第68話 「パンデミック」
「……」
「……」
沈黙。
もう2人とも笑っていない。
フォックスは完全に固まっている。
マリィのしたことは……信じがたい犯罪だ。
「そ……そりゃ、ひでえことしたな。ちょっと……いや……」
「軽蔑しますか?」
悲しそうに目を向けるマリィ。
思わずフォックスは顔を伏せた。
「いや……でも、ちょっと引いたぜ。それで、どうなった?」
「指名手配の身で国外逃亡などできません。そのときです。レインショットに再会しました。ていうか、私の窮状をどこかで知って、接触してきやがったんです。『偶然アイテムが手に入ったが買わないか。ただし全財産と引き換えだ』と」
「レインショットがどういう経緯で、この “ 水な義肢 ” を手に入れたのかは知りません。鉄のコンテナに、前の持ち主のミイラと一緒に封印された状態でした。おそらく入手したはいいけど、持て余したんでしょう」
「アイツのやりそうなこった。マリィ、よくそんな話に乗ったな」
「それだけ追いつめられていたのですよ。でも怖くはありませんでした。フゥと同じ運命なら、受け入れることは恐ろしくありませんでした」
「……」
黙るフゥ、いや、フォックス。
返事をしない。
「どうしましたフゥ?」
「……ん……べつに……」
さっきまでの楽しい雰囲気はない。
フォックスは、マリィの犯罪行為を聞いてすごく……複雑な気分だった。
もしこれがマリィでなければ、死ぬほど不愉快な気分になっていただろう。
だが、マリィだからなにも言えない。
マリィも、フォックスの表情からそれがわかったのだろう。
「フゥ。私は、自分が犯した罪を償う気なんかありません。ちっともです。私が悪いなんてこれっぽっちも思ってないのですよ。でも……フゥに告白するのは勇気がいりました。最低のクズだと、フゥに思われるのが怖かった」
「……アタシもマリィのことを言えたモンじゃねえ……国際指名手配中だ。いろんな恨みを買ってる。全部、生まれた国と呪いのせいだと思って生きてきた。私は悪くねえと、自分に言い聞かせて生きてきたんだ」
くしゃっ、と缶がへこむ。
「……あの地獄を覚えていますか。ノースピークにいたころの地獄を」
「忘れっこねえ。忘れるわけがねえよ」
悲痛。
沈黙。
「あの国では、自分のものと言えるのは家族だけでしたよね」
「ああ……そうだったな」
また沈黙。
「私の両親も、あなたの両親も、村のみんなもコレラの流行で死にましたね……あの火葬の日を覚えてますか」
「覚えてるさ、覚えてる。忘れるわけがねえ……アタシが火葬したんだからな」
「あなたのせいじゃありません。アホの区長、党の衛生局を恐れて埋葬許可を出しませんでしたもの」
「……レベッカ、ずっと泣いてたな」
「ええ、あの子は……やさしい子でしたから」
沈黙。
「……私はもう一度、家族が欲しかった。失ったものを取り戻したかったんです。子供も欲しかった。今度は私が、母になりたかった。あの優しかった母に……でも、もう駄目です。もう産めない」
「……」
沈黙。
「こんな話をしてごめんなさい、フゥ。話題を変えましょう」
「…………いいさ。じゃあ話題を変えるぜ。マリィさあ、一個わかんねえんだけど」
表情が崩れるのを抑えて、フォックスが話題を変えた。
「なんですか。フゥ」
気まずい沈黙が終わった。
マリィの表情も緩む。
「この船を沈めろって依頼は、誰から? まさかレインショットなわけねえよな?」
「いえ、レインショットですよ?」
「え!? んなアホな」
ビックリ。
「な、なんで? 何のために?」
「ええ。それがレインショットは、この艦の医者を3人、射殺してしまったそうなんです」
「ハァ!?」
超ビックリ。
クスクス笑うマリィ。
「本当にバカですよね。それでどうしようもなくなって、この艦ごと証拠隠滅をしたくて、私を呼んだんですよ。おかしいでしょう?」
「ぜんぜん笑えねえよ! え、なに? マジの話?」
立ち上がるフォックス。
真剣に耳を疑う。
「マジです。さっきレインショットの部屋に行ってきました。死体が3つ、転がってましたよ。あ、そうそう。そのときにちょっと面白いものを見まして……」
「いや、そんなんどうでもいいから! なんでレインショットは、その医者を殺したわけ?」
「なんでも、ハイドランジアを密輸したのがバレたらしいですよ。それで口封じをしたみたいです」
「な……!」
言葉を失うフォックス。
素のマリィ。
「じつは私も、ハイドランジアの市場に目をつけてましてね。魅力的なビジネスになると思うんです。この仕事の報酬も、ハイドランジアでもらう約束になってるんですよ。そうだ、フゥにも見せましょう」
ベッドに投げ出してあった金属箱のフタを開けるマリィ。中から抜き出したのは、スプレー缶……
「これです」
「なに? それ……」
不審なスプレーを、フォックスが注視する。
ラベルも何もない、のっぺらぼうのスプレー缶。
「新型のハイドランジアの試作品です。耳から浸透注入するのではなく、顔に吹きかけることで、同様の効果を得られる。さっき試したのですが、効果絶大のようです」
「……え? 試したって?」
にっこり笑うマリィ。
一歩、距離をとるフォックス。
「じつは……ごめんなさい!」
ぱん、と両手を合わせるマリィ。
ごめんなさいのポーズで頭を下げる。水な義肢のアームも、ガシンと頭上で合掌した。
「フゥのパートナーとは知らずに、トラ君にスプレーしてしまったんです。その……急に襲われたもので……許してください」
申し訳なさそうに、謝る。
「な、な……!」
三度、絶句のフォックス。
話についていけない。
なにを……マリィは、なにを言っているのか?
落ちつけ、深呼吸。
深呼吸してマリィに向き直る。
「会ったのか? トラに……なんでトラの名前を知ってんの? 襲われたって?」
「出合い頭に、ちょっとトラブルになりまして。いえ、トラ君からかかってきたんですよ? だから、その、身を守るために彼にスプレーを……ね?」
てへ、とごまかし笑いのマリィ。
「怒らないでください。そんなわけで、トリップ状態になった彼からいろいろと聞いちゃいました」
「で……トラは? いま、どこにいるわけ?」
嫌な予感がよぎる。
「呼びましょう。あなた!」
マリィがドアにむかって声をかける。
あなた―――?
すると……
「アイランド―――!!」
奇怪な叫びとともに、トラが入ってきた。
ズシンと室内が揺れる。
壁にかかった時計が床に落ち、フォックスが床にずっこけた。
「7つの海の底を駆けめぐり、いざ登場! オレ!」
なにが楽しいのか、トラは見たこともないハッチャケようだ。
甲板で、マリィに吹きかけられたスプレー……新型ハイドランジアの効果、か?
「月がきれいですね! なーんちゃって、かんちゃって」
超ハッピーのトラ。
こいつ、この状態でずっと部屋の外でスタンバってたのだろうか。
ほほ笑むマリィ。
混乱するフォックス。
トラは……どうでもいいや。




