表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第三部 解明編
36/57

第十九章 狂気

「負けちゃいましたねぇ。私、これでも頑張って考えたんですけど、プロって凄いですね。さすがは、葛原のお兄ちゃんを追い詰めた探偵さん。あーあ、私なら葛原お兄ちゃんを超えられると思ったんですけどねぇ……。計画ってうまくいきませんね」

 本性を現して早々、イキノコリ事件の犯人・葛原光明の名が飛び出し、榊原たちに緊張が走った。

「それが君の本性かね?」

「そうですよぉ。やっと演技から解放されて清々しました。人間、自分の素を出すのが一番ですよねぇ。あの演技、結構疲れるんです。葛原お兄ちゃんは凄いですよねぇ。」

「やはり、君と葛原には繋がりがあったのか?」

「そうなりますねぇ。私にとっては大切な人です。私にこの村の真実を……私をこんな目に遭わせて、涼宮お姉ちゃんまで殺したのがあの人たちだって事を教えてくれた人。本当はこの復讐には葛原お兄ちゃんにも協力してほしかったんだけど……死んじゃったら仕方ありませんよね。私が一人でやるしかないですよね」

 彼女は涼宮玲音の事も「涼宮お姉ちゃん」と親しげに呼んだ。どうやらここに隠された人間関係が存在したようだ。

「まず確認しておこう。君の脳障害……本当の所はどうだったのかね? 最初から演技だったのか、それとも途中で治ったのか」

 榊原の慎重な問いかけに、清香はあっさりと答えた。

「それは最初から演技だった方ですねぇ。私はあの事故の時から障害でも何でもありません。私は私。ただ、お医者さんからそういうふりをしておけって言われたから、仕方なく演技をしていただけです」

「お医者さんというのは、診療所の先代所長・沖本吉秀氏の事だな?」

「はい。今思うと、あの人は村の状況と、私がこんな事になった理由に心当たりがあったんだと思いますけどね。ただ、当時の私はその辺の事をよくわかっていませんでした。あの自動車の事故も、本当に事故だと思っていたくらいです」

 どうやら、清香が演技を続けていたのは巫女をめぐる争いの事情を知っていた先代の沖本医師に言われたからという事らしい。実際、それがあったからこそ、美作清香は今に至るまで元巫女という身分にもかかわらず村の権力者たちから目を付けられる事はなかったわけで、彼の懸念は当たった形になっていた。

「その事故の事だが、実際の所はどうだったのかね? 十年前、車の中で何があった?」

 榊原の問いかけに、清香は十年越しの真実を初めて明かす。

「難しい話じゃありません。お母さんの運転で山道を走っていたら、急にブレーキが利かなくなって、そのまま道路から崖に飛び出してしまったんです。私が覚えているのはそこまでで、その次の記憶は、診療所のベッドの上で横になって天井を眺めている所まで飛びますね」

「そして、沖本医師の指示で、脳障害の演技をする事になった」

「そういう事になりますねぇ」

 清香はあっさりとそんな言葉を返す。一方、榊原からするとここからが本番だった。

「君と涼宮玲音の関係は? 彼女がこの村に来てから涼宮事件で死亡するまで三ヶ月程度しかないわけだが」

 その問いに対し、清香は隠されていた事件の裏の側面について語り始めた。

「涼宮お姉ちゃんは、表向きは事故で『あんな状態』になっていた私の事を心配してくれて、よく私に会いに来てくれていたんです。私、とっても嬉しかったんですよぉ。こんな体になってから、お父さんとお医者さん以外で私に近づいてくる人なんかいませんでしたから」

「……だろうな」

 その状況が予想できるだけに、榊原も厳しい表情を浮かべて短く言葉を返す。

「涼宮お姉ちゃんの方も、この村に来てからずっと孤独だったみたいです。だから、自分と同じ孤独な私の事を気にかけて、声をかけてくれたみたいでした。私、そんなお姉ちゃんの事が大好きだった。お母さんがいなくなってから、初めて心の底から信頼できる人間ができたんです」

「涼宮玲音は、君が本当は演技をしている事に気付いていたのかね?」

 榊原は慎重に問いかけを続ける。が、その問いに対しては清香はゆっくりと首を横に振った。

「気付いていなかったと思います。でも、だからこそ涼宮お姉ちゃんは私に何でも話してくれました。この村に来るまでに自分に何があったのかも、そして今の自分がどんな立場にいるのかも」

「だが、しばらくして涼宮玲音の周辺はきな臭くなった。彼女が次の巫女候補に選ばれ、巫女の座を巡る裏の争いが始まったからだ」

 榊原の指摘に、清香は頷いた。

「涼宮お姉ちゃんは自分が巫女候補になった事は話してくれたけど、その巫女の座を巡って裏の争いがある事をわざわざ私に言わなかったし、私もそれに気付く事ができませんでした。……今にして思えば、お姉ちゃん、薄々感じていたのかもしれませんね。村の中に巫女の座を巡る不穏な空気がある事とか、私が巻き込まれた事故がその巫女争いの延長で起こったかもしれない事、私がそれに気付いたら困る人がいて、下手したら私がまた被害に遭うかもしれない事も。実際、お姉ちゃんもその頃その巫女争いの延長であいつらに嫌がらせをされていたみたいだし」

「あいつらというのは、堀川頼子、安住梅奈、雪倉美園の三人かね?」

「そうですよぉ。もっとも、その事を知ったのは随分後の話ですけどねぇ」

「左右田常音はいじめに加担していなかったという事でいいのかね?」

「私の知っている限りだと、常音さんは本当に玲音お姉ちゃんの友達だったみたいです。彼女の事は玲音お姉ちゃんからも何度か聞いていましたけど、心の底から本当に楽しそうに話していましたから。そうじゃなかったら、今の今まで常音さんを生かしたままにしておくわけないじゃないですか」

 さらっと無邪気にそんな怖い言葉を発するが、これで、涼宮玲音に対するいじめを行っていたのが堀川頼子たち三人だった事が事実上立証された形となった。

「いずれにせよ、そんな状況の中で突然涼宮玲音は殺された」

 榊原の言葉に、清香は一瞬だけではあるが寂しそうな顔をした。

「そうです。こう見えて私、凄く悲しかったんですよぉ。どうしたらいいのかわからなくなっちゃった。犯人だって人はすぐに捕まったし、私も最初はその人が犯人だと思っていましたけど……裁判でその人は無罪になってしまいました。こっそり裁判の記録を調べたら、その加藤って人が間違いなく無罪だって事は素人の私でも簡単にわかりました。あの槍の重さは、巫女をやってた私がよく知っていましたから。それと一緒に、この村が加藤って人に罪を着せるために私でもわかる小細工をしていた事も知った。……この辺りからかなぁ。私がこの村の上の人たちがおかしいって思い始めたのは」

 それでも、最初はうっすらとした疑問に過ぎなかったらしい。だが、その疑問を決定的にしたのが、事件を調べるためにこの村を訪れた大学院生時代の葛原光明だったのだという。

「葛原お兄ちゃんは私の宿を拠点に色々調べていたみたいでしたけど、その中で私と触れ合ううちに、私が演技をしている事に気付きました。その辺り、葛原お兄ちゃんは間違いなく頭がよかったです。でも、そんな葛原お兄ちゃんでも、あの時点では事件の真相を明らかにする事はできませんでした。当然ですよね。巫女争いの事について知らないと、あの事件は絶対に解けない構図になっていたんですから。だけど、それでも葛原お兄ちゃんはあの事件に何か裏があるんじゃないか、その裏に村の暗部が関わっているんじゃないかっていうところまでは見抜いていましたし、そんな話をこっそり私にもしてくれました。私も、葛原お兄ちゃんの話を聞いてそう思うようになりましたし、葛原お兄ちゃんが調査をするうちに、私以外にもお兄ちゃんの話を真剣に考える人が出てきたんです」

 その言葉に柊達はざわめき、榊原が代表して尋ねる。

「君には葛原以外にもう一人協力者がいたと?」

「はい」

「それは一体、誰だね?」

 続けて発せられた人名は、予想外のものだった。

「涼宮お姉ちゃんのお父さん……涼宮おじさんです」

「涼宮清治……だと」

 それは、涼宮事件において加藤の有罪を主張し続け、裁判で加藤の無罪が確定した後に村から姿を消したという被害者遺族……涼宮玲音の父親だった。

「しかし、涼宮清治は加藤有罪説の急先鋒だった人物のはず。それが何で……」

「おじさんも裁判を聞くうちに、何かおかしいって思うようになっていたみたいです。当然ですよね。私だっておかしいと思ったくらいなんですから。被害者遺族だったから表立って言う事はできなかったけど、加藤って人の無罪が確定する頃には、おかしいのは村の方じゃないのかって考えるようになっていたそうです。そんな時に葛原お兄ちゃんがこの村にやって来た。それで、調査の一環で涼宮おじさんにも話を聞いていたそうですけど……お兄ちゃんと話すうちに、おじさんも事件の真相の根幹が加藤さんじゃなくて村の方にあるんじゃないかって本格的に疑うようになったみたいですね。お兄ちゃんも村側の協力者をほしがっていたし、おじさんの方も外の視点からもう一度この事件を調べ直してみる気になった。だから、葛原お兄ちゃんと涼宮おじさんは手を組んだんです」

「手を組んだ?」

「一緒にこの事件を調べようって。そして、葛原お兄ちゃんの判断で、私が治っている事も涼宮おじさんに教える事になりました。おじさん、びっくりしていたなぁ。でも、私の話を聞くうちにおじさんもこの村に裏の部分がある事がわかったみたいでした。多分、話を聞いて私の事故も仕組まれたものなんじゃないかって考えたんだと思いますけど」

 なんと、涼宮清治は彼女がすでに治っている事を知っていたのだという。つまりこの段階で、清香、葛原、清治の三人が涼宮事件をめぐる協力関係になったという事だ。

「葛原お兄ちゃんは村の人間じゃないし、滅多にこの村にくることはできない。実際、お兄ちゃんがあの村にいたのは五日くらいだったはずです。だから、村の中の事は私と涼宮おじさん、村の外の事は葛原お兄ちゃんが調べる事になりました。でも、私は立場上表立って調べるわけにはいかない。当然ですよねぇ。だって、まだ治っていないふりをしているんだから。だから、村の事は涼宮おじさんが中心に調べる事になって、互いの連絡はお兄ちゃんとおじさんの間でとって、それをおじさんから私に教える事になったんです。そういう約束をして、お兄ちゃんは村から帰って行きました。でも……そんな私たちの計画は、すぐに最悪の形で崩れる事になっちゃったんです」

 その言葉に、榊原はすぐに反応した。

「確か大津留巡査の話では、裁判が終わってすぐ、涼宮清治は村から出て行った事になっていた。大津留巡査は裁判で加藤が無罪になった事に失望したからだと言っていたが、今の話が正しいなら清治に村を出る理由など存在しない。いや、むしろ村にとどまろうとするはずだ」

「うん。涼宮おじさんが消えたのは、葛原お兄ちゃんが帰ってすぐの事だったんです。村ではさっき探偵さんが言っていたみたいに『裁判で負けた事に失意して引っ越した』事になっていたけど、私は信じなかった。そんな気がなかった事は私が一番よくわかっていたし、私に連絡もなくいなくなるのはおかしかったから。だからすぐにわかったんです」

 そして、清香は不気味に笑いながら言う。

「誰かが事件の裏を探られるのを恐れて、先手を打って涼宮おじさんを『消した』んだって、ね」

 その告発に、柊たちはどよめく。

「君は……涼宮清治が殺されたというつもりなのか!」

「それ以外考えられませんよね? 探偵さんはどう思います? 私の考え、突飛だと思う?」

 あくまで朗らかに、それでいながら挑むように言う清香に対し、榊原は少し黙り込んだ後、あろう事か同意するように頷いた。

「実の所、私も涼宮清治が何らかの理由で消されているかもしれないとは思っていた」

「な、なぜですか!」

 亜由美の叫ぶような問いに榊原は重苦しい声で答える。

「涼宮家の廃屋の中を調べた上での結論だ。あの廃墟、事件当時の涼宮家の状況そのまま……すなわち、家具や食器などの日常品がそっくりそのまま残されていた。だが普通、引っ越すという事になればこうした備品は一緒に持っていくのが筋のはずだ。百歩譲って備品を置いたまま引っ越したとしても、少なくとも殺人事件で失った娘の遺品を持っていかないのは明らかにおかしい。失意で去ったというなら二度と村に戻る気はないという話になるからなおさらだ。二度と戻るつもりのない場所に大切な遺品を置きっぱなしで、しかもその後手入れする事もなく放置状態で廃墟化させるというのは違和感があった。これはつまり、涼宮氏の失踪は引っ越しなどではなく、本人の意思に反した突発的なものだったと言わざるを得ない。そしてそれは、涼宮氏が何者かに消されたからという理由も充分に想定できた。もっとも、証拠はなかったから断言はできなかったし、何よりあの時はこんな裏事情があった事など知る由もなかったから、彼が消された動機を推測できず、いったん推理を棚上げする他なかったんだがね」

 だが、裏の事情が明らかになってみれば、涼宮清治が消された理由……そしてそれをしたのが誰なのかというところまである程度推測ができた。

「恐らく、涼宮事件の真相を調べている事が露呈して、事件の隠蔽に関与した人間に口封じ目的で消されたというのが妥当だろう。涼宮事件の真実は絶対に明らかにするわけにはいかなかったわけだからな。たとえそれが村の人間でも容赦はしなかったはずだ」

「隠蔽に関与した人間……という事は、犯人は……」

「今回の事件で殺された堀川家、安住家、雪倉家の人間……もしかしたら左右田村長も絡んでいるかもしれないが、恐らくこの辺りの誰かと見るのが妥当だろう。構図は美作清奈、清香親子を事故に見せかけて殺そうとした事件とほぼ同一だ」

 榊原の言葉に、清香は嬉しそうに頷く。

「凄いですねぇ。さすがはプロの探偵さんですよねぇ」

「裏の事情を知っていた君は、清治氏の失踪の真実にいち早く気付く事ができた。もっとも、清治氏を消した側としては、君と葛原光明が清治氏と協力関係にあった事までは知らなかったはずだがな」

 だからこそ、清香は助かる事ができた。そして、清治がいなくなってしまったため、村での調査ができるのは清香一人だけになってしまったのである。

「だから、村の事を調べられるのは私一人になっちゃいました。でも、葛原のお兄ちゃんと連絡を取り合うはずだった涼宮おじさんがいなくなっちゃったから、私から葛原お兄ちゃんに連絡を取る事ができなくなっちゃったんです。お兄ちゃんも下手に私に連絡を取って、私が怪しまれて涼宮おじさんみたいに消される事を気にしたみたいで、私と葛原お兄ちゃんのつながりは完全に切れちゃいました。それに後から知った事だけど、この時は葛原お兄ちゃんも色々あって、自分の目の前の生活を送る事で精一杯で、あまりこっちの事を考える余裕がなくなっていたみたいです。でも、私は諦める気はなかった。私、頑張ったんですよぉ。治っていないふりをしながら、少しずつ色々調べたりして……でも、やっぱり私だけじゃ限界があった。ただでさえ車椅子で行動に制限があるし、下手に調べ過ぎて怪しまれたら、私も涼宮のおじさんみたいに消されちゃうかもしれなかったから。でも……その状況が変わったのは、一年くらいして葛原お兄ちゃんがあのノートを送ってきたからでした」

「……『小里ノート』か」

 葛原がこの村を訪れた約一年後の二〇〇四年六月、葛原は東京都の奥多摩にある旧白神村で、日本犯罪史にその名を残す大量殺人事件を引き起こしていた。どうやらそれは、葛原が事件を起こしてから榊原との推理勝負に負けて逮捕されるまでの数日間の間に送った物らしい。

「ノートはうちの旅館宛てに送られてきました。音信不通になって一年くらい経っていたし、今になっていきなり、それもこんな直接的で危険が高い方法で接触して来たのか私にはわからなかったから最初は戸惑っちゃいました。でも、中を読んでみてびっくりしましたよぉ。ノートと一緒に手紙も入っていて、そこに全部書いてあったんです。あの後色々あって、人生に追い詰められた葛原お兄ちゃんが東京の山奥の廃村で別の大量殺人事件を起こしちゃった事。その時殺した相手の中に偶然涼宮お姉ちゃんの事件を調べていた記者さんがいて、その記者さんのノートの中に涼宮お姉ちゃんの事件についてのヒントになるかもしれない事が書いてあった事。完璧に近いトリックを仕込んだし、捕まらない努力はし続けるつもりだけど、万が一の可能性として将来的に自分が捕まる事態がないとは言えない事。だから、自分が捕まる前にお兄ちゃんが調べた事と問題のノート、ノートを読んだ上で考えた事件の考察を私に送る事にしたって事……」

「……そこで君は、涼宮事件の背後に巫女争いが絡んでいる可能性がある事。そしてその有力容疑者に、今回の被害者たちが絡んでいる可能性がある事を知った」

「うん。あのノートは事件の真実が明らかになる最後のピースになりました。お兄ちゃんの推理は的確だったし、私もお兄ちゃんがした推理に間違いはないと思ったんです」

 清香は頷くと、凄惨な笑みを浮かべてその視線を榊原に向けた。

「葛原お兄ちゃんは捕まる気がなかったみたいだし、手紙を読んだ限りずっと罪を逃れ続けられると思っていたみたいだけど、現実は甘くなかったみたいですねぇ。手紙が来てから何日も経たないうちに、お兄ちゃんが警察に捕まったってニュースが流れたんです。でも、本当は探偵さんですよね? あのお兄ちゃんを追い詰めて、死刑台に送り込んだのって」

「……」

 榊原は答えない。が、清香はそれを肯定と受け止めたようだった。

「それでね、お兄ちゃんは手紙の最後にこう書いていたんです。これだけの事件を起こした以上、もう怖いものは何もない。村に復讐するなら協力するけど、それには今度こそ自分も協力する。だから、私一人だけで復讐に走る事は絶対にやめてくれってね。でも多分、これは私が殺人に手を染めないためにお兄ちゃんが仕込んだものだったんじゃないかって今なら思います」

「仕込み……」

「今だからわかるけど、あの大量殺人を犯して人目を避けなきゃならないお兄ちゃんが私に協力できるとは思えないんですよねぇ。だから、仮に捕まらなかったとしても、お兄ちゃんは村に来なかったと思います。あの手紙は全てを知った上で、私に殺人をさせないため牽制の意味で送ったんじゃないかなぁって思うんです。もしかしたら、自分が大量殺人をしてその苦しみを知った事で、私に同じ境遇になってほしくなかったのかもしれないけど……まぁ、実際の所はお兄ちゃんが死んじゃった今となってはわからないんですけどね」

「……」

「それでもね、私はこの手紙の指示を守る事にしたんです。手紙に書いてあったことはあくまでお兄ちゃんの推測だったからちゃんと裏付けを取る必要はあると思ったし、悔しいけど、この体じゃできる事に限りがあるのは本当だったから。でも、私は村への復讐を忘れた事はなかった。表向き無邪気なふりをしながら、頭の中で私でもできる復讐方法を毎日毎日考え続けてきたんです。時間だけはたっぷりあったから、アイディアはたくさん出てきた。私はそうやって、お兄ちゃんとの約束を守り続けていたんですよ」

 でも、と清香は続けた。

「お兄ちゃんは死んじゃった。絶対に生きて協力するって言っていたお兄ちゃんだったけど、結局助からずに死刑になっちゃった。お兄ちゃんが死んじゃったんなら、もうあの手紙を守る意味もないですよね。だから私、お兄ちゃんが死んだその日に、ずっと我慢し続けてきた復讐を実行に移す事にしたんです。それで私、あのノートをお兄ちゃんがいた拘置所に送り付けて、今までずっと頭の中に温め続けていた計画を実行に移す事にしたんですよ」

「つまるところ今回の事件、動機はやはりこの村に対する復讐、という事かね」

 榊原の確認に、清香は頷いて肯定する。

「そうなりますねぇ。お母さんと、涼宮お姉ちゃんと、涼宮おじさんと、そして何より、私をこんな体にした事への復讐ですねぇ。今まで好き放題してきたんですから、こっちが好き放題しても許されると思うんですよ。そう思いませんか、探偵さん?」

 清香は歌うようにそう言って、絶句している一同を前に話を続けた。

「話を戻しますけど、ノートを送ったのにはそれで警察にこの村に対する警戒心を抱かせて、事件が起こった後で警察に涼宮お姉ちゃんの事件を調べざるを得ない状況にしたかったっていうのもあります。警察が最初から警戒していたらいくら村の上の人たちが頑張った所で隠蔽なんかできないだろうし、今回は隠蔽なんかさせるわけにはいかなかったから。それに、私は警察がいくら警戒していてもこの復讐を成し遂げられるだけの自信があったしね」

 その辺りは、榊原が以前した推理通りだった。

「それに、村に警察関係者を呼び込む事で、堀川頼子に対する第一の脅迫を成功させやすくする狙いもあった」

「あ、やっぱりそれも気付いていたんですねぇ。やっぱり凄いなぁ」

「つまり、君はやはり岐阜市で起こった天田県会議員襲撃事件の犯人が堀川頼子だという事を知っていたという事だね?」

「もちろん。知っていたからこそ、今回の計画を思いついたわけですし」

「では聞くが、問題の天田議員の財布はどこに? さすがの私もそこまではわからなかったのだがね」

 単刀直入な榊原の質問に、清香の方もあっさりと答えた。

「このお寺の前の墓地の一角にある放置された墓石の中です。夏に帰ってきた時に、こそこそ隠しているのを偶然散歩中に見かけたんです。私が見ているのにも気付かず、必死に隠していましたよ。というか、私の事なんか眼中になかったんでしょうね。せいぜい、その辺の景色の一部とでも思っていたんじゃないですか? 大半の村の人間と同じで」

 最後はどこか皮肉を込めた言葉だったが、榊原はあえて反応せずに話を先に進める。

「ところで、どうやって堀川頼子を脅迫した? 電話を使って直接脅したとは考えにくいから、恐らく手紙のようなものだとは思うが」

「確かに手紙みたいなものですねぇ。パソコンで印刷した脅迫文を、あの子が墓石の中に隠しておいた財布に添えておいただけですから」

 清香は何でもない風に言い、榊原は一層険しい表情を浮かべる。

「そういう事か」

「財布を見つけた時点で、あの子がこの村に帰ってきたら、必ず一度は隠し場所を確認するだろうなぁと思っていました。半年間も村を離れていたわけですから、ちゃんと隠した場所にあるかどうかは気になるはずですし。だから、そこにメッセージを置いておいたらあの子は必ずそれを読むと思いましたし、実際にあの子は村に帰ってきてすぐに堀川家の屋敷を抜け出して財布の隠し場所に向かったんです。私のメッセージ、ちゃんと読んでくれたみたいですねぇ。正直、ここまで私の指示通りに動くとは思っていませんでしたよぉ」

 そう言ってから、清香はふと榊原の方を見やってこう告げる。

「でも、よく私が書いた文面をあそこまでちゃんと予想できましたよねぇ。びっくりしちゃいました」

「さっき私が言った文面に間違いないのかね?」

「さすがに多少の違いはありましたけど、内容自体は不気味なほどに同じでしたよぉ。それに、その後の流れもほとんどその通りだったし、探偵って怖いんですねぇ」

 楽しそうにそう言いながら、清香は言葉を紡いでいく。

「その後の事件についても全部そうですよぉ。何から何まで全部ぴったり当ててしまって、私から説明する事なんかもう残っていないくらいです」

「私の推理に間違いはないと?」

「ないですねぇ。大きいミスをしたつもりはなかったんですけど。本当、どうしてあそこまで細かい所までわかっちゃうんですかねぇ。神社の遺体焼却炉をあそこまで早く見つけられてしまったのも想定外でしたし、そのせいで堀川頼子に全部の罪を着せる計画が全部台無しになってしまいましたから。おまけに私にまで話を聞いてくるし、少しでも推理を外せないかと思って適当な事を言ってみたけど、さっきの推理だと大した妨害にもなっていなかったみたいだし……本当、探偵さんがこの村に来た事が、私にとっての最大の想定外でした」

 その瞬間、一瞬だけではあるが清香の目の奥から鋭い何かが放たれたように亜由美には見えた。が、榊原はそれを受け流すように応じる。

「それはどうも」

「他に何か聞きたい事はありますか? 今なら何でも答えますよぉ」

「じゃあもう一つだけ。君のお父さん……美作頼元を殺害しようとした理由は何だ? 彼は君に何もしていないし、何より君の実の父親じゃなかったのかね?」

「あぁ、お父さん、もう見つかったんですか」

「答えてもらおうか」

 靜かな、しかしどこか威圧感のこもった榊原の問いに対し、清香は思いもよらぬ事を告げた。

「探偵さんのせいですよぉ」

「私の?」

「さっきも言ったけど、探偵さんの実力は、私の想定を超えていました。ばれない自信はありましたけど、それと同じくらい、探偵さんに全部暴かれてしまうかもしれないっていう怖さもあったんです。それに予定外の地震まで起こっちゃって、どこで計画に破綻が起こってもおかしくなくなっていた。だから、ばれた時の事を考えなきゃいけなくなっちゃったんです」

「それで?」

「私がこれだけの大量殺人をした事がばれたら、お父さんもただじゃすまないじゃないですか。世間的にもそうですし、村の人たちからも確実に睨まれちゃうのは明らかでした。だから、そんな苦しみを味わう前に被害者の一人になった方が、お父さんにとっても幸せなのかなぁって思ったんですよぉ」

「……そんな理由で、自分の父親を殺そうとしたというのか?」

「そういう事ですねぇ」

 その言い草に、亜由美は思わず背筋がゾッとした。彼女の考え方は根本的に歪んでおり、しかも本人は本気でそれを良い事だと思っている。はっきり恐怖しか感じない考え方であり、同時にここまで彼女を歪めてしまったこの事件の闇の深さに、亜由美は改めて戦慄する事となった。

「まるで、都井睦夫といむつおの思考だな」

 榊原が押し殺した声でそう呟く。聞きなれない名前に、亜由美は首を傾げた。

「都井睦夫って、誰ですか?」

「横溝正史の小説『八墓村』のモデルになった『津山三十人殺し』と呼ばれる大量殺人事件の犯人の名前だ。一九三八年に起こった日本史上最悪の被害者数を出した殺人事件で、事件名の通り三十人もの被害者を出した事で知られているが、その最初の犠牲者は都井睦夫と同居していた彼自身の祖母だった。で、その殺害理由というのが、簡単に言うと『自分が大量殺人を起こすのに、彼女だけ生き残っていても不憫だから』というものでね。この男はそんな考え方で二歳の頃から彼を育ててくれた祖母の首を切り落として殺害し、その後、二十九名の村人を惨殺した」

 亜由美はもう、何も言う事ができなかった。目の前にいる少女は、そんな日本の歴史にその名を残すシリアルキラーと同じ思考をしているのである。

「でも、その言い方だと、お父さんは助かったみたいですね?」

「あぁ。意識こそないが、発見も早かったし、恐らく助かるだろう」

「ふーん、それは残念。失敗したなぁ。やっぱり、焦ってやるのは良くないって事ですね」

 自分の父親の話だというのに、清香は朗らかに笑いながらそんな事を言う。

「父親に手を出したという事は、その時点で今日中に最後の標的……つまり、堀川盛親を殺害する事を決めていたという事かね?」

「そうですよぉ。私、ちゃんと次の事件の準備もしていたんです。でも、それを実行する前にこの男が勝手に動き始めちゃって、どこへ行くのかなぁって思ってつけてみたらここへ来たから、ちょうどいいかなぁって思って計画を切り替えたんです」

 その幻となった元々の犯行計画がどのようなものだったのか亜由美は多少気になったが、今までの傾向から考えると、関係のない他人を巻き込む事もいとわない残酷な計画だったのではないかとも感じた。

「でも、殺す前にこうして取り囲まれて全部暴かれちゃったのはさすがに計算違いでしたねぇ。ばれる前に全部済ませたいと思っていたけど、一歩遅かったかなぁ。まぁ、どうでもいいけど」

「どうでもいい?」

「うん。だって、どれだけ邪魔されたって、この男がここで殺される事に変わりはないんですから」

 そう言うや否や、清香は改めて拳銃の銃口を盛親に向け、おもむろに引き金に指をかけた。その場に緊張が走る中、清香がはにかみながら歌うように宣告する。

「そういうわけで、楽しいお喋りはこれでおしまいです。じゃあ、そろそろ幕引きかな。この男さえ殺せたら私の目的は達成されますから、さっさと終わらせてしまいましょう」

 実質的な死刑宣告ともとれる言葉に、盛親は顔をぐしゃぐしゃに歪めながら情けない声を上げた。

「や、やめ……助けて……」

「やめなーい」

 楽しそうにそう言いながら、清香は無造作に引き金を引こうとし……

「やめろ!」

 と、榊原が鋭く一喝し、清香の手が止まる。そして無言のままゆっくりと榊原に視線を移した清香に対し、榊原は慎重な口調で話しかけた。

「君が他の関係者を皆殺しにしてしまった以上、今となってはこの男だけが涼宮事件の全貌を知る唯一の証人だ。ここでこの男まで殺してしまえば、涼宮事件の全貌解明はほぼ不可能になってしまうぞ」

 だが、清香は動じなかった。

「別にいいですよぉ。事件の真相が世間に受け入れられるとかもうどうでもいいですし、これは私が満足できるかどうかだけの話ですから」

「……ならば、君の協力者だったという涼宮清治氏の殺害、その究明にその男が必要だと言ったらどうだね? ここでこの男を殺せば、清治氏の行方は永久にわからなくなってしまう。それでもいいのか!」

 この言葉を聞いて、ようやく清香の態度が少し変わった。

「涼宮おじさん、ですか?」

「そうだ」

「それは聞き捨てなりませんね。それじゃあ、探偵さんはこいつらが涼宮おじさんをどうやって殺して、そしてどこに隠したかもわかっているって事ですか?」

「そのつもりだ。ただし、確証を得るためにはこの男の証言が必要だ。だから、死なせるわけにはいかない」

「ふーん、ちょっと興味深いですね。涼宮おじさんの件については私にもよくわからないままでしたから。じゃあ、教えてくださいよ。こいつらが涼宮おじさんをどこにどうやって隠したか……その方法について」

 清香の挑発めいた挑戦に、榊原は受けて立とうと口を開く。

「いいだろう。それは……」

 だが、その瞬間だった。誰もが……それこそ榊原や清香も予想していなかった事が起こり、二人の対決は中断せざるを得なくなってしまった。


 突然、地面が小刻みに揺れ始め、周辺一帯が囂々(ごうごう)と唸りを上げるような音を響かせたのである。


 いきなりの事態に誰もが一瞬ギョッとした表情を浮かべたが、次の瞬間には、榊原がこの異変の正体を看破していた。

「また地震か!」

「余震ですか?」

 しかし直後、ドンッと突き上げるような振動が響くと同時に、地面が昨日以上に激しく揺れ始めた。とても余震などというレベルではない。門の外の墓地では多くの墓石が倒れるのが見え、さらに山の方からは木々が倒れる音や土砂崩れの音がはっきりと聞こえてくる。

「いや、今朝より大きいぞ!」

 その瞬間、榊原は今朝方起こった地震が『前震』に過ぎず、今まさに起こっているこの揺れこそが今回の地震の『本震』である事を悟ったようだった。揺れは非常に激しく、もはやその場の誰もが立っている事すら難しいほどである。が、その間にも事件は刻一刻と大きく動いていた。

「ひ、ひえぇぇっ!」

 清香の足下にいた盛親がそう叫びつつも、今が逃げるチャンスだと思ったのか、血が流れる足を必死に引きずりながら榊原たちのいる方へ必死に這いずってくる。清香は反射的に拳銃を盛親の方へ向けたが、激しく揺れる大地のせいで狙いが定まらず、さらに自身の車椅子の操作にてこずっている間に、盛親は何とか柊のいる場所まで到達した。

「堀川さん、後ろへ!」

 柊はそう叫ぶと、揺れる大地に足を必死に踏ん張って盛親と清香の間に入る。やがて揺れが収まってくると、柊と清香は互いに銃を向け合って対峙した。

「銃を下ろせ! 下ろさないなら容赦なく撃つ!」

 柊の言葉に対し、しかし清香も負けじと笑みを浮かべながら豪語する。

「やれるものならどうぞ。その前に、その足元で震えている男に銃弾を撃ち込むだけです」

 その間にも、他の刑事たちも次々と銃を構えるが、清香は全く動じない。榊原も、事態がこうも急転してしまっては柊たちに任せる他ないようで、黙って彼らの様子を見守っている。

 その場が硬直状態に陥る中、しかし、この事件は予想外の方向へと、誰も気付かない中で大きく動き出そうとしていたのだった……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
こうしてみると葛原も本人の気質的にありえはしないものの、榊原さんの足元くらいには優秀な探偵能力あるんだよな。 邪悪でなければあるいはもっと、自欲を満たしつつ人の助けになれる人生もあったのかもしれん。
 やはり、今回の事件の犯人は「実行犯」に過ぎなかったんですねぇ。 そしてその背中を押したのは「イキノコリ」の犯人。  ・・・でも本当にそれだけ、なのか? ヒントとして考えられるのは犯人への『小里ノート…
2025/09/28 10:53 ヘイスティングス
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ