72,狼君。
2歳の誕生日の翌日。
約束通りにサルバルアの狼君と遊べるということでここまで来た。
そう、ここまで。
いつものベビールームではなく、一度屋外に出て少し進んだ後室内に入ったのだがそこからもまた少し歩いてやっと到着した。
元々屋外に出るのだってベビールームからは結構な距離がある。
今は外は雪が積もる冬。
屋外に出る時はしっかりと防寒着を着込み風邪を引かないようにすることも忘れない。
この世界にはたくさんの魔道具があるが、屋外で移動中の空間の温度や湿度をコントロールできるような物はない。
クティならそれも可能ということだが、さすがにそれを行うと確実に大騒ぎになるので行えない。
積もっている雪がどの程度の物なのかはクティが身をもって見せてくれた。
突如として奇声をあげて急降下したクティの姿が見えなくなったのだ。
大体お婆様の足首程度の高さだろうか。
認識阻害系の魔術が使われていたようで自分とサニー先生以外は気づかなかった。
突然雪に穴が開いたらそりゃあもうびっくりどころではないだろう。姿を隠す隠蔽系の魔術を使っても実体はもちろんあるので足跡を消すのは難しい。
空を飛んだり、浮遊したりするような魔術は級がものすごく高くなる。
突如として穴が開いたら警戒どころの騒ぎでは済まなくなるのだ。
もちろん、屋外とはいっても屋根があるところなので雪が落ちてきたで済むかもしれない。
でもここにいるのはお婆様だ。雪が落ちたのではないということくらいは瞬時に見分けることができてしまう。
そんなお婆様の意識すら阻害してしまう魔術を難なく駆使するクティの戻ってきた姿は、部分的に見えないというかなりホラーな状態だったけど、ご本人様は満足していたのでよしとしよう。
当然クティの魔術がなければ雪の塊がふよふよ浮いている状態なので大騒ぎだったろうが、そこはクティ。
また知らない魔術を使って目の前のお婆様にすら気づかせない見事な隠蔽っぷりだ。
【クティは雪がすきなの?】
「え? 別に好きじゃないかなー?
でも足跡のついてない雪を見ると突っ込みたくならない? 私は突っ込んじゃうなー突っ込んじゃうよそりゃー。
あ、もちろん、リリーは大好きだよ! ちょーすき! 好き過ぎてもぅっ………………」
雪に突っ込むかどうかは別として、体を丸めてぐぐぐ、と擬音が聞こえてきそうなほど力を貯めているクティは空中に静止してしまっている。
お婆様の腕の中で自動的に進んでしまう自分からどんどん離れていく。
【サニー先生……クティが遠ざかっていきます……】
「うむ……まぁ予想通りだな……」
ずいぶん遠ざかってから、愛してるーッ! と何か聞こえたような気がするがそのあとすぐに、あれえ!? という驚愕の叫び声も聞こえてきたのがなんともクティらしかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
場所は戻って、犬小屋というにはかなり広い空間。
中規模程度の体育館ほどの広さに明り取り用なのか窓が4方にたくさんある。
窓の位置から広さを予想したのだが、サニー先生に確認したところ大体合っていた。
その中央にぽつんとサルバルアが寝転がっている。
自分達が到着する前から整列していたお世話役の人達を気にすることなく体を丸めて我関せずといった具合だ。
お世話役の人達も1人2人ではなく、たった1匹にこれほど必要なのかと思うほどの人数だ。
もしかしたら盲導犬の指導官とかもいるのかもしれない。
基本的に彼らの紹介などは行われない。
お爺様にリーダーっぽい人が何やら報告している程度だ。
しばらく報告が終わるのを待っていると丸まって寝ていたのだろう狼君がこちらに気づいた。
狼なので鼻が効くはずなのに、まさに今気づきましたといった具合だ。やっぱり寝ていたのだろうか。
気づいた瞬間にその瞳の魔力の流れが活性化し、お婆様が見せたような流麗な魔力の流れを見せる。
それなりに距離があるにも関わらずはっきりとわかるほどの美しさ。
瞳だけじゃない。
部分的にではあるが、立ち上がった四肢、背中も瞳には及ばないもののかなりの美しさだ。
荘厳さすら漂う美しき瞳は妖精ズをしっかりと捉えている。
広い空間を飛び回っていたクティを追跡するように首を回してずっと見ていたかと思うと、自分の横にいるサニー先生にも視線を送ってくる。
やはりしっかりと見えているようだ。
早く意思疎通ができるかどうか試してみたい。
「待たせたな。さぁ行こうか」
「お爺様、噛み付いたりしませんか? リリーの柔らかい綺麗な肌に噛み付かれたら……」
「大丈夫だ、しっかりと隷従の首輪をつけてあるからな。すでにその効果を何度もあのサルバルアは学習しているから問題はないだろう」
「そうですか、よかったぁ」
まだ午前中の早い時間なので学校に行く時間ではないエリーが心配そうに聞いてきていたが、隷従の首輪という単語が出てきた瞬間には安堵の表情をしていた。
隷従の首輪。
サニー先生の授業ですでに知っている。
大昔……いやオーベント王国にとってはなのだが、奴隷の逃亡や反抗抑止のために作られた首輪だ。
一定の行動や思考をしただけで痛みが走る。
痛みの度合いは調整可能で、そのトリガーとなる行動や思考についても調整が利く。
だがピンキリがあり性能がよいものは高価で、奴隷に対して使うような隷従の首輪は安物で調整がほとんど利かない物が多かったようだ。
現在のオーベントには奴隷制度は存在せず、使うのはもっぱら凶暴な獣を使役する場合だ。
サルバルアは絶滅危惧種だが、魔眼を生まれつき持ってたりその強い魔眼のためにかなり高い魔力を保有する種でもある。
そのため固体にもよるが魔術を扱える者が多く存在するそうだ。
魔術を扱える獣。
低級の魔術であっても攻撃魔術に分類される物理的な事象を伴う魔術は、威力だけなら簡単に人を殺傷せしめることが出来る。
あの狼君が魔術を使えるのかどうかはわからないが、もし使えなくても隷従の首輪をつけておくのは当然といえる。
魔術が使えなくても高い魔力を有している獣は生まれつきその魔力を身体能力に変換できるという特徴を有している場合が多い。
人の場合、魔力を身体能力に変換する技術は才能の分野になるらしい。
魔術とは違い、知識を深めて得られる物ではない天賦の才。
お婆様の超人的な力はこれに起因している。
もちろんそれだけではないのだろうが……。
何はともあれ隷従の首輪をつけていてその効果を学習しているということは、賢い獣ならば無駄に暴れるということはしないはずだ。
ゆっくりとこちらを凝視している1対の美しい瞳の持ち主に近づいていく。
腰を下ろした、所謂お座り状態で微動だにすることなくこちらを見据えている狼君。
あの瞳の流れは純粋な好奇。
狼君もこちらに興味津々ということだ。
「リリーちゃん。触ってみる?」
「あい」
お婆様の柔らかい腕の中からゆっくりと下ろしてもらうと皆が見守る中狼君に近づいていく。
飛び回っていたクティもすでに自分の頭の上に待機している。
きっと不測の事態に対応できるように体勢を整えているんだろう。
サニー先生も横に浮かんでいてくれるので何も心配することはない。
この2人にかかれば何かの不具合で隷従の首輪が作動せず、至近距離から噛み付かれてもその牙が届く前にどうにでもできる。
故に恐れることは何もない。
ゆっくりと近づきながら魔力文字を形成していく。
魔力文字は日常会話と変わらない速度で作り出すことができる。
魔力文字の形成は出力した魔力を動かし、形を作る。
精密に高速に。会話として成り立つように高速で読みやすく綺麗に作り上げることを念頭に置いて磨き上げた技術。
一瞬で何もない空間に魔力で作られた文字が出現し、好奇に彩られた瞳がそれを映す。
【こんにちは、昨日ぶりですね。覚えていますか? リリアンヌです】
理解できているかどうかはわからないが、まずすべきは挨拶だ。
返事はもちろん期待していないので待つつもりもない。
触れられる2歩ほど手前で止まりしゃがむとお座りしている狼君を少し見上げる形になったけど問題はない。
効くかどうかは分からないけれど上目遣い作戦だ。
【私の言葉が理解できるなら私の手に右前足を乗せてもらえますか?】
自分の1歩はまだ成長途中ということもあり短い。
狼君がお手をして自分の手に乗せる距離としては適正だ。
切り替わった文字を見た狼君の瞳が差し出された小さな手を見つめる。
やはり理解できている?
サルバルアという種は非常に知的レベルが高い。
昨日サニー先生に詳しく教えてもらった結果、未だ幼い子供であろう狼君でももしかしたら文字を理解できているかもしれないという結論に達したのだ。
もちろん希望的観測の側面も強い。
ほとんど希望だけが詰まっていると言い換えてもおかしくないくらいだが、もし文字が理解できて簡単な意思疎通だけでも可能ならそれは……素晴らしいことだ。
乗り物化計画が進むこと請け合いだからだ!
支援絵で興奮してしまったので3日連続更新第1日目です。
詳しくは活動報告をどうぞ!
さて狼君の調査開始です。
触ってみる? と言われて返事をしたのに触りません。
でも問題ありません。
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