第355話 黒崎捜査官の夢
突如訪れた自分の変化に、クロサキは戸惑って動きを止めてしまう。そのため周りにいたゾンビが一斉に飛びかかった。そこで俺がクロサキに叫ぶ。
「クロサキ! 伏せろ!」
流石の反射神経というべきか、ゾンビに囲まれながらもクロサキは地べたにべたりとふせた。
「飛空円斬!」
見える周囲のゾンビがバタバタと倒れていく。クロサキは驚いたように顔を上げて、俺の顔を見て言う。
「今のは?」
どちらの質問か分からないが、俺はレベルアップの方を告げる。
「レベルアップだ。クロサキはレベル二になった」
「本当ですか?」
「そうだ」
「や、やった!」
だが半信半疑のようで、自分の体の変化に気が付かない。
「分からないだろうけどな」
「でも皆さんのおっしゃっている事がわかりました。ヒカルさんを信じろと言っていた事が」
「あの状況下で、ばったり倒れられるクロサキは大したものだ」
「信じてました」
クロサキは全く疑わずに、俺を信じてくれているようだった。
「試しにゾンビをやってみれば分かる。乗れ」
俺はクロサキを乗せて、ゾンビがいる場所にバイクを走らせた。少し走っていると、モタモタと歩いているゾンビを発見する。
「いた。アイツで試してみろ」
「わかりました」
クロサキがバイクを降り、警棒を持ってゾンビに近づいて行く。
ビュン!
今まではゾンビの頭がボコりとへこんでいるに留まっていたが、今度は頭がきれいさっぱり吹き飛んだ。それを見てクロサキが唖然としている。
「これが…」
「そうだ。皆が実感する最初のレベルアップだ」
「信じられない…」
「今日の所は目標達成だ。基地に帰って準備をしてまた後日来るか?」
「いえ。これなら銃はいらない。やれるところまでやりたいです。ヒカルさんが許してくれるのであれば」
「もう一つレベルを上げたいという事か?」
「もしそれが出来るのであれば、それと警棒でゾンビを破壊するのに慣れておきたいんです」
「おそらくはしばらくレベルはあがらん。みんなも次のレベルにあげるには、肉食獣などを狩っていたからな。ゾンビよりも脅威度の高いものでないとだめだ」
「それでもお願いしたい。自分の身体がどれほどか知りたいんです」
流石に仲間達とは違う。もともとプロとして鍛えていたのだろうが、その胆力が違うようだ。一人でゾンビ世界を生き抜いて来た事もあり、かなり肝が据わっている。
「なら、いったん飯を食おう。携帯食で味気ないがな」
「サバイバル生活が長いんです。問題ありません」
俺達はバイクで立体駐車場を探し、一気に屋上まで駆け上ってバイクを降りる。そこにゾンビはいないが、もし上がって来たら斬ればいいだけだ。
「ここにしよう」
そして俺達は携帯食を食べ始めるのだった。だが食ったのもつかの間、クロサキは何かの型を試すかのように体を動かし始める。だが、その型はあまり見たことのないものだった。
「クロサキ」
「はい」
「それは何だ?」
「合気道です」
「アイキドー?」
「相手の力に逆らわずに、むしろその力を巻き込んで相手を制圧する武術という感じです」
なかなかに面白い動きだった。俺はそれに興味を持つ。
「教えてくれ」
「ヒカルさんを相手にですか?」
「もちろんだ」
俺がクロサキの前に立つと、クロサキが言った。
「あの、いくら合気道でも、ヒカルさんの力は受け流せません。だから子猫を撫でるようにかかってきてください」
「わかった」
そこで俺はあえて力を抜いて、ゆっくりとクロサキの首元に手を伸ばす。するとクロサキはするりとそこをすり抜けるかのようにして、俺の両手を掴みくるりと投げ飛ばす動作をした。ごろりと転がる俺をみて、クロサキが笑って言う。
「自分から行っちゃだめですよ」
「いや。俺の力では全てをねじ伏せてしまう。それよりも、面白いな! 俺もやってみていいか」
「はい」
クロサキが手を伸ばしてきたので、俺は全く同じようにクロサキの力を利用しつつ転がした。するとクロサキがキョトンとした顔で俺に言う。
「えっ? まさか合気道やってないですよね?」
「今が初見だ」
「…まるで師匠とやっているみたいです」
「呼吸と円運動、相手の力に逆らわず、逆手に取りつつ、むしろ相手と一緒になる感じかな」
クロサキが目を丸くする。
「答えです。今の一回でそれがわかったんですか?」
「そうだな。それには一つの力を使っている」
「一つの力ですか?」
「俺からも教えよう。とにかく集中力を高めていくと、思考加速や気配感知という力が使えていくんだ。相手が止まって見えたり、戦いの先を読む力になるんだがな。その集中の方法を教える」
「わかりました」
俺は先ほど食べた時に使ったスプーンを拾い上げる。
「目をつぶれ」
「はい」
そして俺はポイっとクロサキにスプーンを投げる。するとそれは体にあたって落ち、カランと音を立てた。
「今の感じわかったか?」
「何かがあたって落ちたら、足元にスプーンが転がっていました。ヒカルさんがスプーンを投げて、私に当たり落ちた」
「そういうことだ」
そして今度は俺が目を閉じる。
「いつでもいい、投げ返せ」
「わかりました」
俺は意識を集中させて、周りの音や気配を捉え始める。
パシ!
「凄い…」
俺は、クロサキが音もなく投げたスプーンを目の前で受けたのだ。音もなくというのは語弊があり、思考加速でいろんな情報を処理して受け取っただけだ。
「これがクロサキにも出来る」
「私が?」
「集中力を極限まで高めれば出来る」
「そんな簡単に出来ますでしょうか?」
「クロサキには尋常じゃない集中力がある。先ほどのゾンビ討伐でそれが分かった」
「わかりました」
「じゃあ目をつぶれ」
クロサキが目をつぶったので、俺はクロサキに言う。
「いいか? 集中だ! とにかく周りの音、俺の気配、空気の流れなどを捉えるんだ」
そう話している途中でスプーンを投げた。スプーンはクロサキにぶつかって落ちたが、俺は見逃さなかった。体にあたる直前で、ピクリとクロサキが動いたからだ。
カランと落ちたスプーンを拾い上げてクロサキが言う。
「難しいです」
「だが、体にあたる直前気づいたな?」
「えっ? なんとなくそんな感じがしただけです」
「充分だ」
「えっ?」
「その気配を感知する感覚の延長に、思考加速や気配感知があるんだ」
「あの、もう一度やってみたいです」
「何度でもいいぞ」
それからしばらくは、同じことの繰り返しだった。俺がわざと感覚を変え、相手の息を呼んでずらし、気の揺らぎを呼んでずらしている。クロサキに分かってはいないだろうが、その不規則な状況の中で何かに気が付いたようだ。
「もう一回お願いします」
「よし」
そして俺が次にスプーンを投げた時だった。クロサキは手を上げてそのスプーンを掴もうとした。だが指先があたってはじいてしまい、スプーンは離れた所に落ちる。
「惜しい」
「でも…なんとなくですが」
「その感覚だ。最初はまぐれでも、完全につかめるようになる。仲間内でもミオはそれが出来て、ツバサは音を感じて似たような事をする。他の奴らも何かしらの感覚は掴んでいるんだ。それが出来るだけで、今までとは全く視界が変わって来る」
「はい…」
そしてクロサキはしゃがみ込んだ。集中しすぎて力が抜けたらしい。
「ふう」
「ちょっとまて」
俺はリュックから、水のペットボトルをとりだしてクロサキに渡す。
「汗をかいている」
「物凄く疲れました」
「すまん。こんなところで消費させてしまった」
「いえ。凄く面白かったです」
「それはよかった」
クロサキがペットボトルをあけてクピリと飲んだ。
「少し休もう」
「はい」
少し沈黙が流れ、クロサキが俺に聞いて来る。
「ヒカルさんはなぜ戦うのですか?」
「みんなと約束したんだ」
「約束?」
「そうだ。レースをしたり遊園地にいったり、旅行をしたりコンサートを聞きに行ったりするっていう約束だ」
「ふふっ」
「なんだ?」
「なんでそんなに純粋なのかなと思いました」
「純粋?」
「とても素直というか」
「それは、仲間が戦い以外の素晴らしさを教えてくれたからだ。こんなに素晴らしい事がいっぱいあるんだと気づかせてくれた」
「戦い以外の事…」
「クロサキには無いのか」
「この仕事に就いてからは忘れてましたね」
「なんだ?」
「子供の頃の夢は、漫画家になりたかったです」
「それが好きな事だったんだな?」
「ええ。そういえば、絵なんて描いてないなあ…」
クロサキは空を見上げて言った。
「今度クロサキの絵を見せてくれ」
「うまく書けるかなあ」
「俺は見たいんだ。クロサキがどんな事が好きだったかを」
するとクロサキがニッコリ笑いながら俯いた。何か思い出しているような表情だが、その床に自分の好きな絵を描いているのかもしれない。ふいにふわりと風が吹いて、クロサキはおでこの汗を拭うのだった。




