第78話 「ライク ア スパイダー」
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ザアアアアアアアアアアアアア……甲板に雨が降りしきる。
砦のようにそびえる、艦橋の真下……トラは、背負っていたマリィを放り捨てた。
「………~~~~~~!!」
頭を抱えこむトラ。
叫びたいのに言葉が出てこない。ハイドランジアの効果が、切れた。
「ニャハハハハ!」
笑い転げるマリィ。
ハイドランジアの効果が、表れた。
トラの顔面はびきびきと歪み、血管が全身に浮き出ている。
歯を軋り、甲板に転がるマリィにずしんと近づく。
「は、ははは……思い出したぜ。クソアマ…… “ 濡れ手でマリィ ” だっけか。思・い・出したよゴラぁ!」
ずぶぬれのトラの絶叫。
雨音を打ち消すほどの声を張り上げる。ようやく、ハイドランジアの効果が切れたらしい。
対して、マリィ―――
「ぜんぜん思い出してないじゃないですか、ニャハハハハハハ! なんでオンブしてくれないんですかあ、ニャハハハハハハ!」
トラの背中から放り捨てられたマリィ。
ころころと寝そべり、甲板に頬ずりをしている。
両肩から伸びる水な義肢のアームは、雨粒が結集し、全体が大きな水の腕と化していた。
だが、そんなことはどうでもいい。
マリィの様子が普通ではない。
さっき舐めたハイドランジアの効果が表れてきたらしい。わけのわからないことをくり返している。
「ここまでのあらすじが分かりません! あなた知ってますかぁ? ニャハハ」
「し、し、知ってますかって……全部覚えとるわ!」
再度トラの絶叫。
どうやらトリップ中の記憶があるらしい。
「あ、あんなこともこんなことも覚え……うっぷ……おええええええええ!」
バシャバシャと胃液をぶちまける。
「はぁ、はぁ、ぎ……気持ちわりい……あたまグラグラすんぜ……」
手のひらで口を拭い、濡れた艦橋の壁にこすりつけた。
「こんなとこでゲロっちゃダメですよ、ニャハハハ!」
笑うマリィ。
「ハァ、ハァ、誰のせいだボケ!」
怒るトラ。
“ 誰のせい ” ……やはりトリップ中の記憶があるらしい。
「ニャハハハ! 私はレベッカのところへ行くのです! あの子は私がいないと、すぐにイジけてしまうのです。きっと今ごろ泣いているのです!」
「レベッカて誰じゃあああああああ!」
けたたましく笑うマリィ。
スーパーブチ切れ状態のトラ……
と―――
バシャアア!
雨水をたっぷり蓄えた水な義肢のアームが、2階デッキに伸びた!
「うわッ!」
水たまりを踏みつけたようなしぶきが飛び散る。もろに浴びたトラが、ズシンとひるんだ。
「くそっ……あれ? あっ! どこ行きやがる!」
マリィがいない。
上―――
マリィが上に登っていく。
トラなどまったく無視。
水な義肢を使ったロッククライミング。
垂直の壁の、細かい凹凸や部品をつかみ、デッキを駆け上がっていくではないか。
まるで蜘蛛―――
「ま、待ちやがれ!」
はるか上空のマリィにがなり立てるトラ。
「待ちません! ニャハハハ!」
がしんがしんと水な義肢がデッキに接触するたび、大量の水が降りそそぐ。
塔を駆けのぼるマリィ。
「あああああああ! ラリ女、ぶっ殺してやる!」
ガンガンガン!
壁に長靴を貼りつけ、トラもあとを追う。
ガンガンガン!
ズルッ!
「うわッ!」
ゴォン!!
「ひぶッ! ぐええええええええええ!!」
雨で長靴がすべった。
鉄の壁で、頭頂部を強打するトラ。
激痛―――そして落下。
ゴォン!!
「ひぶッ! うおおおおん!」
こんどは側頭部を強打。
まるで打楽器―――すさまじい悲鳴をあげる。だが、降りしきる雨の轟音によって、彼の声はかき消された。
トラが甲板で死にかけていることなど、ブリッジのはるか上階にいるニニコは、知るよしもない。
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「フォックス! フォックス! うわあああ……」
司令室に、ニニコの泣き叫ぶ声がこだまする。
フォックスはその体を盾にして、消火器の爆発からニニコを守った。爆風に吹っ飛ばされた細い体は、消火剤まみれだ。
あおむけに転がるフォックスにすがりつき、ニニコは泣き続ける。
「フォックス……フォックス……!」
目を覚まさない。
雨のせいか、冷たい空気が割れた窓から吹きこんでくる。
フォックスは目を覚まさない。
「しっかりして! いま心臓マッサージをするわ!」
「……せんでいい。絶対やめろ……」
目を覚ました。
「フォックス、どうして……? あ、あんな女、燃やしちゃえばよかったのよ!」
「……できねえっつーの。でもマリィは殺さなきゃなんなかった。せめて一緒に爆死しようと思ったのに、アタシは生きてる……最悪だぜ」
「最高じゃないの!」
「……どこがだよ」
うつろな目で答えるフォックス。
目の焦点は合わず、声もひどく弱い。
「待ってて。いま医務室のひとを呼んでくるから!」
「ま、待て……だれか……来やが…………」
フォックスが目を向けた先に……来やがった。
「ああ……最悪だ」
来やがった、ヤツが。
「その通り、最悪だよ……」
突然の男の声。
この声は……
「!」
バッと入口へ振り向くニニコ。
「よう……中尉」
フォックスが、なんとか身をよじり首を向けた。
レインショットが、来た―――
「よ、よくもやってくれたな……ふ、ふ、ふ……き、君たち2人とも、売ってやりたいよ……」
どこから現れたのか。
レインショットが、ふらふらと司令室にやってきた。
憔悴しきったその表情はどうだ。
軍服のジャケットを脱いだその姿に、昼間の精悍な様子はまったく感じられない。
いやそれよりも、その手に持っているのは……ポリタンク。
ジャプジャプと液体を満たした、ポリタンクを持っている。
憎悪に満ちた目を向ける、ニニコとフォックス。
「しょ! 少佐……」
「よう……お疲れのようで、中尉」
いや。
フォックスの目がひどく、怯えに染まる。
「なに持ってんだ、中尉…………まさか、ガソリンじゃねぇだろうな」




