第397話 心の綺麗な親友
エイブラハムを見るなりレイは店をクローズにし、入り口に鍵をかけて室内の電気を落とす。窓からさす日光だけが、この古びた店内を照らしていた。目の前の年季の入った木のテーブルには、湯気を立てたコーヒーが三つ並んでいる。その香りを嗅いだエイブラハムが言う。
「いい香りじゃな」
するとレイが答える。
「ブラックアイボリーです」
「そんな貴重な豆をいいのかね?」
「特別なお客様にしか出しません」
するとタケルが聞いた。
「おりゃ、ブルーマウンテンとかモカしか聞いた事ねえけどよ。そんなすげえものなのかい?」
「飲んでみればわかる」
「わかった」
タケルがコーヒーを飲んで目を見開く。
「全然苦くねえ。コーヒーか? お茶? あ…コーヒーの香りはする…なんだ?」
「複雑じゃろ?」
「ふーん。こんなの飲んだことねえや。不味くはねえ」
するとエイブラハムがレイに謝る。
「すまんな。味の分からん者にまで出してもろうて」
「いえ。人生は常に冒険です。これで彼も一つ経験が増えました」
「そうじゃな」
俺もカップを持って飲んでみる。そもそもがあまりコーヒーの味を知らないので、これが高級なのかどうかが分からない。
「どうじゃね?」
「すまない。俺もコーヒーは分からないが、飲みやすい気はする」
「そうか。でも一つ経験になったのう」
「ああ」
するとタケルがレイに聞いた。
「で、コイツはどっか希少な土地とかで採れたコーヒーなのか?」
「そうですね。特別な場所から取れたものです」
「へえ」
そのコーヒーの香りを味わうように、ゆっくり飲みながらエイブラハムが言った。
「象のフンじゃ」
「へえー、そんな土地があるんだ」
「違う。象のウンコから採れたコーヒーじゃよ」
「象の?」
「うむ」
「ウンコ?」
「そうじゃ」
「おいおい! 罰ゲームじゃねえか!」
「何を言っておるんじゃ? 一杯三十五ユーロもするのじゃぞ?」
「っていくらだ?」
そう言ってタケルがオオモリのスマホを取り出し計算する。
「五千六百円! これそんなにすんのか! うそだろ!」
「そうじゃ」
レイさん
「むしろすまない。そんな高級なものにケチつけちまって! いや、美味かったよレイさん」
するとレイが言う。
「いやいや。初めてはそのようなものだ」
その光景を見てエイブラハムが言う。
「どうじゃレイ? 良い若者じゃろう?」
「そのようです」
「わしゃ、タケルの心根を信じてここに連れて来たのじゃ」
「この若者ならば間違いないでしょう」
「俺か? おりゃ別に大したもんじゃねえって」
するとエイブラハムは愛しい孫を見るような目でタケルに言う。
「人を真っすぐにみよる」
エイブラハムが言うことは俺にも分かる。タケルには裏も表も無い、俺が真っ先に親しくなったのもタケルがそういう人間だからだ。
レイがポツリという。
「それで…ドクター。とうとう、ファーマー社が来ましたか…」
「うむ」
「よく奴らの目をかい潜って、ルクセンブルクを脱出できましたね?」
「彼らのおかげじゃよ。彼らもあの会社には良い思いをしておらん」
レイが目を細める。そしてタケルに言った。
「あなたは日本人ですね?」
不意に聞かれタケルが素直に答えた。
「ああそうだ」
「大変でしたね…。世界で一番不幸な国になってしまった」
「元からそんなに幸福って訳でもねえけどな」
「ですが…国が…」
「まあな。酷いもんだ」
「そうですか…」
レイは残念そうな表情をする。そしてエイブラハムに向かって言った。
「ここに来たという事は、博士にお会いになると言う事ですね?」
「うむ。孫は元気じゃろうか?」
「すみませんが、ここにもその情報は入りません」
「うむ」
「ですが、ここに行って下さい」
そう言ってレイがコースターにペンで何かを書いた。それを見てエイブラハムは黙ってポケットにしまう。
「レイ…君は大丈夫かね?」
「私はこの日が来るのを待っていました。今日で店じまいです」
「そうか…寂しくなるな」
「いえ、ドクタースミス。寂しがることはありません。私はあなたが連れて来たこの二人を見て確信しましたから」
エイブラハムがタケルと俺を見て頷いた。
「そうじゃな。きっと彼らが世界を取り戻してくれる」
「はい」
二人とも哀愁を纏い、これまでの歴史を思い浮かべるような表情をした。ここまで大変な経験をしてきているのだろう。
そしてレイが言った。
「特に彼は…」
俺を見て少し沈黙する。そして続けた。
「この若さでいくつもの死地を潜り抜けてきたような、そんな雰囲気を漂わせている」
「そう思うかね?」
「はい」
「レイが言うのであれば間違いないのであろうな」
エイブラハムが俺をじっと見つめる。話を打ち切るようにレイが言った。
「では、生きていれば、またいつかどこかでお会いできるでしょう」
するとタケルが言う。
「なんだよ。こんないい感じのカフェを締めんのか?」
「そうですね…いつか平和な世界になったら、日本で店を開きましょうか」
「……」
「ではもう閉店ですので、お帰り下さい」
エイブラハムが席を立ったので、俺達も一緒に立ち上がる。店のドアを抜ける時、タケルがレイに言った。
「なあ。象のウンコのコーヒー、また飲ましてくれよ。次には味が分かる男になってっからよ」
「楽しみです」
そして俺達は店を出た。内側から鍵をかける音を聞き、エイブラハムが歩き始める。俺たちがそれについて行くと、クキ達が合流して来た。
「お孫さんには会えたのですか?」
するとエイブラハムが首を振って言う。
「ここにはおらんようじゃ」
「なるほど。それはそうでしょうね、奴らから身を隠すなら何重にもしなければならない」
「また電車に乗らねばならんようじゃ」
「わかりました」
するとクロサキの班も合流して来た。女達は風景を見るだけでも楽しいようで、凄く機嫌が良い。
クロサキが聞く。
「どうなりました?」
「移動だ」
「わかりました」
そして俺達は駅に向かっていく。風光明媚なこのあたりに未練でもあるかのように、女達がきょろきょろしていた。
そしてオオモリがタケルに聞く。
「エイブラハムさん…何かあったんですか? なんか哀愁漂っているというか…」
「なんにもねえよ。きっと象のウンコのコーヒーでも飲んでブルーになってんだろ」
「象のウンコ! なんですそれ!」
「はっ! お子ちゃまにゃあ分からねえ話だよ。バーカ」
「馬鹿って何です! 象のウンコなんて飲む方がおかしいですよ!」
「なんだと? 俺とヒカルもおかしいつうのか!」
「い、いや…」
「こらあ!」
タケルがオオモリの頭を掴んでグリグリした。
「いて! いてててて!」
「お前も少し大人になれって!」
タケルの行動に、大人のかけらも無い。
「ぷっ! 武がそんなこと言わないでよ!」
「どこが大人?」
マナとツバサに言われタケルが言い返す。
「馬鹿だな。人生は冒険なんだよ! いろんな経験して大人になるんだっつーの!」
皆は呆れたようにタケルを見ている。ただエイブラハムだけは、本当に優しい目でタケルを見ていた。駅に着いた時、エイブラハムが全員を集めて、こっそりとポケットから出した紙をみせる。
「なるほど。また国境越えか」
クキが言い皆が頷いた。俺達は次の行先の切符を手に入れて、駅で次の列車を待つのだった。




