第69話 「ヘブン」
部屋に入ってきたトラの表情を見て、フォックスは絶句した。
どこ見てんだかわからない目。
スーパーハイテンション。
性格の変貌……明らかにハイドランジアの症状だ。
「な……なにやってんだ、トラ……?」
「つるぎの伝説みたいだろ? ハニー!」
朗らかに親指を立てて、素晴らしい笑顔を向けるトラ。バッチグー。両目とも完全にイっちゃってる。
誰がハニーやねん。
「持ってねえだろ。そんなもん……」
弱い弱いツッコミ。
いや、いったんトラのことはいい。
キッ、とマリィに鋭い眼を向けるフォックス。
内心、本当に腹が立っている。
たった1人の友達だが、マリィのしていることは、フォックスの倫理では許しがたいものばかりだ。
正直、嫌悪感すら湧き上がってきた。
だがマリィは、フォックスの視線に気付いてもいないらしい。
「おいで、あなた」
トラに手招きをするマリィ。
「さあ、ここへ……」
ズシ、ズシ……
おぼつかない足取りで、マリィのもとへ近づくトラ。そして……ひざまづいて、彼女の内腿にキスをした。
「ちゅ……太もも、美味いィィイ……」
なぜか朽ち灯のマネをしている。
マリィの足の間で、犬のようにお座りしたトラ。やさしく頭をなでられている。情けない姿……
「ワンワン!」
「な……! なにしてる!」
目を見開くフォックス。
「んふ、いいんですよフゥ。それよりズルいですよ」
「は……? ズルいって、なにが?」
フォックスの顔が、どんどん強ばる。
「怒らないでください。うらやましいのです」
「ハッ、ハッ、ハッ、ワンワン」
「だ・か・ら、なにが?」
さみしそうに、トラの頭をなで続けるマリィ。
息荒く喜ぶ、犬のようなトラ。
完全に激怒しているフォックス……
「家族ですよ。それもアイテムに呪われた家族。こんな運命的な絆ってありますか? 私も仲間に入れてください。いいでしょう? ハイドランジアもあるし、水な義肢もある。私なら、全員を養えるだけの金を作れます」
「……なか、ま……?」
「率直に言いますね。私の養子になりませんか?」
「アッ、それ超いい。わんわん」
「……なに言ってんの? わかるように言ってよ……」
「わたしがママ。トラ君がパパ。あなたとニニコちゃんが、娘ということにして、みんなで一緒に暮らしませんか?」
「…………はあ?」
「俺、パパ! 下の娘と6歳差!」
「マリィとアタシって、どう考えても姉妹だろ。いや、そうじゃなくて……なに言ってんの?」
「私の妹は……ごめんなさい。死んだレベッカだけだと考えたいのです。ですから私の子供になってください」
「俺、パパ! 昼も夜もハリきっちゃう!」
「それとも左手を呪われてる……誰でしたっけ?」
「シーカ! わんわん」
「シーカくんに奪われたパーツの話も聞きました。彼がパパでもいいですよ。それなら、彼を探す目的とも矛盾しないでしょう? うん、我ながら名案です」
「俺、パパ! はやくもリストラ候補!」
「トラ……お前、何からなにまで話したのか?」
「もっとナデナデして! にぃにぃ!」
真剣な顔で語るマリィ。
冷たい視線を向けるフォックス。
もう、ふざけてるとか以前のトラ……
ちょっと待って。
ニニコ!?
フォックスの顔色が変わる。
「家族……なにそれ、吐きそうなんだけど―――ちょっと待て、ニニコ!? ニニコにも会ったのか!?」
ニニコ……
ニニコがいない!
部屋にいるように言ったのに!
マリィが部屋にいたことで、すっかり動転していた。
ニニコは……?
「そんなに驚かないでください。さっき言ったじゃないですか、レインショットの部屋で面白いものを見つけたって。彼の部屋に行ったんですが、あいにくレインショットはいませんでした。代わりに死体が3つと、ニニコちゃんがいたんです」
「レ、レインショットの部屋に!? ニニコが? なんで?」
「さあ? それより驚いたのは「ニニコちゃんが何してたか」です。わかります?」
「はいはい! アニメ見てた!」
たんたんと話すマリィ。
答えるトラ。
「てめえは黙ってろ!」
怒鳴りつけるフォックス。
「正解はですね。ニニコちゃんは、死体に人口呼吸をしていたんです。人を呼びに行けばいいのに、パニックを起こしちゃったんでしょうね。泣きながら、懸命に懸命に。もうそれを見た瞬間、私……たまらない気分になっちゃって! いじらくて、かわいらしくて……」
「やっぱ、お子様だワン!」
話についていけない。
頭がぐらぐらする。
マジ、か?
いや真偽以前に、マリィ……なにが面白いわけ?
それを尋ねようとした、そのとき――――――
バン!
「博士!!」
部屋の扉が開き、若い下士官が飛びこんできた。
「!!」
フォックスが飛び上がる!
心臓が止まるかと思った……いや、この下士官は見覚えがある。
「あ……」
さっきフォックスを、炎上する食糧庫から追い出した海兵だ。
「は、博士? これは、いったい……」
彼は室内を見るや、言葉を失った。
盾らしきものを装備した不審者がいる。
その不審者の前に、博士の助手がひざまずいている。
博士が右腕に、籠手みたいなものをはめている。
床にはビールの空き缶……あまりにひどい室内。
「あ! あの、これは……」
フォックスも、なんとか取り繕おうと焦るが、まったく言葉が出てこない。
だが彼は、そんな場合じゃないとばかりにまくしたてた。
「い、いえ、あとにしましょう。火災範囲が広がって、消火作業が難航しています! ここから移動してください。さ、早く!」
「……え?」
避難をうながす下士官。
耳を疑うフォックス。
「君たちもだ! 船体後方へ避難するんだ。私が誘導するから着いて来てくれ!」
「ちょ……ちょっと待ってください!」
部屋を一歩出る下士官を、フォックスが呼び止めた。
「スプリンクラーは? 作動するはずでしょう……?」
「い、いえ、それがなぜか動かないのです! ですから避難を……!」
「あ、忘れてました。レインショットが、スプリンクラーのセンサーを切ったんでした」
マリィがトラの頬を撫でながら、すごいことを言う。
「おい……マリィ……」
目を見開くフォックス。
「ごめんなさい、フゥ。うっかりしてました」
申し訳なさそうに、てへ、と笑う。
と―――
「き、キミ! なんだ、その血は……!」
海兵が、通路を見て青ざめている。
「ど……どうされました?」
フォックスたちには、彼がなにに驚いているのか分からない。
角度的に見えない。
廊下に誰かいるらしい。
血―――だれが?
廊下に、誰がいるって?
「博士、来てください! 妹さんが、口から血を……!」
下士官がフォックスに叫ぶ。
そして、それが彼の最後の言葉になった。
グシャッ!!




