05
少し長めです。
――
それから、およそ一時間強が経過。
だが、那津と雅美は二階に登ったきり未だリビングに姿を現さない。
残された男二人はテレビを見たり、コーヒーを飲んだり、雑誌を読んだり各々好きにしていたのだが、ついに男の一人がしびれを切らしたようにもう一方に話しかけた。
「おい、まだかあの二人は…」
「んー…多分まだかな。母さん、凝る人だし…」
「というか、何をしてるんだ。そろそろ教えてくれてもいいだろう?」
「見てからのお楽しみだから。」
イライラとした口調の父を適当になだめつつ、聖悟は携帯電話をいじる。
だが、彼の返答がいきなり途絶えたのを不思議に思い、ソファから顔だけを上げて父親の顔を覗いた。
俳優である父はその整った顔をしかめて、こちらを見ていた。
「……聖悟。」
「何だ?」
「あの子が、本気で好きか?」
途端に眉をひそめる聖悟。
何を当たり前のことを、と即座に言い返した。
「ああ、好きだけど。…それが?」
「いや、お前が家に女性を連れてくるなんてこと、なかっただろう?だから…」
「何、心配でもしてんの?うざいな。」
「うぐっ」
心臓を抑える振りをする『霧島涼』。
聖悟はそれを横目に小さく息をついた。
昔からこうだ。
テレビの向こう側の彼は嫌に気取っていてカッコいいのに、家に戻るとスイッチが切れたようにこんな風になる。
まあ、これが本来の彼なのだろうが、幼い頃はその変貌ぶりに少なからず驚いたものだった。
――ガキだった頃、こいつに憧れすら抱いていたとは…おぞましい。
聖悟は頬杖をついた。
「別に親父が心配することなんか、何もねぇよ。」
「でもな、俺の聖悟の嫁となると…」
「誰がお前のだ。あと、ことあるごとにソレを持ち出すのは止めろ。」
そもそも『結婚』話をしだしたのはお前らの方だろうが、とぼやく。
――まあ、那津と刹那的な恋愛をする気はないし、いずれは、と思ってはいるが。
「とりあえず、俺は那津と一緒にいたい。それだけだ。」
それの何が悪いんだ、とばかりの口調で言い放つ。
付き合ってまだ四カ月だが、聖悟はもうすでに離れがたいほど那津を愛していた。
いまはただ、今の那津を好きでいたい。
その気持ちに従って何が悪い?
聖悟がそう言うと、霧島涼は少し黙り、『そうか』と呟いた。
ああ、ようやく分かってくれたかと彼はほっと胸をなでおろ――
「…だが、認めるかどうかは話が別だ!」
…せなかった。
手が滑り、がくり、と組んでいたひざにあごを落とした。
「…まだそんなこと言ってんのか。」
「当たり前だろ!大事な息子の彼女だ、徹底的に見極めさせて――」
「で、それが『容姿』だってか?失礼にも程があんだろ。」
「芸能人はまず、容姿が命だからな。」
「那津は一般人だろ。親父の基準に合わせんなよ。」
はあ、と大きくため息をつく聖悟に、興奮状態に舞い戻り拳を握りしめる霧島涼。
だが、聖悟はニヤリと不敵に笑い、『まあでも、大丈夫だ』と呟いた。
「…いいから黙って待ってろよ、すげえもんが見れるから。」
そう言いつつニヤける聖悟を、霧島涼は不思議そうに見ていた。
――
――ああ、疲れた。
私は肩を落としながら、とんとん、と階段を下る。
あれから約二時間後、諸々の準備を終えた私はようやく階下に降りているというわけである。
一緒に雅美さんも私の後をついてくるが、こちらには疲れた様子は見えない。
むしろ行きよりもつやつやして見える。
なんてエネルギッシュ…
「いや~楽しかったわ、那津さん♪こんなに弄りがいのある子は久々よ!」
「はあ、それはよかったです…?」
「それにしても化けたわね~。何で普段からこうじゃないの?」
「面倒くさいんで。あと聖悟に何故か止められるし…」
「ふうん、なるほどね。」
そう言って、雅美さんは意味ありげに笑った。
『そういうとこ、茂彦さんにそっくりだわあ』なんて呟いている。
なにがなんだかよく分からないが、もういいや。スルーしとこう。だるい。
「はい、お待たせ~」
階段を下りきるや否や、バンっとリビングに通じるドアを開き、雅美さんは遠慮なしに中に入った。
私もそれに続き、室内に入る。すぐにソファに座る霧島涼と聖悟が見えた。
「着替えたんだけど…。」
提案してきた本人、国崎聖悟に向かってそう呟く。
だが…反応がない。
聖悟もそして霧島涼も、口をぽかんと開けたまま、こちらを見つめるばかりだ。
そのイケメン台無しな顔と熱視線に、私は思わずたじろいだ。
―簡潔に言うと、アレとは、秘密兵器『コンタクトレンズ』のことであった。
私が眼鏡をはずしてそれを装着すると、整形なみに顔が変わるらしい(私はよく分からないのだが)。
しかも、その顔が…なんというか、まあ結構見れるレベルの顔面偏差値に達するらしいので、今回使用し、雅美さんに洋服のコーディネートと化粧をお願いしたのだが。
…ねえ、何か言おうよ君たち。沈黙は気まずいんだけど。
「…は?本城さん……か?」
しばらくの間の後、ようやく口を開いたのは、霧島涼だった。
ああやっと返答があった、と安堵した私は彼を見下し、薄く笑った。
「ええ、そうですけど。」
そう言うと、さらに目を見開く霧島涼。
…だから、なんでそんなに驚いてんの。
前の時もそうだったけど、やっぱり変装レベルの変わりようなんだろうか?
なら、世界中の泥棒はコンタクトをつければ警察にばれないのだろうか…
そんなどうでもいいことを考えていると、横からにょきっと手が伸びてきて、体を掻っ攫われた。
ぼすん、とソファに倒され、すぐに長い腕が腰に巻きついた。
「くそっ、可愛い…!予想してたけどその何倍も可愛い…」
もちろん、こんなことをする相手は一人しかいない。
私の彼氏だ。
ぎゅうぎゅうと力を入れて抱き締め、私の身体を圧迫してくる。痛い。
「ま、まて聖悟!もう少しよく見せてくれ!本当に本城さんか!?」
「るせぇ、十分見ただろ!こっち見んな、減る!」
「いや、聖悟。見せるために着替えたんじゃ…」
先程と矛盾した台詞を吐く聖悟の腕の中でツッコむ私。
…何でもいいけど力緩めてくれないかな。マジで動けないんですけど。
その後。
暴走状態の聖悟が私を部屋に連れ込もうとするのを何とか阻止し、
これまた興奮状態の霧島涼を何とか雅美さんがなだめ(フォークが何本か壁に突き立った)、ようやく場の空気が落ち着いた。
度重なる騒動で、私はもうぐったりだ。
出された紅茶を一気飲みし、息をつく。
…もうやだよ、この親子。
「これで分かっただろ、親父。那津は世界一可愛いって。」
「言いすぎでしょ。」
褒め言葉も、度を越してると寒いぞ聖悟。
肩を抱く聖悟の手を払い落し、私は冷たい視線を向けてやった。
「ううむ、まあな…」
唸る霧島涼。…って、貴方も肯定するんかい。というかお世辞とかいらないから、この場面で。
私がじっと彼を見つめていると、霧島涼はさっと顔を逸らした。
「…ま、まあギリギリ合格ラインだな!でも、まだウチの嫁として認めたわけじゃないんだからな!」
そんなテンプレートみたいな台詞を最後に、彼は勢いよく席を立ってその場を後にした。
なんだこのツンデレ…
「…これでよかったのかな?」
「いいんじゃないか?」
残された私と聖悟は、顔を見合せて呆れたように笑った。
―――
――
結局、国崎家には二日ほど泊まらせて頂いた。
やはり、国崎家は豪華な内装通り使い勝手もかなりよく、客ながら快適に過ごさせていただいた。
…まあ、基本的には、だが。
「なんか、色々とゴメンな。」
「…まあ、変わった両親だったね。」
「すまん、本気で謝る。特に親父のことは。」
「………。」
高速道路を走る車内で、流れゆく景色を眺めながら私は隣の男に無言の肯定を返す。
実際、国崎家滞在は結構きついものがあったからだ。
私は遠い目をしてつい先日のことを思いだす。
とりあえず、昼、夜の御飯はすべて私が担当した。
そう手間がかからずちょちょいと作ったものばかりだったが、
私が料理を披露するたびに雅美さんがスゴイスゴイと褒め称え、やや居心地の悪いような、こそばゆい気持ちになった(その度に『ウチの嫁に!』とも言われたのだが、スル―しといた)。
その後も一緒にお風呂に入るだの、ドライブするだのに誘われたり…なんだか色々と大変な目に遭った気がする。
いや、でも雅美さんはまだそう大した害ではなかった、厄介だったのはむしろ霧島涼の方だ。
何がというと、彼は事あるごとに私にちょっかいをかけ……
……物を買い与えようとしてくるのだ。
『ああ、なんだその無防備な肌は!ちゃんとケアしないとダメだろう、ボディローションくらいつけなさい!ここに新品が――』
『そのサンダル、流行遅れじゃないか。みっともない。先日事務所の仲間から頂いた物があるんだが――』
『ブランド物を一つも持ってない!?いまどきそんな大学生がいるのか?来なさい、アウトレットに行って――』
…エトセトラ。
とにかく、この二日間、色々と仕掛けてきやがった。
何がどうしてこうなった。
ちょっとデレが早いんじゃないか、霧島涼。
しかもそんなフラグ立ってなかったでしょ、なんで急に色々してくるんだ?
おかげで毎回毎回断るのに労力を要し……ああ、もう思い出したくない。
記憶をさかのぼるだけで疲れてくる。
「そうだね。ちょっと、当分は遠慮したいな。あの息コン芸能人に会うのは…」
「…息コン?」
「息子・コンプレックスの略。」
「…言い得て妙だな。」
運転席に座る聖悟はくすりと笑った。
「なあ、那津。…いつか結婚しような。」
ふいに、彼がそう声をかけてきた。
顔を傾け、正面を向く聖悟の顔を覗くが、特に表情に変化はない。
「…何、それ本気だったの?」
冗談だろうか、と私も何気なく答える。だが、
「いや、俺も別に考えたことなかったけど、親父に少し触発されて、な。未来の予約もいいんじゃないかって。」
返ってきた台詞は、思いのほか真剣な声色をしていた。
――未来、なんて。
自分の将来のことなど、思い描いたこともなかった私は、何を答えればいいのか少し迷う。
結局、しばらく経ってから『そう。』とだけ呟き、また口を閉じた。
すると聖悟は、左手を私の右手に重ね、ぎゅっと握ってきた。
「……俺は、本気だからな。」
今度はまるで自分に言い聞かせるような口調。
子どもっぽく口をとがらせたそのカオはなんだか滑稽で、笑える。
まったく、気が早いよ、と呆れてしまった。
―繋がれた手が、熱い。
自分よりも大きなこの手に包まれていると、とても安心する。
でも、この温もりがいつまで続くか、なんて誰にも分からないだろう。
――未来に約束なんてないのだ。
いつ変わるか分からない。
こんな穏やかな時間もいつか、崩れる日が来るかもしれない。
ああ、そういえば数カ月前にも同じようなことを考えたっけ、と今更ながら思い出す。
あれから時を経ても、基本的にこの考えは変わらない。
私はやっぱり弱い人間だから、こんなに近くに居る君にも、いつか背を向けられてしまうのではないかと疑ってしまう。
故に未来に全てを託すことなんかしない。
いつだって、そうしてきたはずだ。
――でも、
と、私はさらに言葉を付け加えた。
もしも未来が私の思うより優しいものであったなら。
こんな風に、何も考えずに君の手を握っていられたなら。
――きっと、これ以上の幸せはないだろう。
「……そうだね、いつか。」
私は運転する彼の隣でまどろみながら、呟いた。
END




