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蝉鳴村殺人事件  作者: 奥田光治
第一部 訪村編
12/57

『葛原論文』 事件の考察~4

4 扇島証言について

 この扇島証言に関しては、加藤氏が無罪だったと判明している現状、いくつかの解釈が可能であると考える。それらについて一つずつ検証していきたい。

 まず考慮すべきなのは、根本的に扇島老人が嘘をついてでたらめな証言をしていた可能性はないのかという点である。これまでの論争は全て、何を見たかについてはさておき、扇島老人の目撃証言自体は事実である事を前提としている。しかし、扇島老人が午後六時半頃に神社に入る男女二人組を見たという証言は、言い方は悪いが扇島老人の自己申告に過ぎない。この証言自体が扇島老人の虚偽である可能性は本当にないのだろうか。

 もし仮に、扇島老人が意図的に虚偽の証言をしたとした場合、その動機は何なのだろうか。考えられる可能性としては、扇島老人が何らかの理由で加藤氏に対する悪意を持っており、自身が虚偽の証言をする事で加藤氏を犯人に陥れる目的があったとした場合である。ただ、私見ではあるが、現実的にこの考えはあり得ないと考える。もし本気で加藤氏を陥れるつもりであるならば、「男女が神社に入って行った」などという曖昧な証言ではなく、「加藤氏が被害者の涼宮玲音を連れて神社に入って行った」とはっきり言えば済む話だからである。この状況で意図的に曖昧な証言をするメリットは扇島老人には存在しない。以上の簡単な考察からではあるが、私はそれが誰だったのかは別として、扇島老人が事件当時に男女のペアを目撃したという証言自体は正しい事を言っていると判断する次第である。

 では、扇島老人が「午後六時半頃に神社に入っていく男女を目撃した」という証言自体が真実だったとした場合、この男女二人組は何者なのだろうか。すでに何度も述べているように、加藤氏の無罪が確定した今となっては男の方が加藤氏でない事はもはや明白であり、必然的にこの男については、現時点では「犯人かどうかもはっきりしない、正体不明の謎の人物」であると定義せざるを得ない。問題なのはもう一人の「女性」の方であり、この「女性」が「被害者の涼宮玲音」だったのか、あるいは男と同じく「正体不明の第三者」だったのかで事件の構図は大きく変わってくるはずなのである。

 そこで私は今回、この証言について考えられる可能性について論理的な思考実験を行ってみる事にした。前提として、扇島証言は事件当日の午後六時半に神社に入っていく謎の男女を目撃したというものであり、この正体不明の男の正体については、加藤氏である可能性が否定された今となっては、


 A、涼宮玲音を殺害した真犯人

 B、真犯人ではない第三者


 のいずれかだと推察できる。一方、もう一人の女性の正体についても分類が可能で、これについては、


 C、被害者の涼宮玲音本人

 D、涼宮玲音を殺害した真犯人

 E、真犯人でも涼宮玲音ではない第三者


 の三パターンのいずれかであると推察できる。すなわち、扇島証言で目撃された男女の正体の組み合わせに関しては、2パターン(男)×3パターン(女)=6パターンが存在する事になるわけだ。この六パターンというのはすなわち以下の通りである。


 ・ACパターン=真犯人(男)と涼宮玲音

 ・ADパターン=真犯人(男)と真犯人(女)

 ・AEパターン=真犯人(男)と第三者(女)

 ・BCパターン=第三者(男)と涼宮玲音

 ・BDパターン=第三者(男)と真犯人(女)

 ・BEパターン=第三者(男)と第三者(女)


 さらに、この論理においてもう一つ大切なポイントになるのが、扇島老人が謎の男女を目撃した午後六時半という時刻そのものである。この午後六時半という時刻は被害者の涼宮玲音の死亡推定時刻である午後六時から午後七時のちょうど中間時刻であり、そこから考えると、被害者の涼宮玲音がこの午後六時半以前に殺害されていた場合と、午後六時半以降に殺害された場合でこの二人組の持つ意味はさらに大きく変わってくるはずなのである。

 そこで先程提示した6パターンの条件を、さらに以下の条件で細分化する事にする。


 F、被害者の死亡時刻が午後六時半より前=目撃時に涼宮玲音は死亡

 G、被害者の死亡時刻が午後六時半より後=目撃時に涼宮玲音は生存


 すると、論理パターンとしては先述した6パターン×2パターン=12パターンとなり、状況としてはこの12パターンのうちのいずれかがあの日の神社で発生していた事になる。その12パターンとは、具体的に以下のようなものになる。


 ・ACFパターン=真犯人(男)と涼宮玲音   目撃時に涼宮玲音は死亡

 ・ADFパターン=真犯人(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 ・AEFパターン=真犯人(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 ・BCFパターン=第三者(男)と涼宮玲音   目撃時に涼宮玲音は死亡

 ・BDFパターン=第三者(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 ・BEFパターン=第三者(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 ・ACGパターン=真犯人(男)と涼宮玲音   目撃時に涼宮玲音は生存

 ・ADGパターン=真犯人(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は生存

 ・AEGパターン=真犯人(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は生存

 ・BCGパターン=第三者(男)と涼宮玲音   目撃時に涼宮玲音は生存

 ・BDGパターン=第三者(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は生存

 ・BEGパターン=第三者(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は生存


 だが、注意しなければならないのは、この12パターンの中には、論理的に考えて明らかに矛盾しているものが存在する事である。それは具体的に言うと一番目の「ACFパターン」と四番目の「BCFパターン」の二つであり、この二つは「涼宮玲音はすでに死亡しているはずなのに扇島老人が涼宮玲音を目撃した」事になってしまっている。目撃した涼宮玲音が幽霊でもない限りこんな可能性は物理的にもあり得ないはずで、この二つの可能性については議論するまでもなく排除しても問題ないだろう。従って、ここから検証すべきなのは残る10のパターンについてである。以下、それぞれのパターンについてどのような可能性が考えられるのかを一つ一つ具体的に検証していく。



①ADFパターン=真犯人(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 目撃された男女二人はいずれも涼宮玲音を殺害した真犯人であり、すなわちこの男女二人による共犯の犯行。目撃された時点ですでに殺人は実行されており、犯行後に一度現場を離れた両者が、どういう理由かは不明であるものの再び現場に舞い戻ってきた瞬間を扇島老人に目撃されてしまったというケースである。ただし、当然ながらこの場合、殺害後に一度現場を去った犯人たちがなぜ危険を冒して再び現場に二人そろって戻らなければならなかったのかという問題が浮上する事になる。


②AEFパターン=真犯人(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 目撃された男女のうち男の方が犯人で、もう一方は事件と関係ない第三者だったというパターン。犯行後に一度現場を離れた犯人が、なぜか何の関係もない第三者の女性と共に再び現場に舞い戻り、その瞬間を扇島老人に目撃されたというケースである。この場合、①と同じく一度立ち去った犯人がなぜ再び現場に戻る必要があったのかという点が問題になり、それに加えてその際なぜ第三者の女性まで一緒だったのかという更なる論点が浮上する事になる。何らかの理由で何も知らない女性が犯人と一緒に神社に行きたがったためやむなく同行したとも考えられるが、この場合、事件が発覚した後でこの女性が神社に行った旨を名乗り出ていない点が大きな問題となる。


③BDFパターン=第三者(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 基本的には②と同じで、犯人の男女が逆転しているだけのケース。男女の違い以外は②と変わらないので、詳しい説明は省略する。


④BEFパターン=第三者(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は死亡

 目撃されたのは事件とは何の関係もない第三者の男女に過ぎず、彼らが神社に向かった時点ですでに涼宮玲音は真犯人に殺害された後だったというケース。涼宮玲音の死体は社の中にあったので、不敬にも社の中を覗きでもしない限り、この謎の男女が遺体を発見できなかったとしても一応矛盾はない(もちろん、遺体を発見したのに見なかった事にして逃げ帰ったという可能性もあるが)。問題となるのは、その男女が本当に事件と関係ない人間だったとして、なぜ扇島証言が問題になった際に名乗り出なかったのかという点であり、この点は②のケースと同一の問題となろう。


⑤ACGパターン=真犯人(男)と涼宮玲音   目撃時に涼宮玲音は生存

 今までの公判で議論されてきたように、犯人が被害者を連れて神社に向かった所を目撃され、その後境内で犯人が被害者を殺害したという非常にシンプルなケース。この「犯人」の部分に「加藤氏」を代入したケースが涼宮事件の公判で争われたが、何度も述べているようにその可能性はすでに否定されている。ただ、当然ながら加藤氏以外の男がこの「犯人」の部分に当てはまる可能性は充分にあり得る。


⑥ADGパターン=真犯人(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は生存

 目撃された男女は共犯の真犯人たちで、今まさに境内にいる涼宮玲音を殺害しに神社へ向かっていた所を扇島老人に目撃されてしまったというケース。この場合だと扇島証言が問題になった際に二人が名乗り出なかった事については一応の説明がつく。ただし、当然ながらその二人組の犯人とは誰だったのかという点が大きな問題になる上に、そもそも「涼宮玲音に殺意を抱く男女のペア」などという存在が果たして存在するのか、そして仮に存在したとしてそんな特異な存在が警察の捜査で判明しなかったのかという話にもなってくる。


⑦AEGパターン=真犯人(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は生存

 目撃されたのは真犯人の男と何の関係もない第三者の女のペアで、二人が神社を訪れた後で先にそこにいた涼宮玲音を何らかの理由で男性が殺害したというもの。この場合、第三者を連れて現場に入っている事から計画的ではなく突発的な犯行だった可能性が高くなる。ただし、犯行後にどう考えても犯行の目撃者になっているはずの第三者の女がどうなったのかが大きな問題となる。その人物が名乗り出ていない以上、口封じ目的で殺害されて現在も遺体が発見されていないか、あるいは犯人に脅されて口をつぐんでいるのか、もしくは事実上の事後共犯の関係となったのか、いくつかのパターンが考えられるが、現状の証拠では決め手に欠ける。


⑧BCGパターン=第三者(男)と涼宮玲音   目撃時に涼宮玲音は生存

 目撃されたのは涼宮玲音と正体不明の第三者の男で、彼らが境内に向かった先ですでに境内で待ち構えていた真犯人に殺害された、あるいは二人が境内に向かった後で扇島老人が気付かない間に境内に侵入した真犯人に殺害された、というケース。ただしこの場合も、涼宮玲音と一緒にいたはずの第三者の男が犯行時及び犯行後にどうなったのかという問題が浮上する。


⑨BDGパターン=第三者(男)と真犯人(女) 目撃時に涼宮玲音は生存

 基本的には⑦と同じで、犯人の男女が逆転しているだけのケース。男女の違い以外は⑦と変わらないので、詳しい説明は省略する。


⑩BEGパターン=第三者(男)と第三者(女) 目撃時に涼宮玲音は生存

 目撃された男女はどちらも犯人でも被害者でもない第三者で、この二人が神社を訪れた後で殺人が起こってしまったというケース。これについてはこの男女二人組が犯行を目撃しているか否かで状況が大きく変わり、目撃していなかった場合については②や④と同様、なぜ犯行時刻に神社にいたという事実を今まで名乗り出なかったのかが問題となる(単に事件に巻き込まれるのを嫌った可能性は否定できないが)。また、目撃していた場合に関してもこの二人が犯行後にどうなったのかが大きな問題となり、これについても⑦で言及したようないくつかの可能性が考えられるが、現状では決め手に欠ける。



 分類は以上であるが、果たして、この中のどのパターンが実際に起こったのだろうか。裁判で徹底的に議論されたのは⑤であるが、この可能性を今まで散々議論しながら明確な結論が出ていない以上、私としては他のパターンについてもう少し真剣に検証する必要があるのではないかと愚考する次第である。ただ、その場合でも、第三者が事件に関与していたケースにおいては「なぜその第三者は事件発覚後も名乗り出る事をしなかったのか」「事件後にその第三者はどうなってしまったのか」という新たな問題が浮上する事になり、事件解決に至るまで一筋縄ではいかないであろう事は付記しておこう。

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