*17* 本当に私何かやっちゃいました?
「本当に試験官や受験者達に目をつけられるようなことをした覚えはないのね?」
「してませんよ~。初めての場所で右も左も分からないのに」
「それに受験の追試というのもおかしな話ですわ。普通は来年度の昇級試験まで待たなければならないのに……」
掲示板に新たに書き足されたのは、私の受験番号と明日にでも魔法学園に追試に来るようにとの内容だった。勿論追試をされるような心当たりはまったくない。
ひとまずあのままあそこにいても、同じ教室で受験した人に見つかれば妙なやっかみを買いそうだという師匠の言葉で、当初の目的通り穴場の甘味どころに場所を移し、可愛らしいケーキをつつきながら思案顔でのお茶会となった。
せっかく受験の重圧から解き放たれて美味しい甘味を食べに来たのに、いまいち素直に楽しめない。誰が何のためにわざわざあんな追記をしたのか分からないものの、水を差されて腹立たしいことこの上ないぞ。
「ま、本人に覚えがないなら話は簡単ね。今回の受験はそもそもあたしが弟子のあんたの成長を知りたくて、あの宮廷魔導師の坊やをけしかけただけだもの。そのおかげで今のあんたの力量も大体分かった。後はあんたが魔術師になることに興味がないのだったら、もうあの呼び出しに応じる必要はないわ」
「レイラさんの前でこんなことを言うのは失礼かもなんですけど……魔術師になることに特に興味はないですね。それよりも師匠の言葉をそのまま受け取るなら、招集を無視するってことですか? そんなことしても大丈夫なんです?」
「ええ。アリアさんはまだ国に登録される魔術師としての縛りがない状態だから、あの呼び出しに拘束力はないわ」
「そういうこと。分かったらもう情けない顔をしてないで、おかわりでも注文なさい。クオーツのお土産もあんたが選ぶのよ?」
二人から心強い答えをもらったことで安心した私は、汚城で留守番をしてくれているクオーツのためと、しばらく街に出てくることのない自分のために、師匠が呆れるくらい大量のお土産を注文したのだった。
***
――三日後。
ひとまず無視したところで何の音沙汰もなく無事に日が過ぎたので、例によって例の如く早朝ギルドの掃除に励んでいる。しかし毎日不思議なくらい新しい汚れが見つかるものだ。おかげで掃除用具の消耗の早いこと早いこと。
先日経費でデッキブラシを新調してもらっていなかったら、また毛の少なくなったたわしで床を磨かないといけないところだ――と、大まかにスライム溶液で床石の血の染みを溶かしてデッキブラシで磨きながら思う。
「あ、クオーツ。血の臭いがするからってバケツのお水飲んじゃ駄目だよ。時間が経ってるやつだとお腹壊すかもしれないから」
「クルルルル……」
「うわ不満そう~。冗談だってば。毎日師匠の美味しいご飯食べてるんだから、血の臭いがする程度でバケツのお水は飲まないよね~」
「ギャウギャウ!」
心配性な師匠の依頼を受け、護衛としてついてきてくれたクオーツをからかったら、クオーツは縁をおさえて覗き込んでいたバケツから顔を上げて抗議してくる。でもちょっぴり舐めようと伸ばしていた舌がしまえてませんよ。
「今夜は久しぶりに師匠に頼んで未調理の生肉でも食べてみる?」
「キュー……ウウウ!」
「あはは、一瞬悩んだけど嫌か~。本当に街の子になっちゃったね~」
なんてことを話ながら目地に残った血液汚れを雑巾の端をスライム溶液に浸し、指に巻き付けて拭っていく。多少指先が溶液に溶かされてピリピリするものの、希釈してあるからすぐに洗い流せば大事にはならない。二日ほど指紋はなくなるし、細かく傷が出来るから料理は出来なくなる。まぁ……私の場合は傷がなくても食材に触らせてもらえないけど。
黙々といったいここで何があったんだ、まさか殺人ではあるまいなと思いつつ錆色の床を磨きり、掃除道具を元の場所に片付けきったところで柱時計が鳴り、まるで見計らったように裏口のドアノブが回った。
けれどいつものように両手を給金袋が置きやすい形にしてドアに近付くより早く、クオーツが私の襟首を咥えて魔法陣の方へと引きずろうとして。その奇妙な行動に怪訝な表情を浮かべながらも従うと、薄く開かれたドアの向こうから思いがけない二人組が姿を現した。
「ほらよ。まだ誰もいねぇだろうが。ったく、宮廷魔導師様だかなんだか知らんがな、こっちの就業時間を無視するのは止めてもらいたいもんだぜ」
「それについては申し訳ない。だが金はそちらの言い値で払う」
「そういう問題でもないんだわ。うちが貸せるのは戦闘員であって掃除婦じゃあない。掃除婦が欲しいなら家政ギルドの方に行ってくれると助かるんだがな?」
凄く不本意そうな表情のジークさんとあのエドモント・オルフェウス。接点らしい接点なんて私が彼をここに放置したことくらいのはずだけど……と思っていたら、急に彼が迷いなく私とクオーツの隠れている方に向かって歩いてくる。
慌てて魔法陣に飛び乗ろうとしたその時運悪く魔法陣が光り、そこから泉の精霊と見まがう師匠が現れたかと思うといきなり抱き寄せられて。
「……彼女をお借りしたい」
「残念、お断りよ」
師匠の胸に顔を埋めた状態の私の頭上で、何か分からないけど緊張感が走った……って、ええ? 本当に何ごと?




