第81話 「レベッカ」
「あ……フォックス……ガソリンが……」
ニニコとフォックスの体が渇いていく。
体中を浸していたガソリンが、重力を無視するように水な義肢に集まりだした。
肌も、髪も、衣服も、床も、ガソリンに濡れているところはもう存在しない。
水な義肢の表面に集まっていく。
水な義肢に、ガソリンの膜が出来た。
「な……な……」
唐突に起こるいろんな出来事に、きょろきょろするニニコ。
一方、フォックスは……泣いてよろこぶマリィの顔を眺め、なにが起きているかを悟った。
「マリィ、お前……ハイドランジアを吸ってるな。いったい……今を、いつだと思ってる……?」
声をしぼり出す。
今をいつだと思ってるのか――――――まちがいない。
マリィは、あの日の記憶と混同している。
コレラで、村のみんなが死んだ日。
アタシがみんなを火葬した日。
レベッカが、憲兵隊に殺された日。
アタシをレベッカと混同している。
ニニコを、フゥと混同している。
ひどい。
そして事態は変わる。
※ ※
「艦長どの!」
「少佐、ご無事で!」
「ひどいヤケドだ、すぐに医務室へ……」
「いや、医官を呼べ!」
通路から絶叫が聞こえる。
十数人の、若い男の声。
海兵たちが駆けつけてきたらしい。
いや、駆けつけた。
「博士!」
「な、なんだ、これは……」
司令室になだれこむ、屈強な海兵たち。
「貴様、誰だ! なにをしている!」
兵隊たちが、めちゃくちゃになった司令室に驚きの声を上げる。
たちまちマリィに掴みかかった。
「拘束しろ、拘束だ!」
「了解! 貴様、動くなよ」
だが……
「わたしたちに触るなアアアアアアア!」
ドガドガドガ……!!
やってきた海兵たちを振り払うマリィ。振りはらう、なんてもんじゃない!
水な義肢の両アームを、鞭のようにメチャクチャに振りまわした。
ドガドガドガ!!
「うわ!」
「うおお!」
大男たちが宙を舞う。
ガソリンの雫が飛び散る―――
「離れろ! レベッカとフゥに触らないで!」
水な義肢をひろげて威嚇するマリィ。鬼気せまるその顔……
「レベッカ! フゥ! こっちに来なさい、はやく!」
「行くか!」
怒鳴るレベッカ……じゃないフォックス。
「貴様!」
「よくも……ちょ、ちょっと待て。な、なんだそりゃ?」
「つ、翼……? 腕??」
一触即発。
銃を構える海兵6名と、マリィが対峙する。
「わたしたちが、いつまでも憲兵を恐れると思ったら大間違いだ!」
がなるマリィ。
顔を見合わせる水兵たち。
「け、憲兵?」
「なに言ってるんだコイツ……おい、貴様! おとなしくしろ」
「その腕、いや……なんだかわからないものを下ろせ!」
「党の犬め! 許さない……」
シャキン!
左のアームが縮む。
水な義肢によるパンチの構え―――
フォックスの叫び。
「マリィ、よせ! 全員、伏せろォ!」
だが水兵たちは、水な義肢の動きを見て、ギョッと固まっている。無理もない、あまりにも非現実的な光景。
水な義肢の、格好のエジキだ。
死―――……いいや!
いいや!!
窓の外に、トラ!
「俺じゃあアアアア! マリイイイイイ!」
咆哮。
窓からトラが、絶叫する。
「ッッッ! なによ……」
振り返ったマリィが、トラに向けて水な義肢を伸ばした。
ボッ……!
風切り音。槍のごとき速さで、マジックハンドがトラに襲いかかる。
ドガァ!
直撃―――していない!
長靴を盾にした!
「ぬえええええええあ! お、重……」
衝突!
水な義肢が、長靴に貼りついた―――
「うぅりああああああああああ!」
トラが渾身の脚力で長靴を振り回した。
半回転―――勢いそのまま落下する。
じゃない、飛び降りやがった!
「道連れじゃアアアア!!」
「トラ!」
「トラぁ!」
フォックスとニニコが叫ぶ。
再登場して6秒で退場するトラ。
奈落から這い上がり、ふたたび奈落へ落ちていく。長靴に、水な義肢を貼りつけて。
ギャリギャリギャリギャリ………!!
窓枠に擦られ、すさまじい摩擦音をあげる水な義肢のアーム。
「うわッ!」
引っぱられ、マリィの体が宙に浮いた。
窓へ、いや外へ、いや、甲板へ――――――引きずられていく。
「あ……」
ちいさな悲鳴をひとつ漏らし、マリィはふたたび甲板へと落ちて行った。
司令室に残された全員が、いっせいに叫ぶ。
「トラ! きゃあああああ!」
「マリィ……!」
「うそだろ……!」
「落ちやがったぞ!」
「下だ! 下へ……」
悲鳴、絶叫、悲鳴、悲鳴――――――
直後……
ドオオオオオオオオオオオオオン!
轟音が鳴り響いた。




