*3* 死後の世界って……ここ?
青々と茂った芝生の上に広げられた赤と白のチェックの敷布。その上に足を投げ出して〝お腹が空いた!〟と訴えると、目の前にバスケットが差し出される。
中身はハムとチーズとトマトを挟んだパン、分厚く焼いた卵を挟んだパン、シシリーのジュースに、ジャムクッキーと、ドライフルーツ入りのマフィン。バスケットいっぱいに詰め込まれたご馳走に思わず歓声を上げてはしゃぐと、大きな手が頭を撫でてくれた。
『 』
『 』
誰か知らない男の人と女の人の優しい声がする。何を言っているのかまでは聞き取れないけど、不思議と自分に向けられているという確信がある。
知らないはずなのに懐かしくて甘えたい気持ちが膨らむけれど、見上げた二人の顔は逆光のせいなのか真っ黒で、女の人がつけている髪飾りのようなものが辛うじて認識出来た。そのことに落胆と安堵が攻めぎ合うことに首を傾げつつ、手渡されたパンを受け取って齧りつこうとした次の瞬間。
――美味しそうだったパンは据えた臭いのする残飯になっていた。
暖かな陽射しと優しく呼んでくれた二人の声は消え失せ、空腹感だけがより鮮明に酷く私を苛んでくる。ガチャリと冷たい金属音。手首にずしりと重い鉄の手枷を填めたガサガサの掌に、ぬめりを帯びたそれを乗せるのは、歪で恐ろしげな笑みを浮かべる女の人。その人の隣に立っているお人形みたいな女の子も、微笑んでいることからこの光景を楽しんでいるのだと分かる。
ああ、そうか。ここはいつも通りの地下室だ。さっきまで見ていた優しい世界は、この場所から逃げ出したいせいで見た夢だったんだろう。立ったまま寝るなんて器用だな。喉が焼け付くみたいに痛いけど、これは渇きからくるものだろうか。それとも叫びすぎて裂けたのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていたら、いきなり頭から水を浴びせられた。少しカビ臭い水はせっかく痛みが麻痺してきていた傷口に染みて、悲鳴を上げそうになる。でもそうしたら今度こそ喉が裂けるから唇を噛み締めて耐えた。
二人はそんな私を見て不機嫌になると、女の子が私の髪を引っ張って、女の人の方が手にした小鍋の中から、匙でさっきの残飯を掬い上げて無理やり私の口に突っ込んだ。直後に強烈な腐臭が鼻腔と舌の上を襲う。けれど反射的に吐き出そうとしかける身体を頭が止めた。
これを食べないとそろそろ死ぬかも。
これを食べたら今度こそ死ぬのでは。
頭は身体を裏切って、えづきながらそれを飲み込む。すると身体は頭を裏切って、飲み込んだのにすぐに吐き出す。喉が痛い。お腹も痛い。吐きすぎて目からも鼻からも大事な水分が出てしまう。痛くないところがどこにもない。逃げ場がない。耳に届く二人の笑い声に意識が遠くなって――。
次に目を覚ましてもやっぱりそこは真っ暗で嫌な臭いのする地下室だった。さっきの残飯があたったんだ。お腹が捩じ切れそうに痛い。気絶している間に吐けるものは無意識で吐いたみたいだ。
吐き続けたせいで喉が切れて血の味がする。やっぱり食べなければよかった。飲み込まなければよかった。そんなことを考えていたら、錆びついた鍵を回す音が倒れている石床越しに耳に届いた。嫌だ。嫌だ。あの二人以上に怖いのが来る。でもそう分かっていても、もう身体を起こす力もない。
最初の方で上手に気絶出来たら大丈夫。
最初の方で上手に気絶出来たら大丈夫。
嘘でもそう思っていなかったら堪えられない。段々と近付いてくる足音に身体を丸めたけれど、短い通路を辿ってきた足音に震えが止まらなかった。途中で立ち止まって引き返してくれればいい。でもそんなことはこれまで一度だってなかった。だから今日も足音がすぐ目の前で止まる。そして――。
『チッ、ゲロ臭いな。またこんなにしたのかあの二人は。遊ぶのも大概にしといてくれないと、商品としてまだまだ長く使うってのに――なぁ!?』
尖った靴の爪先が丸めた私の身体を蹴り上げる。一回じゃなくて、二回、三回、いっぱい、いっぱい、たくさん、たくさん。あのふたりよりこわくていたいのはこのひとがおとこのひとだからかなぁ。そんなにけられたらからだがまるめてられないよ。
いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。
『ハハッ! まだ生きてるな? そら、今日の仕事だ。ちゃんとお前が引き受けるんだぞ!』
それがいちばんいたいのがくるのまえのこえだってしってるよ。
しってるのになにもできないのいやだなぁこわいこわいこわい。
『口うるさい兄貴の娘を使って大儲け出来るなんて最高だな! ざまあみろクソが!!』
やめてやめてやめてゃめて――――あ、あああ、アぁ*あ゛あぁAあぁ゛アアああ*あぁあaついあtぃイやい゛たぃいだい*ィたイあ゛あぁ゛a A――――
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――――――――――リン、
どこかで、すずの、おとが、する。
***
ああ――……何か夢を見ていた気がする。
それも寝覚めの悪くなるようなろくでもない感じの夢だ。
死後の世界でも悪夢って見るんだな~なんて暢気に思いながら起き上がってみると、そこはレモンイエローとライムグリーンの木々の葉が淡い薄荷色の輝きを放つ森の中。
「うぅうん?」
戸惑いつつもその辺の葉に触れてみれば、もうあまり感動のないそれは少しひんやりして、すぐにホロホロと溶けて光の粒になって消えてしまった。幻想的ではあるけれど、もうここにくることはないと思っていたのに……はてさてこれはどういうことだろう。
あの後まさか失敗した? でもそれなら何でここに? 色んな疑問が浮かんだものの、ひとまず周囲を探索してみるしかない。そう思って立ち上がったその時、リン、リン、リリン、と続け様に鈴の音がして。泣きそうな表情のマリーナが駆けてくるのが見えた。




