第70話 「ヘスティア」
「博士! 来てください。妹さんが……口から血を……」
下士官がフォックスに叫ぶ。
そして、それが彼の最後の言葉になった。
グシャッ!!
マリィの右肩…… " 水な義肢 " がギュンと伸び、彼の顔面をぶっ飛ばした。
突き飛ばされるように、部屋の壁にたたきつけられた彼の体。いや、頭。飛び散る血痕……
死。
つんと広がる血のにおい。死―――
「あっ、しまった」
マリィの呑気な声。
「マリィ……なんで殺した……?」
信じがたい光景に、フォックスが言葉を震わせる。
「いえ、違うんです。捕まえようとしたんですよ。ホラ、困るでしょう? 避難しろとか……あの、ちょっと酔ってしまったようです。手元が狂いました。どうしましょう、彼」
「……な、なに言ってんの? なあ……」
と―――
「……ただいま。お姉さま」
ニニコの、かわいい声が聞こえた。
小さく笑みを浮かべ、部屋に入ってくる。
「パパ、ママ。ごめんなさい。お庭で遊んでいたら、遅くなっちゃったの」
……お庭?
ニニコはなにを言っているのか。
フォックスが凍りつく。
「ニニコ、血……」
その小さな口も、白いドレスも、血まみれだ。いやニニコの血ではないらしい。レインショットの部屋の死体の……人口呼吸―――
ニニコの様子は明らかにおかしい。
いま彼女の足元には、下士官の死体が転がっている。なのに見向きもしないではないか。
にっこりと笑うマリィ。
「ニニコちゃん」
ズシンと立ち上がって、振り向くトラ。
「ニニコ」
「パパ、ママ」
うれしそうに2人に駆け寄るニニコ。
立ち尽くすフォックスの前を素通りし、マリィに抱きついた。
「ニニコちゃん。口元が血だらけですよ。拭いてあげましょう」
「うん、ママ」
マリィは、ベッドわきのウェットティッシュを1枚抜き、ニニコの口をやさしく拭ってあげる。きれいになった。
「ニニコちゃん。お外でなにしてきたの?」
「あのね。お医者様と遊んできたの。灰色のバラから、クッキー! 抽出したとされるキャッシュカードの表面から、クッキー! リボン模様のバクテリアを、クッキー! 旅行かばんに詰めこんだの。でも何度キスしても、お医者様は目を覚ましませんでした。おわり」
終わりらしい。
マリィの胸に、顔をうずめるニニコ。
「パパ、ママ……毒ガスで死んだりしないよね?」
「ふふ……あなたに使ったのは、毒なんかじゃありませんよ。ね、パパ」
「わんわん」
「ね、フゥ」
「わんわん、わ……」
―――狂気に満ちあふれた会話は、トラの絶句で終わった。
室温が上がる。
「お、お姉さま。怒ってるの……?」
おびえるニニコ。
ぶるぶると震えながら、マリィにしがみついている。
ふるえ、おののく。
室温が上がる。
「怒らないで、お姉さま……も、もう遅く帰ったりしないから……」
室温が上がる。
「フ……フゥ。ど、どうしました? なにを怒っているのですか?」
マリィが、怪訝な顔でたずねる。
まったくわけがわからない、という表情で。
「なぜ、炎を出すのですか。フゥ」
ボッ!
ボオオオオ!
ティッシュ、カレンダー、メモ用紙……部屋の中の紙製品が、次々と発火する。
フォックスの籠手の人差し指から、炎が吹き上がる。
いや、ピンポン玉ほどの球形に収束した。
いったい何百℃あるのか……
明るい、なんてものじゃない。
目がくらむ白熱。
熱い、なんてものじゃない。
肌が焼かれているような炎熱。
ボォォォォオオオオオオ!
「マリィイイイイイイイイイイイ……!」
炎の化身のような形相……フォックスがすさまじい声で叫ぶ。
「マァリィィィィイイイイイイイイイ!!」
指鉄砲のように人差し指を構えた。
マリィの表情がこわばる。
自分に、火球の照準が向けられている。
「フゥ。な、なにを……なにをするんです! 何をしているのか、わかっているんですか……や、やめて!!」
ニニコをかばうマリィ。
「お姉さまやめて! パパ、ママ……」
ママにしがみつきながら、お姉さまに許しを請うニニコ。
「まあ、まあ、落ち着けよキミ。ね、ね……?」
トラがなだめようとしている。
情けないパパ……
「マリイイィイイイイイイイイイイイ!」
フォックスの叫びとともに、放たれる火炎弾。
ボッ……!
超高熱の火球が、マリィに直撃した。




