第61話 「カミング スーン」
ズシン、ズシン!
狭く長いミサイル艦の通路に、長靴の振動がひびく。
「やれやれ……一服するのもひと苦労だぜ」
当然ながら、艦内はどこでも喫煙可能というわけではない。喫煙所が3か所に設けられており、そこ以外でのタバコの使用は厳禁となっている。
現在地からもっとも近い喫煙ルームは、船体左部の第2甲板にある。
そこまで足を運ぶついでだ。
トラは第1甲板に出て、外の空気を吸いたくなった。
◇
ぜんっぜん話に関係ないので、さらっと読んでほしい。
船のフロアについて説明しよう。
通常「甲板」と言えば、外から見える「第1甲板」をイメージするだろう。
その下にいくにつれて「第2甲板」「第3甲板」と、船底へいくほど数字が増える。
そう。
外から見えない、内部のフロアのことも甲板と呼ぶのだ。
知ってた?
ややこしいのは艦橋構造物とよばれる、第1甲板に建てられた塔だ。
ビルみたいな構造になっているのだが、1階部分は、さっきも言った通り「第1甲板」。
じゃあ2階はというと「01甲板」。
3階を「02甲板」という。
ややこしいでしょ?
とりあえずトラはいま、あえて遠回りして第一甲板(船の外)に出ようとしている。
◇
「ふあ……うお、暗いな」
ハッチを開けて外にでると、空も海も真っ暗だった。海風がトラを包み、ばさばさと髪を揺らす。
直角に等しい船壁を見上げると、真っ黒にそびえるブリッジのあちこちに赤いライトが灯っていた。まるで鉄の化け物のように、しいんと佇んでいる。
聞こえるのは猛烈なエンジン音と、はるか遠くで無線機で通信する水兵の声だけだ。
当然ながら甲板には、夜であろうと見張りの水兵が何人も任務についている。
「よう」
「おう、学生。散歩か?」
すれ違う途中に声をかけられ、簡単にあいさつを返した。
「あ、こんばんわっス。お疲れさまス」
ガンガンと甲板を鳴らし、船体を右から左へと歩いて横切る。
真っ暗な海。
とにかく不気味でおそろしい。
よくこの艦の乗員たちは平気なものだ、とトラは思う。
自分は絶対、海兵にはなれないな。泳げねえし。薄気味悪いったらねえや……ちょっと待って。
ちょっと待ってくれ。
「なんだありゃ……」
なにげなく眺めた海上に、信じられないものを見た。
水面に、人間が立っている。
「……うそ、だろ?」
海の上を、巨大な腕の人間が歩いている。
否。
“ 巨大な腕を使って ” 海上を歩いている。
真っ暗な海……そいつの姿は、シルエットしかわからない。
トラは子供のころテレビで見た、手長猿の芸を思い出した。
その腕はサル自身の体長よりもながく、地面におろすと腕だけで体を浮かすことが出来た。足を地面につけることなく、腕だけで歩くユニークな猿の芸……
南国の腕長珍獣でも、地面を歩くしか芸がないのに。あろうことか海の上を……妖怪じみた「なにか」が、こちらへ歩いてくる。
「俺もラリっちまったのか……?」
いっそ幻覚の方がいい。
トラがごくりと生唾をのむ。
ちっとも笑えない。こわい。




