第80話 「エンジェル」
「ああああああああああ!」
炎に向かって駆け出したニニコ。
「行くな!」
阻止するフォックス。
がばりと身を起こし、ニニコの腰に手をまわした。激痛―――
「うー! うー! は、はなして!」
「ぎいい、い……は、離すか!」
暴れるニニコ。
取り押さえるフォックス。死ぬほどの痛みに襲われる。
「なん、なんで……? なんで、こんな簡単に殺せるの……?」
嗚咽。
そこへ―――
戻って来やがった。
「ニャハハハハ! レベッカ見ぃつけたあ」
マリィが戻ってきやがった。
高笑い。
「なに泣いてるの、レベッカ? フゥとケンカでもしたの?」
割れた窓から再び、マリィは司令室に戻ってきた。大量の雨水を纏った水な義肢が、ジャブジャブと波を打つ。
巨大な、水の腕……
飛び上がるニニコ。
「ひぃ! 生きてる!?」
逆にフォックスにしがみついた。
目を疑うフォックス。
マリィの生還に、声を詰まらせる。
そして、耳も疑った。
「マ……マリィ、生きて…………レベッカ、だと?」
レベッカ、だと?
「ニャハハハ!」
けたたましく笑うマリィ。
だがその顔はとても優しい。狂気のような笑い声からは想像もつかないような、優しい顔で2人にほほ笑む。
「ニャハハ……ただいま、レベッカ」
窓から吹きこむ雨、風。
廊下から流れこむ熱、煙。
どうにかなってしまいそうな温度、湿度―――
ぶわりとひろがる美しい水の翼に、蛍光灯の光がきらきらと反射する。羽衣のようだ。
「ニャハハ……暑いですねえ」
ばしゃ、ばしゃ。
マリィが2人に近づいてくる。じゃぶじゃぶと水音をたてる翼、いや水な義肢。
「ひ……ひ……」
ニニコの怯えかたはひどい。こ、殺される―――
だがマリィは、にっこりとほほ笑んで2人を素通りした。そのまま、煙の立ちのぼる通路へむかう。
つかつか。
じゃぶじゃぶ。
「ちょ……マリィ!」
「どこへ!?」
叫ぶフォックスとニニコ。
「お姉ちゃんに任せなさい!」
自信満々に答えるマリィは、炎の中に突入した。
その直後……
ジュウウウウウウウウウウウ!!
すさまじい勢いで湯気が廊下に発生し、司令室いっぱいに水蒸気が流れこむ。やがて、ごうごうと猛っていた炎が小さくなってゆき、完全に消えた。
「フゥ! レベッカ! 大変です、生きてますよ。みんな生きてますよ!」
通路の向こうで叫ぶ、マリィの声――――――
姿こそ見えないが、男たちの声が聞こえてくる。
「うう……」
「い、痛え……」
「が、ああ……」
弱々しいうめき声。
だが、間違いなく海兵たちは生きている!
フォックスとニニコが安堵したのもつかの間……
「えれえことです、フゥ!」
タッタッタッタ!
マリィが大慌てで戻ってきた。
水な義肢を包んでいた大量の水が、無い。裸になったアームが、がしゃがしゃと音を立てる。
「フゥ! 全員生きてましたよ。村のみんなが生きてます、あなたの両親も生きてましたよ!」
ダッシュ。
全速力で、ニニコの前にやって来た。
「ヒー!」
逃げようとしたニニコだったが、あっさり捕まってしまう。そしてマリィに抱きしめられた。
「離して! ワーワー、ギャーギャー」
半狂乱……
抱きしめられた。
とてつもなくやさしく、強く。
「フゥ、みんなが生きてます。よかった……」
フォックスの名を呼びながら、ニニコを抱きしめるマリィ。
ニニコを、だ。
そして。
……そしてマリィは、フォックスを抱きしめた。
「レベッカ。パパもママも生きてましたよ。よかった……よかった……」
フォックスを抱きしめるマリィ。
“ レベッカ ” の名を呼びながら、フォックスを抱きしめる。
フォックスの困惑はひどい。意味不明―――
「マリィ……なに言ってんだよ。レベッカは……あんたの妹は……殺されたろ。ちょっと待て、レベッカ? アタシのどこがレベッカだよ?」
「あ……フォックス……ガソリンが……」
ニニコが小さな声で訴える。
その体が、渇いていく。
体中を浸していたガソリンが、重力を無視するように水な義肢に集まりだした。
「あ……」
フォックスも同様。
体を浸していたガソリンが、どんどんと渇いていく。
もう、まったく濡れていない。
肌も、髪も、衣服も、床も、ガソリンに濡れているところはもう存在しない。
水な義肢。
水な義肢の表面に集まっていく。
水な義肢に、ガソリンの膜が出来た。




