第二十一章 残された真実
三月十三日火曜日。日本犯罪史にその名を残した凶悪殺人鬼・美作清香が異常かつ凄惨な最期を遂げた翌日。村は混乱状態のまま朝を迎えていた。それも無理はなく、一連の犯行で村の中枢を占めていた有力者たちが軒並み殺された挙句に真犯人が先代巫女の清香だとわかり、しかもその犯行の裏に涼宮事件や十年前の美作清奈の事故死まで絡んでいた事まで判明した上に、その犯人が殺された村の有力者たちの可能性が高いというのだから、もはや村の面目丸つぶれとかそんな次元をはるかに超えて、この先この村がどうなってしまうのかさえわからない状態だった。
さらに、地震そのものの被害に加え、旧千願寺もろとも清香を飲み込んだ地下の焼却施設の大火災は未だ終息の目途が立っておらず、周囲の山林に延焼してこのままでは村に燃え広がる可能性さえある事から、消防のみならず岐阜県知事及び高山市長から出動要請を受けた近隣の自衛隊まで出動してヘリからの消火活動が行われている有様だった。
村に響き渡るヘリの爆音とサイレン音。さらに、涼宮事件を含む一連の事件の真相がすべて明らかになった事で岐阜県警側の捜査も本格化しており、改めて涼宮事件に関与した容疑で堀川家、安住家、雪倉家、左右田家の関係各所に関する捜査が行われていた。これにより、かつて警察の汚点となった涼宮事件が八年経った今になってようやく動き出そうとしていた。
そんな村がてんやわんやの状況の中、榊原は亜由美と共にゆっくりとした足取りである場所へ向かっていた。
「いいんですか? こんな時に」
「適材適所だ。向こうは専門家に任せればいい。私は私ができる事をする」
「榊原さんにできる事って……事件はもう終わったはずですよね?」
「あぁ、今回の事件は美作清香の死で終結した。だが……まだ終わっていない事がある」
そんな事を言いながら榊原が立ち止まったのは、村の東部にある柾谷健介の家だった。幸い、地震の被害は大した事がなかったようで、榊原がチャイムを押すと、今回は柾谷健介が直接出てきた。
「あなたは……」
「どうも。少し、話したい事があるのですが……」
「俺に話、ですか?」
「えぇ、君にです」
数分後、榊原と亜由美はこの間と同じ部屋に通されていた。
「事件の事は?」
「聞きました。まさか、清香さんが犯人だったなんて……信じられないです」
「涼宮事件の顛末についても?」
「今、その件で村中が大騒ぎになっています。これから村がどうなっていくのか……俺にもわかりません」
「でしょうね」
と、柾谷が少し心配そうな顔で尋ねる。
「あの、美作のおじさんが怪我をしたって聞いたんですが、無事なんですか?」
「大丈夫です。あの後、救急ヘリで岐阜市内の病院に搬送されましたが、ひとまず命は助かったという事です。ただ、自分の娘が大量殺人犯だったという事実に、彼が耐えきれるかどうか……」
「まだ知らせていないんですか?」
「下手に知られて意気消沈されると、それこそ命に危険が及ぶ可能性がありますので、完全に回復するまでは伏せる方針です。もっとも、その娘に殺されかけたんですから、薄々は察しているとは思いますが……」
「そうですか……」
そのまましばらく、何とも言えない沈黙が続く。それに耐えきれなくなったのか、やがて柾谷が慎重な口調で榊原に尋ねた。
「それで、こんな大変な時に、俺に何の話が?」
その問いかけに、榊原は少し黙り込んでジッと柾谷を見つめていたが、やがて静かな声で話し始めた。
「今回の事件、真犯人が美作清香である事にもはや疑う余地はありません。しかし、そこまでわかってもなお、解決していない問題が存在するのです。その解決のために、こうして君に話を聞きに来た次第でしてね」
「……ここまでの事態になっているのに、まだ何か問題が?」
当然とも言える柾谷の問いに榊原は頷く。
「問題になるのは第三の事件……すなわち、竹橋美憂さんと雪倉美園さんが殺害された一件です。この事件の真相について詳しい事は聞いていますか?」
その問いに対し、柾谷は首を横に振る。それを受けて、榊原は改めて第三の事件についての自身の推理……すなわち、竹橋美憂を金属バットで殴りつけたのはもう一人の被害者であった雪倉美園であり、その現場を目撃していた真犯人の美作清香が直後に二人を射殺したという事件の真相を説明した。
「この推理が正しい事は、昨日対峙した際の美作清香本人の自白ではっきりしていますし、各種証拠もその自白の信憑性を証明しています。しかしそれでいながらも、この事件には一つ大きな謎が残っているのです」
「謎?」
「えぇ。すなわち、『雪倉美園はなぜ竹橋美憂を金属バットで殴り殺そうとしたのか』という、雪倉美園側の動機の点です」
その瞬間、部屋の温度が少しスゥッと下がったような感覚を亜由美は覚えた。
「竹橋美憂の遺体頭部の傷の深さなどから考えるに、雪倉美園が本気で竹橋美憂を殺害するためにバットを振り下ろしていた事は確実です。では、何が彼女をそこまで駆り立てたのでしょうか? 雪倉美園と竹橋美憂は、歳こそ近いとはいえ基本的に繋がりらしい繋がりはありません。竹橋美憂は小学校入学の時点で村から出て行ってしまっており、それ以降村に帰ってくる事はほとんどなかったと言います。実際、涼宮事件当時も彼女は村におらず、今回は巫女候補に選ばれてしまったため仕方なく帰って来たという感じだったそうです。つまり、同じ村出身とはいえ両者には繋がりらしい繋がりがない。にもかかわらず、雪倉美園が凶行に走った理由とは何なのでしょうか?」
「そんなの……また巫女をめぐる争いの結果とかじゃないんですか? 例えば、今回巫女候補に選ばれなかった美園さんが村にほとんどいなかったくせに候補になった美憂に憎悪を抱いたとか。あるいは憎悪とかではなく、巫女の候補者を一人減らす事で自身が新たな候補者になるチャンスを得ようとした、とか」
柾谷は慎重に自分の意見を述べるが、榊原は冷静な口調でこれに反論する。
「なるほど、確かにその可能性もないとは言い切れません。ですが、第三の事件が起こった時点ではすでに堀川頼子と安住梅奈が殺され、雪倉美園自身もいつ殺されてもおかしくないという状況だったはず。そんな命の危険を感じる状況下に置かれていた雪倉美園が、今更、候補にも選ばれていない巫女云々で竹橋美憂を襲うとは考えにくいのも事実なのです」
「では、探偵さんはどう考えているんですか?」
挑むような柾谷の言葉に、榊原はあっさりと答える。
「今言ったように、この時の雪倉美園は姿なき殺人鬼の恐怖に怯える状況だった可能性が高い。ならば、彼女の行動は『自分の命を守る事』が最優先になっていたと考えられ、つまり竹橋美憂を襲撃した行為も、その『自分の命を守る』という行動規範に基づくものだったという解釈が成り立つのです」
「あの、もう少しわかりやすく言ってもらえませんか? 意味がよくわからないんですが……」
遠慮がちにそう言う柾谷に対し、榊原ははっきりと告げた。
「失敬。では簡潔に言いましょう。雪倉美園は『殺人鬼』に命を狙われていた。だからこそ先手を取って自分を狙う『殺人鬼』を先に殺害してしまおうと考えた。その結果が竹橋美憂への襲撃につながった。私はそう考えているのです」
一瞬、その場の時が止まったようにも思えた。一拍遅れて、柾谷が押し殺した口調で反論する。
「そんな……ありえないです」
「なぜですか?」
「だって、今の推理が正しいのなら、美園さんは美憂が今回の事件の犯人だと考えていた事になります。でも、何をどう考えたら彼女が犯人だなんて結論になるんですか? 確かに絶対に犯人ではないと言い切る事はできなかったと思いますけど、逆にだからと言って自分から襲いに行けるほど断定的に犯人だって決めつける事もできないはずです」
確かに、それは当然とも言える疑問だった。だが、これに対して榊原は淡々と応じる。
「確かに、あの時点で竹橋美憂を犯人として断定できるとは思えないのも事実ですし、そもそも前提として、彼女は真犯人ではありません。一見すると、雪倉美園が竹橋美憂を犯人と判断して襲撃するなどあり得ないように見えるという意見は的を射ているようにも見える」
一度柾谷の意見を肯定した上で、さらにこう続ける。
「ですが、こう考えればどうでしょうか。雪倉美園は竹橋美憂を襲撃したが、それはあくまで結果論であり、本来、雪倉美園が襲撃しようとしたのは別の人間だった。しかし、空手に自信があった竹橋美憂は雪倉美園が襲撃しようとしていた人物の代わりにあの場所に現れ、その人物の身代わりに雪倉美園に襲撃されてしまった。そう考えれば、雪倉美園が何の関係もなかったはずの竹橋美憂を襲撃した事に一応の説明がつくのです」
榊原の新たな推理に対し、柾谷はしばらく何も言わなかったが、やがて今の榊原の推理を整理するようにゆっくりと口を開いた。
「もしそうなら、その本来の標的というのは『美憂が身代わりになろうとするほど親しい人間』であり、なおかつ『美園さんが犯人と誤解する可能性がある人間』という事になりますよね?」
「そうなるでしょうね」
「でも、そんな都合のいい立場の人間がいるでしょうか? 少なくとも、俺は思いつかないんですけど」
それも当然の疑問だった。だが、榊原はその疑問にもすぐに答えにかかる。
「前者はともかく、あの段階で『雪倉美園が犯人と誤解する可能性がある人間』という条件なら、一人当てはまる人間に心当たりがあります」
「それは一体誰ですか?」
「例えば、『加藤陽一』というのはどうでしょうか?」
瞬間、柾谷が大きく息を飲んで言葉を詰まらせた。榊原は言い含めるようにして再度その名を告げる。
「加藤陽一……当然、君はこの名前を御存じのはずですね?」
「……えぇ、もちろん。忘れたくても忘れられない名前です」
「涼宮事件で殺人の罪を着せられ村八分にされた男の息子。彼なら今回殺害された面々に殺意を抱いていたとしても何ら不思議ではなく、雪倉美園の視点から見れば第一容疑者として真っ先に名前が挙がってもおかしくない人物です。当然、彼が自分の身近にいたとなれば、殺される前に殺してやると考えてしまったとしても充分に理解できます」
「待ってください」
と、柾谷がピシャリと榊原の発言を止めにかかる。榊原は言葉を止め、素直に柾谷に発言を促した。
「探偵さん、自分が何を言っているのか理解していますか?」
「もちろんです。何か問題でも」
「問題も何も、今の推理は『加藤陽一がこの村にいる』ことを前提にしたものです。でも、そんなのいくらなんでも無理があり過ぎる。彼がこの村にいるはずがない!」
最後は叫ぶような主張だった。が、榊原は一切ひるまず、断言するように言いきった。
「いいえ、彼はこの村にいます。それこそ、今回の事件が起こっている間、ずっとね」
「……何ですって?」
「もちろん、証拠はあります」
そう言うと、榊原さらなる推理を叩きつけにかかった。
「実は昨日、事件を解決する直前に、ある経緯で彼……すなわち加藤陽一と話をする事ができたのですよ」
「話、ですか?」
「もちろん、直接会ったわけではなくある人物の仲介で話をしただけですがね。まぁ、その話の内容自体もたわいもないものだったのですが、実はその会話の中に、聞き捨てならない発言があったのですよ」
榊原はそう前置きして、問題の発言を指摘しにかかる。
「彼は私を通じて今回の事件についての情報を知りたがっていて、私はそんな彼に『私から話を聞いて具体的にどうするつもりなのか』というような質問を返しました。その質問に対し、彼は以下のような答えをしたのです。すなわち、『私の話を聞いても何か具体的な行動を起こすつもりはない。「この村」にはそんな義理も価値もないし、「この村」が自分にした事を考えればそれは当然だ』と」
「……聞いた限り、不自然な点はないと思いますが」
柾谷は慎重にそう答えるが、榊原は止まらなかった。
「確かに、回答そのものに不自然な点はありませんが、問題は内容ではなく表現です」
「表現?」
「えぇ。恐らく無意識だったのでしょうが、彼は発言の中で二度も『この村』という言い方をしてしまっているのです。もし、彼が本当に村の外にいたのだとすれば、この部分の表現は『あの村』というようなものになるはず。『この村』というのは、実際に村の中にいる人間が使う言い回しのはずです」
つまるところ、英語で言う「this」と「that」の表現の問題である。が、柾谷はささやかながら反論を試みる。
「そんなの、単に個々人の表現の問題じゃないんですか? それか、単なるタイプミスとか」
「えぇ、確かにその可能性はありますし、だからこそこれは違和感ではあったものの決定打というわけではありませんでした。ですが、それ以上に問題のある発言があったのです」
「問題のある発言?」
「えぇ。その会話の中で、彼はこう言ったんですよ。すなわち、『私が女子大生と一緒にいる』と」
一瞬、その場に微妙な空気が漂った。
「それがどうかしたんですか? 実際、探偵さんはその子と一緒にいるわけですよね」
柾谷は亜由美の方をチラリと見ながら遠慮がちに言葉を返した。
「えぇ、確かに。しかし問題は、村にいないはずの加藤陽一がなぜその事実を知っていたのかという点です」
「それはその会話を仲介した人が加藤陽一にあらかじめ教えただけじゃないんですか? その仲介者が誰なのかは知りませんけど、村の人間なら、あなたとその子が一緒に歩いているのを見ているはずですし」
柾谷の反論に、亜由美も納得しそうになった。実際、問題のチャット会話上でも、その件について陽一自身が『事前に手原岳人から聞いた』というような事を言っており、その岳人も『何日か前に榊原と亜由美が一緒にいるところを部屋の窓から見た』と陽一の発言を裏付けるような事を答えていたはずである。だからこそ、なぜ榊原が今になってその点を追求しようとしているのか、亜由美には一瞬わけがわからなくなった。
だが、榊原はこう続けた。
「いえ、単に私と彼女が歩いているのを見ただけではこのセリフは出てきません。何しろ、彼女……亜由美ちゃんは、この村では今に至るまでずっと、女子高生が着ているようなブレザーの制服姿だったのですからね」
そう言われて、亜由美はアッと声を上げ、柾谷も何かを悟ったかのように顔色を変えた。
「そうなんですよ。普通の人間がブレザー姿の彼女を見た場合、常識的に考えて『女子大生』ではなく『女子高生』と答えるはずなのです。それでも彼女を『女子大生』と答えるには、彼女自身から『すでに高校は卒業していて、四月から女子大生になる』という情報を聞いていなければなりません。そして、問題の仲介をしてくれた人物は、少なくともこの情報を知れる立場にいなかった事がはっきりしているのです」
確かに、岳人が事前にこの情報を得る事は不可能だ。亜由美は岳人に自分が四月から大学生になる事など言っていないし、窓から榊原と亜由美が一緒にいるのを見たとしても、榊原の言うようにブレザーを着た亜由美を見ただけでは『女子高生』と判断するのが普通だろう。そして、岳人お得意の『ネットで調べた』という言い訳や、父親を通じて村人の話を聞いたという言い訳も今回は当てはまらない。亜由美が高校生なのか大学生なのかなどという話は今回の事件に全く関係がなく、ネットはもちろん、村人の話の中にもそんな些細な情報が出るわけがないからだ。さらに言えば、『以前、別の機会に知った』という言い訳も通用しない。なぜなら、亜由美が榊原と一緒に捜査に来たのは今回が初めてであり、以前に知る機会そのものがないからである。
「つまり、加藤陽一は『私と亜由美ちゃんが一緒にいる事』と『ブレザー姿の亜由美ちゃんが四月から大学生になる事』を知っていた事になり、その情報を知る事ができるのはこの村にいて彼女の情報を直接知る事ができる人間だけしかあり得ません。従って、先程の『この村』発言と併せて考えると、八年前の涼宮事件で父親が冤罪で逮捕され、それがきっかけで自殺未遂まで起こした末に村を追い出された加藤柳太郎の息子・加藤陽一……明らかに村人に対する恨みを持っているであろうその陽一が今まさにこの村にいる可能性は、非常に高いと言わざるを得ないのです」
「……」
衝撃の事実のはずだった。だが、それを聞いても柾谷の表情は変わらない。そして、榊原の方もそんな柾谷の反応を予期していたかのようだった。
「やはり、驚きませんか」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですよ。柾谷健介さん……君は加藤陽一がこの村にいる事を知っていましたね?」
榊原の指摘に、柾谷は顔を引き締めて短く反論する。
「何を根拠に?」
「では聞きますが、なぜ君は、私と加藤陽一がチャット通信で会話をした事を知っていたんですか?」
「……え?」
思わぬ事を聞かれたのか、柾谷は呆気にとられた顔をする。が、榊原は相手のわずかな隙を逃さない。
「私は確かに、昨日、加藤陽一と直接会う事なく話をしたとは言いましたが、それがチャット通信によるものだったとまでは言っていません。しかし、君はさっき私の推理に反論した際に『タイプミス』という単語を口にした。これは問題の会話にタイピングが使われた……すなわちチャット通信が行われた事を前提とする発言です」
「いや、それは……」
柾谷の顔が青くなる。榊原に指摘されるまで、自身の失言に気付いていなかったようである。
「私のさっきの言い方を何も知らない人間が聞いた場合、その会話の手段として真っ先に思いつくのは普通『電話』のはずです。少なくともいきなり『チャット通信』という単語が出てくるのは不自然で、それこそ直接その事実を知っている人間でない限りはこの単語が出る事はまずないでしょう。ましてここは、ネット通信のイメージからかけ離れている山奥の山村です」
「……」
「にもかかわらず、君は私と加藤陽一が『チャット通信』で会話した事を正確に知っていた。私が話していない以上、この情報はもう一方の当事者である加藤陽一から君に伝えられたとしか考えられない。つまり、君はこの村にいるはずの加藤陽一とどこかで接触しているはずなのです」
「待ってください! それなら、チャット通信を仲介した手原君に話を聞いた可能性だって……」
反射的にそこまで反論して、柾谷はハッとした表情を浮かべて言葉を止めた。だが、榊原はその失言を見逃すような男ではない。静かに淡々とした口調でそのミスを即座に指摘する。
「また口を滑らせましたね。君はなぜ、我々が手原岳人君の仲介で加藤陽一と話をした事を知っているのですか? さっきは『誰が仲介したかは知らない』と言っていたはずなのに」
「そ、それは……」
「まぁ、それについては手原君本人に聞けばいい話です。もっとも、私の推測では、自室に引きこもったままの彼が誰か他の人間にこのチャット通信の話をしたとは思えませんがね」
「……」
榊原の理詰めの追及に柾谷は何も言い返せず、拳を握りしめながら榊原を睨む。
「これも罠ですか」
「どう取ってもらっても結構です。あぁ、それともう一つ。君は確か、亜由美ちゃんが四月から大学生になる事を知っていましたね。初めて会った時、ブレザー姿の彼女をいぶかしんだ君に、彼女自身がその事実を答えていましたから。つまり、その時聞いた事を君が後で加藤陽一に伝えるなりすれば、加藤陽一が亜由美ちゃんが『女子大生』である事を知る機会は充分にあった事になるはずです」
「……」
「さて、どうなんですか?」
両者はそのまま正面から無言のまま睨み合う。張り詰めた空気の中で時間だけが流れていき、隣でずっと今までの会話の応酬を聞いていた亜由美がその空気に耐え切れなくなりつつなった頃、不意に柾谷が苦しそうな表情をして榊原に尋ねた。
「……すべて、わかっているんですか?」
その言葉を待っていたかのように、間髪入れずに榊原は答える。
「少なくとも、私はそのつもりです。何なら、証拠もお見せできます」
「証拠?」
「……また話は変わりますがね。連れて来られた彼女はお元気ですか?」
唐突な問いに、しかし明らかに柾谷の表情が変わった。
「何を……」
「最初にここに来た時にお会いしましたね。確か井島蝶花さん、でしたか」
「……」
「彼女はどこにいますか?」
「聞いてどうするつもりですか?」
「いえ、せっかくなので、彼女にも話を聞きたいと思いましてね。ぜひとも今回の事件の感想を聞かせてもらいたいのですよ」
そして榊原はこう続ける。
「思うところはあるはずですよ。かつて自分を追い出した村人たち……その末路を見て、何も思わないはずがないでしょう」
「っ!」
息を飲む柾谷健介に、榊原は宣告した。
「ここまで言えば、もはや言わずもがなでしょう。君の『彼女』である『井島蝶花』としてこの村にやって来た人物……それこそが、加藤柳太郎の息子、加藤陽一その人だったのです」
静まり返った部屋の中、呆気にとられて言葉も出ない亜由美が見守る中、榊原と柾谷は静かに対峙をしていた。
「……何を根拠に」
「根拠も何も、気付けばあからさまな話でしたからね」
そう言うと榊原は種明かしを仕掛けた。
「さっきも言ったように、彼女が名乗った名前は『井島蝶花』。『井島』を『いじま』ではなく『いとう』と読むのがみそですね。パッと見ただけではそう読めないからこの事実に気付きにくくなっている」
「……」
「まぁ、有体に言って、単純極まりないアナグラムですよ」
榊原はそう言うと回答を示した。
『井島蝶花』=『いとうちょうか』=『かとうよういち』=『加藤陽一』
そう、『井島蝶花』は『加藤陽一』のアナグラムになっているのである。
「何の意図があってこんなアナグラムの偽名を使ったのかはわかりませんが……表向きの性別が違っていた事もあって、彼女……否、彼の正体に気付く人間はほぼいませんでした。もっとも、この村から追い出された時点で彼は小学生でしたから、仮に性別を偽っていなくても気付く人間はそういなかったと思いますがね」
「……」
「当然ですが、彼を自身の彼女としてこの村に連れてきた柾谷さん、あなたは彼の正体を知っているはずです。八年前の涼宮事件で切れたと思われていた加藤陽一とこの村の繋がり……しかし、あなただけは今に至るまでその繋がりを持ち続ける事ができた。まぁ、それはあなた自身がしばらくして村を出たという事もあるんでしょうが、何にせよ、あなたたち二人はこの村では協力関係にあった」
柾谷は背筋を伸ばし、真剣な表情で榊原の言葉を聞いている。
「そして、ここから先はあくまで私の想像に過ぎませんが……第三の事件で殺害された竹橋美憂さん、彼女もまた、あなたや陽一さんの協力者だったのではないですか?」
「……」
「生前の竹橋さん本人から話を聞いた時、彼女は小中高一貫の学校に進学して村を出る前の幼少期、歳の近い柾谷さんとよく一緒に遊んでいたと言っていました。つまり、あなたと竹橋さんはかなり親しい関係だ。もし、その関係が彼女が村を出た後も……もっと言えば、涼宮事件で加藤陽一が村を追放された後も続いていたとすればどうでしょうか? 加藤さんがこの村に正体を隠して来ると言い出し、柾谷さんがそれに協力するとなれば、柾谷さんと親しい彼女がそれに協力する事は充分に考えられます」
「……」
「つまり、今回の事件において井島蝶花改め加藤陽一と、柾谷さん、竹橋さんの三人は協力関係にあった可能性が高い。そして、その秘密の繋がりが第三の事件を引き起こす事になってしまったというのは私の考え過ぎですかね?」
それに対し、柾谷が何かを答えようとした……その時だった。
「もういいよ、健介」
突然、榊原の背後からそんな声が聞こえた。榊原がゆっくり振り返ると、そこには今話題となっている井島蝶花その人が、女性らしからぬ険しい表情で立っていた。
「だけど……」
「その人はもう全部わかっているみたいだ。これ以上、健介に迷惑はかけられない。あとは私が……いや『僕』が相手をするよ」
改めて見ても容姿や服装は女性にしか見えず、確かに多少は低いが声も男性にしてはやや甲高いトーンである。だがその喋り方は明らかに男性のもので、亜由美が呆気にとられている中、『井島蝶花』を名乗るその人物は、覚悟を決めたように柾谷の横に座った。
「改めて自己紹介をします。あなたの言うように、僕の本名は『加藤陽一』。『井島蝶花』は劇団での芸名です」
女性の容姿、服装、声のトーンで、彼女……否、彼は自身の正体をあっさりと明らかにした。
「劇団の芸名……ですか」
「えぇ。僕は普段、大学に通いながらある劇団で役者をしています。元々中性的な風貌なので女性役をする事も多くて、今回はその技術を使わせてもらいました」
「柾谷君との関係は?」
「昔からのかけがえのない親友です。今は同じ新潟中央大学に通っています」
どうやら、同じ大学の学生であるという点は本当だったようだ。
「君には聞きたい事が色々ありますが、まず一つ確認しておきたい事があります」
「何でしょうか?」
「君の父親……涼宮事件で無罪を勝ち取った加藤柳太郎氏は今何をしているんですか?」
その問いに対し、陽一はあっさりと答えた。
「元気にしていますよ。今は佐渡島で漁業関係の仕事をしています。肩の事がありますからできる事に限りはありますけど、何とかなっているみたいです。ただ、この際僕から断言させてもらいますが、父は今回この村で起こった事件には一切関係していません。父が今回の事件の黒幕だなどという推理をしているなら、それはとんだ見当違いだという事は明言しておきましょう。息子として、話をする前にそれだけははっきりと言っておきます」
「……そうですか」
陽一の真剣な言葉に対し、榊原はそう呟いて頷いた。榊原としても、柳太郎が今回の事件に関与しているとは思っていなかったのだろう。
「では改めて聞きますが、今回の事件において、君と柾谷君、それに殺された竹橋美憂は協力関係にありましたね?」
その問いに対し、陽一はしっかりと頷いた。
「はい。僕は今回、健介と美憂の協力でこの村に潜り込む事に成功しました。目的はもちろん、父や僕を苦しめた、涼宮事件の真相を僕なりに明らかにするためです」
そう前置きすると、陽一はこの事件における自身の役割……さらには、村を追い出されてからの歩みについて語り始めた。
「涼宮事件が起こって父が逮捕され、僕の家が村八分状態になってついには事実上の追放同然の状態になっても、僕と健介の仲は健在でした。もちろん、彼にも立場がありますから表向きは不干渉を装っていましたけど、裏では常に連絡を取り合っていたんです。村八分になっている僕に味方をする事がどれだけ危険な事なのか、彼はそれをわかった上で僕に付き合ってくれました。今でもそれは感謝しています」
そう言われて、柾谷はつらそうに頭を下げる。
「村を追い出された後、色々あって僕は岐阜市内の小中高一貫の私立学校に転入する事になりました。幸い、『加藤』という名字はかなりありふれた名字ですから、裁判で父の名前が出ても偶然と誤魔化す事ができました。でも、子どもの社会ですから似ているだけでも噂になる。そんな事を健介に手紙で知らせたら、彼は『その学校に昔自分と仲良くしていた幼馴染の女の子がいるから、彼女を頼ったらどうか。彼女には自分から知らせておく』とまぁ、そんな感じの事を提案されたんです」
「その女の子が竹橋美憂だった」
陽一は頷いた。
「彼女は蝉鳴村の出身でしたけど、幼い頃から長く村を離れていたので村特有の差別とか偏見などとは無縁な性格でした。幼馴染の健介とは村を出た後も連絡を取り合う仲で、健介から僕の境遇をあらかじめ聞いていたのもあるでしょうけど、話しかけたらすぐに僕を受け入れてくれました。当時僕と健介は小学六年生、彼女は小学五年生です。以降、僕たち三人は親友として密かに付き合うようになりました。中学を卒業して健介も村から出ると、この繋がりはますます強固なものになって、大学は三人とも同じところにしようと話し合っていたくらいです。そして実際、僕と健介は示し合わせて同じ新潟中央大学に進学する事になり、美憂も四月から同じ大学に入学するはずでした」
「……それがなぜ、今回村に戻って来たんですか?」
榊原の問いかけに、陽一は真剣な表情で答えた。
「二月になったくらいだったと思いますけど、美憂から連絡があったんです。常音さんが巫女の年齢上限である二十三歳になるから再び巫女選びが行われる事になって、自分もその候補に選ばれる事になったと。しかもその対立候補に堀川頼子がいると聞いて、僕らは嫌な予感がしたんです。巫女をめぐる裏の争いがある事は、涼宮事件当時に涼宮さんに行われていた嫌がらせを知っていた僕たちからすれば自明の事でした。だからこそ、前の巫女選びの時に涼宮事件が起こったように、今回の巫女選びでも何か起こるのではないかと思いました。そして、もしかしたらこの機会に村の暗部が再び表に出てきて、涼宮事件の時に何が起こっていたのかを明らかにできるかもしれないと考えたんです。涼宮事件で全てを失った僕は、それを見届ける権利があると思いました。だから僕は二人に協力を頼んで、巫女の選出が行われる春休みの期間、この村に潜入して僕の過去に決着をつけようと思ったんです」
そして潜入は成功した。だが、村で起こった『事件』は三人の想定をはるかに超える大規模なものと化し、過去に決着をつけるどころの話ではなくなってしまった。そして、何もできないまま事件の推移を見つめ続けているうちに、ついには竹橋美憂が巻き込まれて死亡してしまう事態となり、それでも二人は事件の表に出る事ができず、結局最後まで事件を見届ける事になってしまったのだった。
「一体あの夜……第三の犯行の際、何があったんですか? なぜ竹橋美憂が雪倉美園に殴りつけられるような事態になってしまったんですか?」
榊原の事件の核心を突く問いかけに対し、陽一は覚悟を決めたように答えた。
「あらかじめ断っておきますが、今から話す事はあくまでここまでの状況から導き出した僕と健介の推測です。でも、大筋は間違っていないと思います。それはあらかじめ理解しておいてください」
陽一の前置きに榊原が頷きを返すと、陽一はその『推測』を話し始める。
「今回の事件が始まってからも、僕は二人の協力を得て、自分の正体を隠す事に成功していました。ですが、事件が進む中で、追い詰められて自分が助かるために必死に頭を回転させていた雪倉美園が、井島蝶花が加藤陽一である事に気付いてしまったみたいなんです。ただ、そこから先を考えられれば良かったんですが、彼女は井島蝶花が僕だったという事実に気付いたところで思考が止まってしまって、そのまま『正体を隠して村に潜入していた僕がこの事件の真犯人だ』と安直に決めつけてしまったようでした。まぁ、僕には村への復讐というわかりやすい動機もありますし、女装して村に潜入するという不審な行動をしているのは確かなので、その結論に飛びついてしまうのは無理もない話なんですが……たちが悪かったのは、犯人を僕だと勘違いした彼女が『だったら自分が殺される前に犯人を倒してしまえばいい』という結論に至ってしまった事です」
「つまり……雪倉美園は正体を隠して村に潜入していた君を犯人と誤認し、焦りのあまり先手必勝で殺そうとした、と?」
「そういう事だと思います。本人の中では正当防衛のつもりだったんでしょう。もちろん、実際にこんな事をしても正当防衛にはならないはずですけどね。それがわからないほど、彼女も心理的に追い詰められていたんでしょう」
陽一は肩をすくめる。が、榊原の表情は険しいままだ。
「ですが、実際に襲われたのは竹橋美憂さんです。そこで何があったんですか?」
榊原のこの問いに対し、陽一は唇を噛み締めながらためらうように答えた。
「雪倉美園は手紙で僕を呼び出そうとしていました。ですが、僕の手に渡る前に、その手紙を美憂が見てしまったんです。多分、この家の郵便受けに入れられていたのを美憂が見つけて読んだのでしょう。それ以外にこの状況に説明がつきませんし、実際、その手紙は美憂の部屋から見つかっていると聞いています」
確かに、そんな手紙が美憂の部屋から見つかっている。これまでは何者かが美憂をおびき出すために出した手紙だと解釈されていたのだが、実際は美園が陽一を呼び出すための手紙だったという事らしい。そう考えると、確かにあの文面はそのように解釈しても充分に通用する内容だった。
「あの夜……どういうわけか僕と健介は夕食を食べた後に猛烈な眠気に襲われました。多分、美憂に睡眠薬を盛られていたんだと思います。健介の両親は事件の騒ぎで出ている事が多くて、僕たちもあまり外に出るわけにはいかなかったから、夕食は食堂をやってる美憂の家から持って来てもらっていましたから。そのまま寝込んでしまって……朝になって気付いたら、全て終わっていました」
「……君たちを巻き込まないため美憂さんが睡眠薬を盛ったと?」
榊原の推理に陽一は頷く。
「すべてをわかった上であの手紙を読めば、手紙を書いた人間の狙いが僕だという事は簡単にわかります。彼女は多分、僕を守ろうとしたんでしょう。情けない話ですけど、この三人の中では空手をやっている彼女が一番強かったですから」
「そして、彼女は君たち二人を眠らせると、君の代わりに旧加藤家へ向かった」
だが、実際は命を狙われて文字通り命懸けの心境になっていた美園の凶行に、美憂は対応しきれなかったのだろう。逆上して金属バットで襲い掛かって来る美園は空手でも対処できず、最終的に頭に一撃を受けて昏倒。その後は榊原の推測通り、それを見ていた清香が現場から去ろうとした美園を射殺し、その後現場に倒れていた美憂も……
「最初に言った通り、これはあくまで状況から見た僕らの推測に過ぎません。でも、大きく外れているという事はないと思います」
「……でしょうね。私も、君の話は概ね正しいと判断します」
榊原もそう言って陽一の考えを肯定した。
「とにかく、彼女が殺されても僕たちにできる事は何もありませんでした。もう、涼宮事件の決着をつけるとか、それどころではなくなってしまった。表向き関係ない事になっている以上、彼女が殺されたというのに、僕たちはこの家にこもって事件の推移を見守る事しかできなかったんです。歯がゆかったですし、悔しかったですし、何より彼女を巻き込んでしまった自分に腹立たしかったし、にもかかわらず何もできない事がとても情けなかった」
「……だから、手原岳人を通じてネット越しに私と接触し、事件の情報を得ようとした、という事ですか」
榊原の指摘に、陽一は頷きを返した。
「えぇ。このまま何もできずに黙って見ているだけなのは耐えられませんでしたから。思い切って接触してみようと思ったんです」
「君は以前からネット上で手原岳人と繋がっていたわけですね?」
「はい。彼が中学に進学して不登校になった頃に。もちろん、僕が健介や美憂と繋がっている事は隠した上で、ですけど。秘密を知る人は少ない方がいいですからね。僕としても、僕の自殺未遂に巻き込んで彼の人生を歪めてしまった負い目はありましたし、感情的な面を除いても、リアルタイムで村の様子を知れる彼との繋がりはとても有益なものでした」
そこまで言ってから、陽一は自嘲気味に笑った。
「でも、失敗しましたよ。あなたとチャットで接触するにあたって、僕がここにいる事がばれないように発言にはかなり注意したつもりだったんですけど、それでも探偵さんの事を甘く見ていたみたいです。まさか、あの程度の発言で気付かれるとはさすがに思いませんでした」
「それが私の……探偵の仕事ですからね」
榊原は短くそう答え、陽一は静かに首を振った。しばし、両者の間に何かの余韻のような無言の時間が流れる。
「……いずれにせよ、事件は終わりました。これから君たちはどうするつもりですか?」
単刀直入な榊原の質問に、陽一も素直に答えた。
「美憂の葬儀が済み次第、村の人に気付かれないうちに村を出ますよ。僕自身は見ている事しかできなかったけど、今回の一件で、僕たちにとって呪縛だった涼宮事件に決着がついた事は事実ですから。もうこの村に用はありませんし、これ以上関わりたくもない。美憂の冥福を祈った後は、彼女の分まで自分の人生を生きるつもりです。彼女も多分、それを望んでいると思いますから」
「……そうですね。それが一番、いいのかもしれませんね」
そう言うと、榊原はその場で立ち上がった。
「私の話はこれで終わりです。後の事は君たち自身の判断に任せます」
「僕たちを警察に突き出さないんですか?」
陽一が何かを試すかのように尋ねるが、榊原は涼しい顔で首を振る。
「必要ないでしょう。さっきも言ったようにこの蝉鳴村で起こった事件にはすでに決着がついていますからね。もちろん、君たち自身が自責の念に駆られて自ら警察に話をしに行くというなら止めはしませんが、その辺も含めて、君たちの判断に任せると言っているんです」
「……そう……ですか……」
陽一はそれだけ言うと、何を思ったのかおもむろに柾谷共々深々と頭を下げた。榊原はしばらくそれを見ていたが、やがてこちらも小さく一礼し、そのまま亜由美と共に部屋を出て行ったのだった……。




