★8★ 質の悪い冗談ね。
夕方のまだ早い時間帯にもかかわらず、仕事終わりの職人や冒険者ギルドの人間達で、下町の一角にある酒場はごった返していた。おかげでアリアの顔布を気にするような輩がいないのは良かったかしらね。どちらかというと椅子に立てかけているデッキブラシの方が目立っている。
入店した直後は強張っていたアリアの表情も、食前酒として注文したラムラタ酒のおかげで今はほんのり朱が差して楽しげだ。
「外の飲食店って初めて入りましたけど、師匠のご飯の方が美味しいですね」
「何言ってるのよ。当然でしょう」
「わ~……流石師匠。こういう時でも謙遜しない」
「出来ることを謙遜する方が嫌味でしょうが。そんなことより城に帰っても何か作るの面倒だから、今ここでちゃんと食べときなさいよ」
「あ、それなら珍しい食材のメニューを頼んでみても良いですか?」
「自分で食べきれる量なら構わないわ。あんたが食べるならこの辺りと……この辺りのメニューなんかが好きだと思うけど」
手許にあるメニューから幾つか選んでやれば、嬉しそうに「じゃあ師匠を信じてこの辺りのやつを頼んでみますね」と笑った。
初めての場所と熱気にあてられて浮き足立っているのか、あたしの料理が一番だと褒めたその口許をだらしなく緩めるアリア。そんな姿を微笑ましく思いながら店員を呼び、アリアの指差した料理を注文してあげつつあたしもお酒のお代わりを頼み、しばし無言でフォークとナイフを動かす弟子を観察する。
今朝の予測していなかった昔馴染みの来訪とは異なり、予想通り魔術協会に到着してオルフェウスと合流した――が、やっぱりここも予測通りしっかり三時間待たされ。途中で付き添いに来ていた彼が職場に半休の届けを出しに戻り。やっと受付に通されたと思ったら今度は潜在魔力測定用水晶の順番待ち。
魔力というのは術者によって揺らぎが各々微妙に違う。指紋や声紋と同じくある程度まで個人を割り出して認識出来るという優れもの。これは魔術師や魔法使いの犯罪検挙に使われる資料として魔術協会が管理し、大きな犯罪に加担した場合は国の開示要請に応じて公開される。
面倒事は極力避けたいから全力で込めるような馬鹿な真似はしないけど。紐付きになってやるつもりなんてさらさらない。
だけどアリアは馬鹿正直に魔力を注ぎ込んで、測定値を覗き込んだオルフェウスの坊やから憐憫の眼差しを向けられて憤慨していた。でも宮廷魔導師から見ればアリアの中に蓄積している魔力なんて、あってないようなものなのだもの。
魔術協会での手続きが思ったよりも早く済んだとはいえ、所要時間は七時間近くかかってしまった。書類に記載した住所がミスティカの森の付近だというだけで根掘り葉掘り質問してくる始末。
『本日をもって僕がテイムしたワイバーンの秘密を守り、貴方達が住んでいる森へ魔術協会の者達の手が伸びないよう守るという契約が成された。これで名実共に我々は一蓮託生だ』
協会の連中にはとっとと仕事だけ済ませて欲しいと思ったものだけど、木で鼻をくくったようなオルフェウスの態度も考えものではあったわね。まぁあの子は王城でもあんな感じなんでしょうけど。自分の能力に頼って処世術は必要としないあんな方法ではいずれ痛い目を見るのに。
そんなことを考えていたら、不意にスパイスの香りが鼻をくすぐって。目の前にポテトを突き刺したフォークが差し出されていた。口にものを入れたままのアリアが目で〝食べてみて下さい師匠〟と訴えかけてくる。
たぶん同じものを口に入れているところだろうけど……お裾分けしたくなるほど美味しかったということで正解かしらね。
フォークを取り上げて口にしても良かったけれど、ソースに使われているチーズと香草の匂いに誘われてそのまま口にすると、隣の席から囃すような口笛が聞こえたけれど無視を決め込む。ずっと城で二人暮らしで男女の距離感に疎いアリアは囃されたことにも気付いていない。
いずれはそういった男女間の線引きについても教えなければとは思うものの、まだしばらくはこのままで良いと思うのはあたしの保護者としてのエゴ。期待のこもった視線に頷いて美味しいと伝えれば、また嬉しそうに自身の食事を再開した。
せっかく綺麗に着飾らせてもお子様気分の抜けない弟子を前にして思い出すのは、今朝昔馴染みの口から出てきたアリアの出自の手がかりになりそうなやり取りについてだった。
◆◆◆
『はっきりざっくり言っちゃうと、あの傷跡は呪いの影響だヨ』
『そんなことは七年前に拾った時から分かってるわよ。当初は全身に火傷みたいに広がってたんだから。そのせいかどうかは知らないけど記憶もなくしてるし。専門ならあたしの知らない情報を増やして頂戴』
『記憶は脳が生存本能で飛ばしたとしても……拾って七年? それも当初はあの傷跡が全身に? だとしたらあの子は充分長持ちしてるヨ。流石はルーカス』
『どういう意味よ』
『確かにあれは呪いの影響だけど、あの子自身が呪われてる訳じゃなイ。誰かの受けるはずだった呪いを押しつけられてル。あの子は優秀な【呪い避け】ダ。かなり珍しいけどたまにいるんだヨ。魔力を持って生まれなかったのに、魔力を引き寄せやすい体質の子がネ』
『呪い避けって……またえらく古風で悪趣味な魔術じゃない。しかも大陸全土で三百年も前に禁術になったでしょう?』
『だネ。でも事実今この時もあの呪いは生きて発動してル。ただ、おまえが過保護につけさせまくってる護符のせいで、相手側にあの子の座標が辿れなくなってるみたいだけド。あまり深く探れば呪いをかけた術者に座標が辿られてしまから、深入りはしない方が良イ』
『あたしの弟子をあんな目に合わせた奴を野放しにしろっての?』
『まさか、止めたって聞かないくせ二。そこはおまえらしくえげつなく追い詰めてやれってこト。あの子に七年も魔力を分け与えてるせいか知らないけど、いつも魔力を持て余して苛ついてたおまえが、随分丸くなってて驚いたヨ』
◆◆◆
「――が、――……で……――ですって。師匠」
ざっくりと回想は終わったけど――――…………あそこまであの魔術馬鹿に言われるような状態だったのかしら、当時のあたしは。
だとしたら相当キテたわ……と。急に視界に大きなエビが映り込んできたと思ったら、眉間に皺を刻んだアリアが「師匠、全然私の話を聞いてませんでしたね?」と唇を尖らせているところだった。
正直前後の話なんてちっとも聞こえていなかったけれど、口ごもると敗けを認めたようなものだから、差し出されたエビに食いついて咀嚼した後、単細胞なアリアの追求を逃れるべく口を開く。
「あら、これ美味しいじゃない。クオーツへのお土産にしたらどうかしら?」
そんな子供騙しな言葉一つで「本当だ! そうしましょう!」と朗らかに笑う馬鹿弟子を、忌まわしい呪いから助けてやるのは師の勤め。そうでしょう?




