嫌な夢
春は布団に潜り込んでいた。深い眠りへと沈んでいく。
――夢の中で、春はまたあの並木道を歩いていた。美幸と手を繋いでいたはずなのに、気づくと隣には別の人がいる。大きな手が春の指を絡め取るように握りしめていた。
その手の主は、朧げな笑顔を浮かべた男性だった。
彼の唇が動く。声は聞こえない。それでも、春には彼の言葉が分かる気がした。
次の瞬間、彼の顔がぐっと近づいた。
気づけば、唇が重なっていた。
拒むこともできず、そのまま瞼を閉じた。けれど、心の奥底で何かが軋むような感覚があった。
――嫌だ。
唇が離れた瞬間、春の目から涙がこぼれた。
その口づけは凍えてしまうほど寒く冷たく生気を感じなかった。
そして、その涙と共に、春は現実へと引き戻された。
目を覚ますと、熱のせいか体が火照っていた。息が浅く、胸の奥がざわついている。
喉がカラカラに乾いていたが、それ以上に心が乾いているような気がした。
また瞼を閉じると脳裏を過るのは顔のない男の笑顔が思い浮かぶ。けれども顔の輪郭は最初から存在していなかったかのようにぼやけていた。
しかし、その笑顔に心臓を締め付けてくる例えようのない恐怖が押し寄せてきていた。
そこへ、美幸が部屋へ戻ってきた。
「春、大丈夫?」
心配そうに駆け寄る美幸を見て、春は小さく微笑もうとした。けれど、それはうまく形にならなかった。
「みーちゃん……ごめんね」
春の言葉に美幸は未見に大きな皴を作った。
「どうしたのいきなり?」
「何か……悪いなって……」
「何が?」
「今日……午前中……必須あったでしょ? ごめん……わたしのせいで……」
その言葉を聞いた美幸は強張った表情が和らいで胸を撫で下ろしたように息を吐いた。
「何だそんなことか。気にしないで、一回くらいなんてことないじゃない。解熱剤、おかゆ食べてから飲もうか。食べれそう?」
「多分……でも……」
「何?」
「おかゆより……うどんが良いかも……」
美幸は口元を緩ませながら春の額に解熱シートを付けた。
「わかった。買って来てあるから作るね。じゃあ、ちょっとキッチン借りるね」
そう口にした後、彼女はそそくさと立ち上がってキッチンへ向かって行った。
高熱のせいだろうが、美幸の作ったうどんの味は分からなかったけれど、とても美味しいと感じたのは、彼女が傍にいてくれる安心感からだと思った。
解熱剤を飲んですぐ春が眠った後、美幸は自分の部屋へ戻って着替えを持ってきた。泊まり込みで献身的に看病をしてくる友人に一緒に上京して良かったと心から思えた。
美幸には借りを作り過ぎかもしれない。そう考えた時、他の借りは何だったかと思い出してみようとしたが、熱のせいもあって酷い頭痛が重なり、霧がかかったように上手く頭が回らなかった。




