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閑話 大魔法使いリリシャの因果な一日

お、お待たせしました(そっと出し)



 監視カメラ越しに突撃ヤンマの姿を認め、わたしがまず感じたのは焦りと苛立ち、それから、恐怖だった。


 あいつの自爆攻撃は、同レベル帯のモンスターと比べても高い攻撃力を持っている。

 それがもし、魔法攻撃に特化した魔法使いに当たったら?


「――っ!」


 わたしは、反射的にメニュー画面からチャットのボタンを押そうとして、直前でこらえた。


 ダメだ。

 それは、ダメだ。


 もう、チャットが終わって数分の時間が経っている。

 もう誰もいない可能性の方が高い。


 そして、仮に、誰かがいたとしても、わたしはその人に頼ってはいけない。


 だってわたしは大魔法使いで、プレイヤーランキングトップのプレイヤー。

 ラストホープを支える、最後の希望だから。



 ――このインフレした世界で、モンスターと戦えるのは火力に特化した魔法使いしかない。



 かつて、ロコに語った言葉はわたしの本心だ。


 強くなりすぎたモンスターを相手にするには、まともな方法を取るだけでは無理だ。

 結局は何かを捨てて何かに特化するしかなく、防御型や速度型ではモンスターを倒せないため、インフレに置いていかれる。

 だから結局は火力特化以外に取れる選択肢などはなく、そして火力特化して防御を疎かにしたキャラクターが近接戦闘でモンスターの群れを相手にできるはずがない。


 いや、もしかすると、ほんの一時的にモンスターを倒すことはできるかもしれない。

 ただ人間はミスをする生き物だ。

 そんな綱渡りのような戦いでずっと生き残っていられるはずがない。


 だからこそ、「火力特化した魔法使い」こそが唯一の解答になる。


 魔法使いなら、相手に攻撃させる隙もなく、遠くからモンスターたちを一方的に殲滅させられる。

 殲滅させれば経験値やお金も手に入り、天秤値だって下がる。

 いいこと尽くめだ。


 そう、だ。

 そのはず……だけど。


《あ、でも、もしモンスターに魔法が当たらなくて近付かれちゃったら、どうすればいいんですか?》

《だ、だったら、もし火力が足りなくてモンスターを全滅させられなかったら……?》


 脳裏に、かつてのロコの質問がよみがえる。

 あの問いかけに、わたしはなんて答えた、か。



「……殺されるしか、ない」



 口にしてしまって、わたしはぶるっと震えた。


 突撃ヤンマは、実際にわたしの魔法をこらえたモンスターだ。

 そして、あいつの突撃の速度なら、いつわたしの魔法をかいくぐってわたしに自爆攻撃をしかけてきたっておかしくはない。


 どうしようもなく震える手を、必死に抑える。

 こらえてもこらえても涙が出てきて、大声をあげてしまいそうだった。


 それでも……。



「わたしが、しっかりしなくちゃ。わたしが、まだ大丈夫だって、みんなに、見せないと……」



 ギルマスがいた時は、彼女がみんなを支えていた。

 太陽みたいな存在感と、いつだって前向きな言葉で、ラストホープのみんなの心を照らしていた。



 ――でも、彼女は死んでしまった。



 あの日、ロコがやってくるほんの少し前の、八月一日。

 最後の瞬間までわたしたちに笑顔を見せて、エリンと同じ場所に旅立ってしまったのだ。


 建物の破壊判定は、そのフィールドの天秤値が建物の強度を上回った場合にのみ、天秤値の更新と同じ正午に行われる。

 そして、「フィールドの天秤値-建物の強度」がそのまま、破壊が発生する確率となる。


 ギルマスがいた図書館は、ジェネシスの様々な記録が載った本と、死亡時のものを含めた多くの映像記録が集まる場所で、その公共性の高さから九十八という圧倒的な強度を持っていた。


 九十八、だ。

 その数値は、わたしのマーケットよりも十八も高く、リューのいる闘技場よりたった一低いだけ。

 でも、その「たったの一」が大きく運命を分けた。


 図書館も、闘技場も、どちらも人がいるおかげで、そのフィールドの天秤値は平均して98.8程度を維持していた。

 つまり、図書館が破壊される確率は、たったの0.8%。


 一パーセントにすら満たない、考慮するにも足らない確率。

 でも、もしそれが、一週間続いたら?

 一ヶ月、一年続いたら?


 それは、ぴったりと近付いて離れない死の足音だ。

 ほんの一パーセントであっても、自分が死ぬかもしれない状況を何ヶ月も続けて、ギルマスはよく笑顔でいられたと思う。


 ギルマスは最後までギルマスであり続けて、だけど結局、その0.8%からは逃れられなかった。

 リューはまだ大丈夫だと思うけれど、わたしがここでモンスターを倒し続けなければ、きっと闘技場でも同じことが起こる。


 ルキとロコ、ミィヤは天秤値は心配ない。

 でも、食料とお金がなくなればきっと三人とも困るだろうし、ルキはきっともっと無理をしてしまう。


 今だって、わたしが止めるのも聞かずに、外に出てオークを倒しに行っているのだ。

 本人は「外に出てるって言っても、週に一回あるかないか。やってることも、オークと三十分腕試ししてる程度だよ」と笑っていたけれど、わたしを心配させないように、少なめに言っている可能性もある。


 今だって、全員、ギリギリなんだ。

 わたしが、みんなを支えないと。

 だから、このくらいは、自分で何とかしないと、ダメなんだ。


 ――考えろ。


 自分に言い聞かせる。


 意識していたことはないが、以前だって突撃ヤンマがやってきたことはあるはずだ。

 それなのに、どうして今回に限って倒しきれなかったのか。


「……ぁ」


 唐突な気付きが、わたしの足から、力を奪う。


 突撃ヤンマは、このフィールドから湧いてきたモンスターではなく、ギャザルホルンで他所のフィールドから流入してきたモンスターだ。

 ごくたまにギャザルホルンで周りのフィールドの天秤値を下げるほかには、わたしは基本的に、自分のフィールドのモンスターだけを倒している。

 そのわたしの努力のおかげで、このフィールドはほかのフィールドと比べて天秤値が低い。


 そして、天秤値が低いということは、「このフィールドだけほかと比べてモンスターのレベルが低い」ということで、当然、低いレベルのモンスターからは少ない経験値しか手に入らない。

 つまり……。



「わたしのレベルが、インフレについていけなくなってる……?」



 知りたくなかった事実に、血の気が引くのがわかる。

 ギュッと、胸の辺りをつかむ。


 動悸が、収まらない。

 唇を噛み締めても、その鈍い痛みすらわたしの悩みを忘れさせてはくれない。


 ――だけど、それでも考えろ。


 先のことはもういい。

 明日を乗り切ってから、いくらでも時間をかけて考えればいい話だ。

 そう思わなければ、心が圧し潰されてしまう。


 今、レベルが足りていないとして、わたしはどうすればいい?


 ……決まってる。

 火力だ。


 もとよりわたしが頼みにできるものは、それだけしかない。

 最初から、ずっと、そうだった。


 冗談みたいな詠唱時間の魔法だけを渡されて、命がけの戦いを強要されるこの世界で、初めからわたしが頼れるのは、この魔法のバカみたいな威力だけだった。

 だから、今度こそ確実に、突撃ヤンマを絶対に葬りされる魔法を。


 ギガンティックボムは、ギャザルホルンを使った日に魔法を一回休んで、二日分の詠唱時間で唱えた、とっておきの魔法だ。

 これ以上の魔法を使うのは現実的じゃない。


 ただ、ギガンティックボムの属性は物理と衝撃。

 物理に耐性を持つモンスターはいないわけではないけれど、まだ序盤に当たるこのレベル帯のフィールドで物理が全く効かない、なんてモンスターはいない。

 威力さえ足りていれば一番広くダメージが入るという理由で採用したが、物理防御力の高い突撃ヤンマに対する最適解ではない。


 突撃ヤンマは、トンボ型のモンスター。

 ジェネシスの法則からすれば、大抵の昆虫に有効な火か、空を飛ぶモンスターに有効な風、これを盛り込んだ魔法属性のスキル使えば、多少のレベル差があっても倒しきれる……はずだ。


 幸い、突撃ヤンマ以外の外のモンスターは全滅しているし、このフィールドのモンスターの能力なら把握している。

 あとは、このフィールドのモンスターを全滅させる威力を持っていて、かつヤンマにも有効な魔法があれば……。


 わたしはメニュー画面から自分の魔法リストをめくり、


「……あった」


 その魔法を見つけた。



 ――フレイムハリケーン。



 大魔法の中でも上位に当たるスキルで、属性は魔法、火、風。

 これなら、当たりさえすればヤンマを倒せるだろう。


 ただ、スキル発動時間も十二秒。

 詠唱時間に至っては三十五時間もかかる。


 それでも、今のわたしには、やらないという選択肢は残っていなかった。


 フレイムハリケーンの詠唱時間は三十五時間で、明日の十二時まで、残り時間は二十三時間弱。

 この十二時間の差を、どうにかして埋める必要がある。


 その、ためには、



「食べ、なきゃ……!」



 わたしは決意を胸に、冷蔵庫型のストレージに向かって歩き出した。



 ※ ※ ※



「んぐ。はむっ。はむはむっはむはむはむっ!」


 ただひたすら、食べる。

 食べて食べて、食べまくる。


 戦闘中にHPやSPを回復するには、ポーションを使うのが一般的だ。

 何より即効性があるし、ポーションであればショートカットを使えばインベントリから使うこともできるので、一瞬で使用できる。

 ただし、完全回復するエリクサーなどの一部例外を除けば、ポーションの回復量は固定。

 今のわたしみたいに、レベルが万を超えたプレイヤーを回復するにはポーションがどれだけあっても足りない。


 一方、料理にも回復効果はあるものの、調理に時間がかかる上に、一度調理した料理はインベントリに入れても時間で劣化してしまう。

 そのうえ食べるのにも時間がかかり、その効果も十分や二十分かかってじっくりと作用するので、とてもではないけれど戦闘中に使うのに適しているものじゃない。


 ただ、その効果は割合で決まるため、いくらレベルとステータスがインフレした今の状況であっても確実な効果が見込めるというメリットがある。

 さらに、インフレした今のモンスターの食材を使えば、その料理の効果はさらに上がる。

 完全に効果を発揮するまで数十分かかるものの、一皿だけでHPとMPが300パーセント回復する、なんてエリクサーもびっくりな料理だって作れてしまうのだ。


 そして、もう一つ大事なことは、料理は重ねての使用ができるということ。

 一つの料理が効果を発揮している間に違う料理を食べていけば、その効果は二倍三倍にもなる。


 だから、わたしは、食べる。


 マーケットのランダム枠で購入した冷蔵庫という特殊なストレージから作り置きの料理を取り出して、それを次々に口に放り込んでいく。


 そして食べて、食べて食べて食べたら、クリアポーションを飲む。

 トイレやお風呂に入れない、長期の遠征用に作られたこのクリアポーションだけれど、これにはもう一つの機能がある。

 満腹度が100パーセントを越えていた場合、それを100パーセントにまで戻してくれるのだ。


 満腹度100パーセントは満腹、という意味だけれど、それ以上物が食べられないわけじゃない。

 経験上、110パーセントまでは我慢すれば食べられる。

 120パーセントまでは、死ぬ気でがんばれば食べられる。


 120を越えるとどうしたって高確率で吐いてしまうけれど、吐いても一度呑み込んだ食べ物の効果はなくならない。

 吐けばその分ちゃんと満腹度も下がるので、クリアポーションがない場合はそれを狙ってみるのもいい。


 今はとにかく時間が惜しい。

 わたしは目につく料理を片っ端から口に入れ、咀嚼し続ける。


「……う、ぷ」


 胃の奥から、食べたものがこみ上げそうになるのをこらえ、上からスープを流し込んでごまかす。


 味なんて、もう、わからない。

 おなかが苦しくて、胸が苦しくて、涙があとからあとから出てくる。


 もう全て投げ出したい。

 これ以上、食べたくなんかない。


 そんな弱音を、クリアポーションと一緒に喉の奥に流し込む。

 涙をぬぐって、その手を新しい料理へと伸ばす。


 食べて食べて食べて、飲んで、食べて食べて食べて食べる。


 地獄のような時間の中、ふと、この世界ではどんなに食べても太らなくてよかったな、と思う。

 そして、こんな時でも普通の女の子みたいなことを考える自分に、思わず笑ってしまう。


 それからは無心になって口にものを詰め込み続けて、そして、唐突に、それは来た。


「……んっ!?」


 背中をぞわっとした甘い悪寒が駆け抜け、わたしは思わずテーブルに乗せた手を強く握りしめた。

 エフェクトを切っていなければ、今のわたしは青い光に包まれていただろう。



 ――マジックブースト。



 このブーストは魔法を強めるほかに、スキルの詠唱速度を五倍に、冷却速度を百倍にする。

 その詠唱短縮こそが、わたしの狙いだ。


 HPとSPが尽きるまでの十秒間で、本来なら十秒分の詠唱を五十秒分行えることになる。

 つまり、マジックブースト一回で稼げる詠唱時間は、たったの四十秒。

 でもその四十秒が、生死を分ける。


 何重にも重ねた料理の回復効果が、絶え間なくわたしのHPを、SPを補っていく。

 そして、HPとSPが満タンになると、「詠唱中」に「HPとSPが100パーセント以上」をトリガーに設定したブーストが発動する。

 数十秒スパンで、わたしはブースト状態とHPSP切れを繰り返す。


「はむ……ぐ!」


 口に入れた食べ物を、喉に詰まらせそうになる。


 ブースト特有の感覚には、何度やっても慣れない。

 それでも、これだけが今のわたしの生命線だ。


 わたしは背中を駆ける悪寒に悩まされながらも、まるで機械のように食べ物を口に運び続けた。



 ※ ※ ※



 つらい時間が、過ぎた。


 冷蔵庫に残していた料理にも限りが見え始めた頃、五時を告げるアラームがなって、わたしはようやく動きを止めた。


「……あ。買い物、しないと」


 毎日、このくらいの時間に買い物をするようにしている。

 今日に限って買い物をしなかったら、みんなを不安にさせてしまうかもしれない。


 ――それに、リューも、待ってるかもしれないし。


 チャットではリューとはいつも衝突してばかりだけど、それでもやっぱり、彼女のことも仲間だと思っている。

 わたしが命がけで稼いだお金を溶かしてしまうリューに本気で腹を立てることもあるけれど、モンスターバトルに入れ込んでしまうリューの気持ちは、痛いほどわかる。

 わたしだって、自分のためにリューに負けないくらいの額のお金を使っているし、この生活で一番つらいのは孤独だ。


 モンスターに支配された世界では、通信だってまともに機能しない。

 唯一生き残っているチャットだって、お昼のフリータイム以外は高額すぎてまともに使えない。


 建物の中に閉じ込められて外に出られず、お昼のチャット以外誰とも話もできず、助けを呼んでも、何かを思いついても、それを話せる相手もいない。

 そんな時に自分の心を守るためには、何か熱中できるものを見つけるしかない。


 自分にとっては、それは料理だった。


 日本にいた時にはそれほど好きでもなかったけれど、必要に駆られて色々と作り始め、レシピを仲間に提供して……。

 そうしたらいつのまにか、わたしが作ったレシピをルキやリューがおいしいと言って食べてくれるのが、一番の楽しみになった。

 かなうなら、いつかミィヤにも食べさせてあげたいな、と思う。


 メニューから、今の詠唱状況を確認する。


 ……よかった。


 必死に食べ続けた甲斐があって、ほんの少しだけ、余裕ができた。

 あとはHPをポーションで補いつつ、MPを回復する飲み物やスープをメインで取り続ければ、ほかの作業をしながらでも何とか間に合いそうだ。


 わたしは早速歩きながらでも飲める野菜のジュースを片手に、マーケットの中心部に足を進める。


 最初に見るのは、システムが運営している自動販売機。

 初心者の塔にも似たようなものがあるらしいが、ここに入荷する商品は塔と比べてもランダム性が高く、また、商品のグレードも高い。


「でも、今日は外れ、か」


 反面、普通の消費アイテムもランダム、かつ品数限定でしか並ばないので、クリアポーションなどの必需品をそろえるのは急務になる。

 わたしは仕方なくHPとSPの回復ポーションだけを買い占めると、次の場所に向かう。


 次に向かったのは、プレイヤーの商店スペースだ。

 マーケットというのは、基本はプレイヤー同士の露店が開ける施設として設計された施設。

 西エリアにあるため、ゲームが進行するにつれて早々に寂れてしまったものの、そこにあるシステムはほかにできないことができる。


 特に大事なのは、ギルドとして物を売ったり買ったりが可能なところ。

 わたしはこれを逆手に取って、ラストホープのみんなにお金や食材を融通していた。


 仕組みは簡単だ。

 マーケットの出品には、同じギルドのメンバーのアイテムを委託して別のメンバーが出品する、という「委託販売」のシステムがある。

 これを使えば、比較的簡単にほかのギルドメンバーにお金やアイテムを送ることができる。


 まず、お金を渡したい場合は、特に使い道のないドロップアイテムを「ルキ」名義で出品。

 そのアイテムをわたしが客として購入すれば、その売り上げは名義人であるルキにところにいく。


 アイテムを渡す場合は出品のキャンセルを狙う。

 今度は「ルキ」名義で出したアイテムを、出品期限が来るまで購入せずに放置する。

 すると、期限が切れて出品がキャンセルされたアイテムは、名義人であるルキのところにいく。


 最短の出品期限が三日のため、時間差はできるけれど、これで出品可能なアイテムなら、全てギルドの誰かに渡すことができるのだ。


 もちろん、これはマーケットの利用手数料が法外なため、効率がいいやり方とは言えない。

 ただ、天秤がモンスター側に傾いたことによって、通信や輸送の手段はほぼ全て使えなくなってしまった。

 今のわたしたちが互いに物やお金を送るには、こういう抜け道に頼る以外に方法はないのだ。


 幸い、インフレしたモンスターを倒せば、お金も食材も、余るくらいに手に入る。

 少しくらい損をしたって、どうってことはない。

 それよりも、みんなが少しでも楽になることの方が、ずっと大事だ。


 減っていく残金と食材アイテムを見ながら、それでもわたしは終始笑顔を浮かべていた。



 ※ ※ ※



 八時を過ぎると、外は途端に暗くなる。


 ジェネシスの夜は、本当の闇だ。

 明かりになるような人工物は、ほとんどがモンスターに壊されてしまった。

 このマーケットの明かりだけが、闇に抗う唯一の光源だ。


「……さ、むい」


 夜の寒々とした空気と一緒に、孤独と怯えがわたしに吹きつける。

 食料を口に運ぶ手を止め、身体を縮こまらせたわたしは、秘密兵器を使うことに決めた。


 マーケットの隅に置かれたそれは、オーディオデッキ。


 最低限の映像再生機能は、ターミナルのメニューで可能だ。

 それでも、これが必要になるのは、このデッキでは映像を切り張りして編集することができるから。


 デッキを操作して、お気に入りの映像を再生する。

 そして、デッキの上に大きく表示されたのは、ルキだ。


 やたらと真剣な目をしたルキは、わたしを見て、ゆっくりと口を開く。



「――シア。俺は お前が 好きだ」



 突然の告白に、頬が緩む。

 うん、その……ちょっと言葉の継ぎ目がおかしい気もするけど、些細なことだよね。


「シア、やっぱり いつも かわいいな」

「シア。いつも助かるよ。ありがとう」

「シア その ワン ピース 似合ってるな」


 それからも、怒涛の褒め殺しが、わたしを襲う。

 わたしが着てるのはワンピースというかローブだが、それもまた些細なことだ。


「えへ、えへへへ」


 際限なく、顔が緩んでしまうのが自分でもわかる。

 こんな姿は仲間にも、ルキ本人にも見せられないなと思うけれど、バカだなぁと思いつつ、これでやる気が湧いてしまうんだから、しょうがない。


 甘いルキの声を聴きながら、長い夜に向け、眠気をなくすドリームポーションも飲んで、準備万端整える。

 すると、デッキの上に浮かび上がったルキが、わたしに向けてささやいた。


「シア。頑張れ いつも 見てる」

「……うん。がんばるね、ルキ」



 ※ ※ ※



 穏やかな時間。

 ぼーっと空中に投影されたルキの顔を眺めながら、スープに入れたスプーンをすくう。


 ――あ、そういえばこれ、ルキがすごくおいしいって言ってくれたやつだ。


 その時のルキの反応を思い出しながら、デッキが映し出すルキの映像に目をやった。

 すると、まるでそれに応えたかのように、画面の中のルキは微笑んで、


「なぁ。シア。シアって――」





 ――ブツン、という音と共に、世界は闇に包まれた。





「あ、ぇ……?」


 何も見えない。

 何もわからない。


「な、ん、なん、で……」


 みっともなく取り乱して。

 振り回した手が何かに当たって、ガチャンと音を立てる。


「おち、落ち着いて。落ち着いて!」


 自分に言い聞かせて、落ち着こうと、深呼吸して、その時――



 ――ブゥゥゥン、と。



 暗闇の奥から、低い羽音がした。


「や、だ。やだ、よぅ」


 口から、情けない声が勝手にこぼれ落ちる。

 おぼつかない手つきで、まずメニュー画面を呼び出す。


「ふ、う……」


 メニュー画面は光源にはならないけれど、見えるものができたことで、少しだけ落ち着いた。

 そうすると、こうなった原因も、すぐにわかってくる。


 ――十二時を、過ぎたんだ。


 最近は、十二時を越す前に眠ってしまうことが多かったけれど、マーケットの稼働時間は午前八時から午後十二時まで。

 そこを過ぎると、電力供給やターミナル機能を含めた全ての機能がストップする。

 明かりとオーディオデッキはマーケットの設備だから、十二時を過ぎると同時に真っ暗になったのだ。


 非常用のランプを取り出して、明かりをつける。


「ひ、っ!」


 喉に引っかかったような声が漏れた。

 窓に、巨大な虫が、張り付いていた。


「あ、ぅ、ぁ……」


 怯えが勝って、声すら出ない。


 そのトンボ型の虫は、わたしの手の中にあるランプの光を認めると、ガツン、ガツン、と窓に向かって体当たりを始めた。


「やめて、やめて……」


 口から、かぼそい声が出る。

 わたしはあわてて、ランプの光を消した。


 ガツン、という音は聞こえなくなって、代わりにブゥゥゥンという低い音が、鼓膜を揺るがす。


 落ち着け、と自分に言う。


 あれは、わたしの姿を見つけたわけじゃない。

 光に引き寄せられる虫の性質が取り入れられているだけだ。


「大丈夫。大丈夫だから。大丈夫だから!」


 小声で、そうつぶやき続ける。

 そうしないと、頭がどうにかなってしまいそうだった。


 ジェネシスの建物は、外からの衝撃で壊されたりしない。

 だから、安全。

 安全、だから……。


 ――ギィアアアアア。


 という耳障りな鳴き声がして、わたしの喉の奥から押し殺した悲鳴が漏れる。

 窓の外には、巨大な人型の影が横切っていた。


 それだけじゃない。

 光がなくなって、それ以外の音もなくなれば、マーケットの周りをうろつくモンスターたちの音が、いやおうなしに耳に入ってくる。


「やだ。こわい。こわいよ、ルキ」


 口にしても、誰も、助けてはくれない。

 だってここには、わたししかいない。


 目を閉じて、耳をふさぐ。

 それだけがわたしにできる抵抗だった。


 ――眠りたい。


 いくらドリームポーションを飲んでいても関係ない。

 全てを忘れて毛布にくるまってしまえば、やがて睡眠アシスト機能によって、わたしは夢の世界に誘われるはずだ。


 でも、それはできない。


 いくら自由詠唱のアビリティを持っていても、寝ている間、魔法の詠唱は行われない。

 それでは明日の正午に、間に合わない。


 ――ガタン!


 今度はドアだった。

 扉に何かが、ぶつかった。


 わかってる。

 大丈夫。

 モンスターはドアを開けられない。

 あけられても中には入ってこれない。

 大丈夫。


 大丈夫で、わかっていて、大丈夫なはずなのに……。


 身体の震えが、止まらない。

 歯がガチガチと、音を立てる。


 そんな小さな音でも外に聞こえてしまうような気がして。

 外に、奴らに聞こえてしまったら、取り返しのつかないことが起こる気がして。


 わたしはもっともっと縮こまって、もっともっと息をひそめる。


 大丈夫だとわかってる。

 妄想だって、わかってる。


 でも、もしも。

 もしも、機能を止めたマーケットに建物としての性能がなくなっていて。

 もしも外をうろつくモンスターのうち一体でも、この中に入り込んできたら?



 ――死ぬ。



 わたしはきっと、なすすべもなく、殺される。


 一万を越えるレベルも、大魔法も、自由詠唱のアビリティだって、何の役にも立たない。

 魔法が使えないわたしはとことんに無力で、ここにいる一番弱いモンスターにだって、傷一つつけられはしない。


 わたしが今生きているのは、ほんの偶然で。

 何かが少し、違っていたら、ギルマスよりも先に死んでいたのは……。


「ルキ、ルキ、ルキ、ルキ!」


 耐え切れなくなったわたしは、大好きな人の名前を呼ぶ。

 それだけがよすがであるかのように、必死に名前を呼ぶ。


 答える声はない。

 ただ、耳が痛くなるような、夜の静寂の中で。


 ――ブゥゥゥゥゥン、という虫の羽音だけが、わたしの耳に残っていた。



 ※ ※ ※



 長い夜が明けた。


 ポーションのおかげで眠気はなかったが、どんよりと鈍くて重い何かが、もやのように頭にこびりついている感覚があった。


 アイテムを使って無理矢理身体を適応させても、精神はそうはいかない。

 人の「心」も眠りを必要としているのだと、実感を持って理解できた。


 ただ、おかげで何とか詠唱は間に合った。

 あとは、モンスターを引き寄せて、魔法を撃ち放つだけ。


「……時間、か」


 十一時四十五分。

 わたしは扉から無造作に手を出すと、三本の発煙筒を投げる。


 発煙筒を複数使用してもそう大した差が出ないことはわかっていたが、今はやれることは何でもしておきたかった。


 次は、監視カメラを覗く。

 大型商業施設のイメージからか、マーケットには多くの監視カメラがあり、外にもいくつか設置されている。

 ファンタジーの世界観にはそぐわない代物に思えるが、この状況では助かるとしか言いようがない。


「……あいつは、いない?」


 どの監視カメラを見ても、突撃ヤンマの姿はなかった。

 おそらく、発煙筒に群がったモンスターの中にいるのだろう。


 少なくとも、監視カメラに映る場所にいないなら、わたしに攻撃できる場所にいないのは確かだ。

 最大の懸念が解決して、大きく息をつく。


 だったらあとは、さっさと魔法を撃って終わりにすればいい。

 わたしは扉に向かって歩き出そうとして、



「――あ、れ?」



 その足が、動かないことに気付いた。


「なん、で?」


 状態異常を受けているわけじゃない。

 ステータスを見ても、全て正常だ。


 なのに今度は、手から杖がこぼれ落ちる。


「……あ」


 その杖を拾い上げようとした手が、小刻みに震えているのを見て、


 ――ああ、そうか。


 やっとわたしは、理解した。


 ――わたし、怖い、んだ。


 今まで毎日、やってきたことだ。

 毎日毎日、自分をだまし続けて、やってきたことだ。


 でも、ついに限界が来た。



 ――だって、外に出たら、死ぬかもしれない。



 自由詠唱が干渉するのは、あくまで「詠唱」だけ。

 だから建物の中では使えない攻撃魔法を「撃つ」ためには、身体が完全に建物の中から出ていなくてはいけない。


 発動時間は、そのままわたしの死亡リスクだ。

 いつもは発動二秒、三秒程度の、速い魔法を使ってきた。


 もし、魔法が当たる前に、突撃ヤンマがわたしに気付いたら?

 いや、突撃ヤンマじゃなくても、遠距離攻撃のできるモンスターがわたしに気付いて、矢の一本でも放ってきたら、わたしは……。



「あ、そっ、か。死の足音が迫ってたのは、ギルマスだけじゃ、なかったんだ」



 数字にすらなっていない、一回だけなら無視できる程度の死亡の可能性。

 でも、それが、一ヶ月、一年と続いたら?

 自分の言葉が、ぐるっと回って自分に返ってきたみたいで、何だか笑ってしまう。


「あ、は。あははははは」


 あまりにおかしくて、笑いと一緒に涙が出てくる。


 わたしはもしかすると、今日を、乗り切れるかもしれない。

 明日や明後日だって、何とかなるかもしれない。


 でも、いつかは、逃れられない「それ」に、捕まる。

 捕まって、しまう。


 ――でも、休んだって、同じだ。


 今日敵を倒さなければ、次の天秤値はきっと八十を越える。

 八十を越えれば、今度は確率という目に見える死が、わたしの背中に歩み寄ってくる。


「あ、あぁ……」


 足が、すくむ。

 扉まで、ほんのあと一歩なのに、その一歩があまりにも遠い。


 くらくらする。

 考えがまとまらない。

 頭の中がごちゃごちゃになって、もう何も考えられない。


 そして、



「――おか、ね」



 混乱した思考からひょっこりと飛び出してきたのは、そんなあまりに俗っぽい言葉だった。


 でも、そうだ。

 そうだった。


「お金。お金が、あれば」


 敵を倒して、お金を手に入れれば……わたしはもっとルキと話せる。


 モンスターに支配された世界では、通信だってまともに機能しない。

 唯一生き残っているチャットだって、お昼のフリータイム以外は高額すぎてまともに使えない。


 ……でも、インフレしたモンスターを倒せば、そのお金にだって、手が届く。


 こっそり示し合わせて、二人だけのチャットだってできる。


 そこでなら、いつもよりちょっとだけ素直になって、ルキに甘えることも。

 ほんの少し、ほんの少しだけ弱音を吐いて、慰めてもらうことだって、できるかもしれない。


 そうだ。

 そのためなら、わたしは!



 ――足が、動いた。



 最後の一歩を踏み出して、扉の外へ。

 外に出ると同時に「安全地帯から出る」ことをトリガーとしたマジックブーストが発動。

 その特有の感覚に震えながら、わたしは、自分が自分で思っていたよりもちっぽけな存在だったことを知る。


 だけど、人の足を進ませるのは、いつだって希望だ。

 それがどんなにちっぽけでも、そのために人は、足を踏み出すんだ。



「――フレイムハリケーン!!」



 キーワードと共に、右手の杖をモンスターの群れへと向ける。


 魔法発動から終了まで、十二秒。

 どうか無事に終わりますようにと願いながら、わたしは固まった魔物たちをにらみつける。


 ――残り十秒。


 モンスターの数匹が顔を上げる。

 冷汗が頬を伝う。


 ――残り八秒。


 炎が吹き上げる。

 それは顔を上げ、こちらに気付いたモンスターを巻き込み、大きな嵐となっていく。


 ――残り、五秒。


 炎の嵐が、舞い上がる。

 それは、その場にいた全てのモンスターを燃やし、切り刻む。


 ――残り、三秒。


 モンスターたちは、恐ろしい魔法の嵐に散り散りになる。

 その身体は次々に粒子に変わり、わたしに気を配れるような存在は、もういない。


 わたしは会心の笑みを浮かべ――



 その時、



 右から、



 ブゥゥゥンという、



 羽音が、



「……え?」



 音の発生源。

 右手側には、監視カメラがあって、



「あ……」



 その真下。

 突き出た監視カメラに逆さに捕まるようにして、そいつは、いた。



 ――突撃ヤンマ。



 わたしを殺しうる力を持つそのモンスターの複眼が。

 確かにわたしを、捉えて。



 ――残り、一秒。



 羽音が、ぴたりと、止まって。



「ダ、メ。間に、あわな――」



 まるで、スローモーションのように。



 そいつがゆっくりと監視カメラから離れるのが、見えて。








 そして  閃光が  はじけた――








 ※ ※ ※



 目をあけると、じめんが、すぐちかくに、あった。


 ――わたしは、どうしたん、だっけ?


 あたまが、ぼうっとする。

 なにかとても、だいじなことが、あったはずなのに。


 よろよろと、立ちあがる。


 外は、ダメだ。

 中に、はいらないと。


「あ、れ?」


 ドアをあけようとして、みぎてがうまくうごかないのにきづく。

 しかたがないのでひだりてでドアをあけて、中にころがりこむ。


 ――なんで、外で、ねてたんだっけ?


 かんがえていると、ポタリ、ポタリとなにかがおちる。


 まっかだ。

 これ、血かな?


 ――まあ、いいか。


 それよりも、ここは、さむい。

 さむくて、さむくて、たまらない。


 からだのあちこちはあつくて、そこからあついものがおちるたびに、からだがさむくなっていく。

 あんまりにもさむいせいで、まぶたまでおもく、なってきた。


 ――すこし、ねちゃおう、かな。


 そのまま、わたしはめをとじようとして、



「あ、チャット……!」



 だいじなだいじなやくそくを、おもいだした。


 メニューをひらこうとしたけど、やっぱりみぎてがうごかない。

 おかしいな、とおもってみたら、みぎてはなかった。


 なんだか、すごく、ふあんになる。

 みぎてって、だいじなものだった、はずなのに。


 でも、いまはそれよりもチャットだ。

 ひだりてでメニューをひらく。


 メニューの字はぼやけてみえなかったけど、からだがそのいちをおぼえていた。


 チャットのボタンをおす。

 すると、たくさんの「はこ」がわたしのまえにとびだしてきた。


 そのはこのなかにはわたしのだいすきなルキもいて、わたしはえがおになる。

 でも……。


「……あ、れ? ルキ?」





「――どうしてそんな、はこのなかにいるの?」




やっと追いついた!




つ、つづ、つづきは……

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胃が痛くなった人に向けた新しい避難所です! 「主人公じゃない!
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