*6* 朝の身支度に変化あり。
昔から褒められた癖ではないことくらい分かってるけど、部屋のドアをノックしないで開けるのは、私の気配に師匠が気付いてくれているか知りたいからだったりするのだけど――。
果たして今朝も唐突に開けたはずのドアの向こうでは、長い脚を組んでこちらに「おはよう、アリア」と微笑む師匠の姿があった。本当に中身の適当さを知らなかったら未だに見惚れるくらいに綺麗である。
生活のアレさ知ってるからすぐに正気に返れるけど。足許にいるクオーツに視線を落とせば、稀少種のレッドドラゴン様は床に散らばっているシャツを部屋の隅に寄せているところだった。何て言うか……切ない背中だ。
「ありがと、クオーツ。アリアは何か余計なこと考えてる顔してるっぽいけどまぁ良いわ。それと今日はオレンジ系統でまとめたのね。顔布も刺繍糸に同系色が入ってるのは良い感じ。似合ってるわ」
「おはようございます、師匠。朝から疑心暗鬼にならないで下さいよ。この服の組み合わせはクオーツが選んでくれたんです。ちょっとまだ派手すぎる気がして落ち着きませんけど、師匠が次々買い足しちゃうから全部着ないと勿体ないですし」
「やるじゃないクオーツ。まだまだあんな数じゃ足りないわ。あんたの場合今までが年頃の娘のクローゼットとは思えないくらいだったの。もっと買い足すわよ。ほら、それよりもさっさとこっちにいらっしゃい。準備しちゃうわよ」
本日は十月に入ったばかりの定休日。
七年間続いた朝に師匠の部屋に行く日課はここ数日ですっかり様変わりして、すでにきっちりと身支度を整えた師匠に勧められるまま鏡台の前に座るよう促される。師匠と私の両方に褒められたクオーツは胸を張ったままついてくるや、当然のように私の膝の上に陣取った。
「服が増えた分も片付けるのは私なんですから、節度を持ってお手柔らかにお願いします。あと何度も言ってますけど、自分の服くらい自分のお金で買いますから」
「あら駄目よ。あんたのことだから値段にばっかり気がいって、最終的に着たら良いみたいなことになって、じゃあ古着で良いとかいう結論に至って酷い趣味の服を買ってきそうだもの」
的確すぎる突っ込みに咄嗟に言い返せずにいると、それを察した師匠に「ほら図星じゃない」と鏡越しに笑われた。手入れの行き届いた師匠の指が素っ気なく一本に縛った私の髪を解いて、優しく手櫛でほぐしたあとにブラッシングを開始する。
自分でやる時はザクザク梳かすだけなので、鼻歌を口ずさみながら壊れ物みたいに扱ってくれる師匠の指先は何となくこそばゆい。
朝の一仕事を終えたあとだと心地好すぎてうっかり寝そうになるし、年頃の娘なのにこんなことではいけないんだろうなとは思う。すると私のそんな気配を感じ取ったのか、師匠が鼻歌を中断して唇を笑みの形に持ち上げて口を開いた。
「別に女だから着飾ったり化粧したりするのが当然なわけじゃないし、あんたが嫌だって言うなら絶対にやらないけど、傷を理由に憧れてるくせにこういうことをしないだけだもの。だったら師匠のあたしとしては、これを期に弟子を飾り立てる口実に使わせてもらうわよ」
そう楽しげに紡ぐ声音に嘘は微塵も感じられない。だからこそ私も「そういうことなら、慣れるまでは師匠に全部お任せしますね」と応じた。香油を馴染ませながら櫛の歯の細かさを順に変えられ、みるみるうちに艶を増した髪が整えられていく。今日は少し華やかな編み込み。
それというのも、今日はこの後ワイバーンの一件で面倒くさい手続きに師弟揃って呼び出されているから、舐められないようにという見栄だ。
「魔術協会の受付って予約を事前に入れてても結構混むのよ。もし待たされて帰りが遅くなるようなら、街に出て一緒に外食しちゃいましょ。夜だったら顔布を気にする人間も少ないでしょう」
「そうかもですけど、最近贅沢し過ぎじゃないですか?」
「その分は明日からまた頑張って稼げば良いのよ。貯め込んでる間に死んだりしたら馬鹿みたいじゃない。適度に使って貯める。これが仕事に飽きない極意。憶えておきなさい、社会人一年生」
師匠の言葉に何故か膝の上のクオーツまで「ギャウウ、ギャウ!」と頷いて先輩風を吹かせてきた。確かに百歳だったら先輩は先輩だろうけど、私達に出逢うまであの山に引きこもっていたのなら、どちらかというと社会人というより引きこもりの先輩ではなかろうか。
しかし師匠も「この中で一番の年長者様がこう言ってるんだから」と笑ったので、そういうことにしておく。そうこうするうちに軽く化粧も施され、仕上げに焦げ茶色のベルベットリボンに、オレンジ色のトパーズが揺れるチョーカーをあしらわれた。
「はい、完成。そこそこの出来映えってところかしらね。それじゃあ軽く朝食を摘まんだら出かけるわよ」
――と、師匠が告げた直後その眉間に縦に深い皺が刻まれて。
盛大な溜息と共に「どこかの馬鹿が来たみたい。店の呼び鈴が鳴ってるわ」と肩をすくめたのだった。




