを察して、オオモリがウェイトレスに言う。
「いいんですよ。正直に言ってくれて」
「あなた、少しやせた方がいいわ」
「大きなお世話です」
「あら、レディの忠告は聞くものよ」
「仕事が終わったら、ジムでも通いますよ!」
「レスポンスいいのね。ちょっと好きになりそう」
「……それも大きなお世話です」
オオモリがむくれたように言い返し、ウェイトレスはくすっと笑う。
タケルが、俺の隣に座るオオモリに目をやる。
「……お前、意外と人気あんじゃないのか?」
「からかわないでくださいよ……」
「いや、案外、アメリカでも通用する顔なんじゃねえの?」
「本気で言ってます?」
「しらね」
二人のやりとりを見てふっと笑いながら、俺は目の前のコーラを一口飲む。
だが、オオモリがウェイトレスの顔をみていった。
「万が一、この辺で人が暴れ出したら一目散に逃げてくださいね」
「あなたまでそう言うの?」
「あなたみたいな、アニメのヒロインのような美人さんに何かあったら残念ですので」
「ご忠告ありがとう。それじゃ、そうさせてもらうわ」
「ええ」
そう言ってウェイトレスが引っ込んでいく。
するとタケルが言う。
「あなたも? って事はヒカルも言ったのか?」
「ああ」
「なんでだ?」
「知り合いに似ていたからかもしれん」
「……そうか」
そう、あのウェイトレスに、前世のエリスの面影をみた。もちろん全然別人ではあるが、どこか陽気で気さくなその仕草に重ねてしまう。
「この国はかなりマズい状況にある」
「ここは静かだけどな」
「ええ……」
「オリバーの情報だが、米軍が動き出しているらしい。もちろん俺達も、これから駆けつける必要があるだろうが、米軍がやる事を確認しつつ動く必要がありそうだ。米軍が何処まで出来るかは分からんが、俺達もやれるだけの事はやろう」
「おう!」
「はい!」
このビバリーヒルズという町は他とは違う、上品な人間が多いように見える平和な町だった。この平和な街が、危機的状況と隣り合わせであることを感じながら、俺達はハンバーガーを齧り始めるのだった。




