第6話 「オートマ」
「火のッ! 用――――――心!」
ズ――――――ン! !
ゼーゼー、ハーハー。
街の商店街に、大バカ野郎の絶叫がとどろく。
商店が並ぶ通りに入ってから、トラの歩くペースは目に見えて落ちていた。
人通りはすこしづつ増えてきたが、町の住人たちはトラを見てもべつに驚く様子はない。もう慣れっこのようだ。
いま何時だろう。
消防本部に戻る時間は、とっくに過ぎているはずだ。
トラは頭が痛かった。
いったい橋を破壊したことを、なんと報告すればいいのだろう。というか、たぶんもうバレてると思う。
「はあ……参ったぜ。いいわけがなんも思いつかねぇ。戻りたくねえなあ……」
トボトボ。
ずしんずしん。
ふたつの意味で、トラの足取りは重い。
そのとき―――
『右手……』
「え?」
誰かが、しゃべった。
誰だ……?
『右手が空いた』
「あ? え? あ!」
トラが飛びあがる。
長靴が、しゃべった。
呪われたあの日と同じ、地の底から響くような声。
『ここから近い。再びひとつに……』
呪いにかけられたあの日以来の、長靴のことば。
トラがわめきたてる。
「ててててめえ! 10年ぶりに喋ったな! ちょちょ、なにいきなり……!?」
こ、こいつのために俺の人生は……!
くそ、ちくしょう!
こいつめこいつめ!
自分の足に向かい、どなり声を浴びせる。
「お前を粉々にして、ブタに食わせてやる! そのブタもオレが食い殺してやる!」
……筆舌に尽くしがたい怒声。
近くにいた学生が腰を抜かす。
ある買い物客は、わが子の耳をふさいで逃げ出した。若い奥さんたちが遠巻きに、ひそひそとトラを眺めている。
「ちょっと、あのコ」
「呪いのコでしょ。やだ、下半身と会話してる」
尋常でない様子のトラを囲むように、どんどん人が集まってきた。
「俺から離れやがれえええええ!」
『いま行くぞ……』
ズン……!
「お? おおお?」
ズシン!
ズン!
「おおおおおおおおおお? ちょ、おい待て! どこ行くんだよ勝手に!」
ズシン!
ズシン!
ズシン!
……勝手に?
長靴がトラの下半身を強引に動かし、ズンズンと歩き出した。トラの意志を完全に無視し、どんどんと歩きはじめたではないか!
ドシン!
人にぶつかる。
ガッ!
ポストにぶつかった!
「痛て!」
「わっ」
「ワンワン、キャイン!」
通行人に、犬に、原付バイクに体当たり!
障害物をものともせず、まっすぐまっすぐ長靴は進む。
ズゥンズゥン。
「ちょちょちょちょ……」
トラはパニックになっていた。
わお、痛て、アッごめんなさい、止、とめてくれ!
……やがて目の前に商店が迫ってきた。
「おうトラ。精が出るな……おい、なんだ!」
こちらに向かってくるトラを見た八百屋の店主が、悲鳴を上げる。
「おいなんだよ、バカよせ……」
「よせと言われても、あ、あ、超絶やばい!」
ズドンズドン!
足だけが先行するような変な体勢で、八百屋の店内に突入した!
「よけて! あッもう、ぐわー!」
ドゴォン!
青果の商品棚をなぎ倒し、さらに店の奥へ向かう。冗談でも通用しない……
「ああ、店が……なにしやがんだ!」
怒る店主。
「俺じゃねえ、靴が勝手に……いてて、果汁が目に! スダチだ、ユズだ!」
柑橘類の棚に突っこみ、パニックになるトラ。
店内をあらかた破壊したあと、奥の勝手口をぶち抜いて裏通りへと消えていく。
まるで機関車……
ズゥン、ズゥン、ズゥン!
「なにも見えない! 酸っぱい、痛い!」
『再びひとつに……』
八百屋に開いたトンネル。
その奥から、トラの悲鳴がまだ聞こえる。
「助けてくれ~!」
どうしろってのよ。
通りに残された人々は、ただ茫然と立ちつくすのみだった。
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ゴオオオオオ……
洋館は、いまや外からも火災が起こっているのが見て取れる。黒煙が上がり、屋根裏にも広がった炎は、廊下へと流れはじめた。
その出火場所である、3階の大広間――――――
『腕だ……腕がある……』
カチャン、ガチャン……
「て、てめえ……なに考えてやがる!」
青ざめながら吠えたてるフォックス。
その視線のさきでは、籠手があたらしい宿主に憑りついていた。
「なにって? 見ての通りだよ。先生」
組長……彼の右腕を覆う、大量のブロック群。
『119軒に火をつけろ……』
『それまでは決して外れない……』
機械のように、呪いの言葉をつぶやく籠手のブロックたち。
「消火器だ! 消火器を持ってこい!」
「消えねえよ、まるっきし消えねえぞボケッ!」
なんとか火を消そうと、組員たち数人が慌てふためいている。
やれバケツだ、消火器だ……
室内の混乱ぶりなど気にする様子もなく、ブロック群は、籠手の形に組みあがってゆく。
……組長は正気なのか?
自分から呪いのパーツ群に触れ、右腕に纏わせた。
カチャン……
カチャン……ガチャン!
籠手が、完成した。
「バカか、なに聞いてやがった! そいつの呪いにかかったら……くそ! てっめえ離せ、ほどけ……!」
2人の組員に取り押さえられ、フォックスは後ろ手に手首を縛られている。さらに胸囲を腕ごとぐるぐる巻きにされて、床に転がされた。
「ぜんぜん構わねぇさ。こぉんな凄えモン手放すなんざ、先生の気がしれねえな」
組長が左手で籠手をさすりながら、愉快そうに笑う。
ぱちぱちと掌から火が噴き出し、ぼうぼうと球形にうずまいた。
炎―――
ボゥッ!
ゴウ、ゴウ……
「ほほ、こいつはいい。おい、てめえら火は消えそうかぁ?」
「ダメです! 消えっこねえっすよ、熱ちっ!」
「組長、ここはもういけねえ。はやく外へ……」
組員たちの足元には、空になった消火器が何本も転がっている。なんとか消火しようと苦心したようだ。
だがとても消火器でどうにかなる火勢ではない。
おそらく屋根裏はすでに火の海にちがいない。
屋敷全体に延焼するのは、時間の問題だろう。
大広間いっぱいに、火の粉が舞う。
「よしお前ら、ずらかるぞ。もうこんなボロ屋敷にゃ用はねえ。ははは、この手甲がありゃあ、金なんざいくらでも入ってくるぜ」
組長の右手で、火球はさらに温度を上げた。
「あちち! なあ先生、いっぺん出した火玉はどうやって消すんだい?」
「て、てめえ……後悔すんぞ。そいつは……あぐぁ!」
ズドッ!
なんとか膝で起き上がろうともがくフォックス。その背を、組長がカカトで踏み沈めた。
さらにもう一発!
ズドォ!
「ギャッ! ゲホぉ! ゴホ、い、ひい……」
「なるほど、消せねぇわけだ。じゃあ先生に燃えてもらおう。前から言おうと思ってたがな、あんたは高えくせに、仕事を選びすぎだ。ははは」
組長はフフンと肥えた腹をゆすりながら、火球をフォックスに向けた。
「~~~~……!!」
にらみ返すフォックス。
だが……熱波で目を開けていられない。
視界が揺れる。
死、ぬ――――――
(ちくしょう……ああ、最後の最後にバカやっちまった。さんざん好き勝手に使ってくれた仕返しなんざ、考えるんじゃなかった)
(思い出したぞ。アタシの人生、こんなヘマばっかりだった。入るなって言われたお城の倉庫に入って、呪いにかかって、119軒燃やせとか言われて……泣きそう)
(マリィはどうしてんだろ? 人生で友達と呼べたのは、とうとうマリィだけだったなぁ。あぁ顔が焼けそう)
(さっすがアタシの火ィだ。キレイ。食らったら、さぞかし熱いだろうな。それが怖くて、生き物は燃やせなかったのに)
(暑ちぃ……)
…
……
………
ズドォオオン。
てめえ、この止まれバカ!
………
……
…
(……なんだ? あれ? この声は……)
屋敷が揺れる。
ガシャ、ガシャン!
炎上するサイドボードから、年代物の壷が落ちた。
…
……
………
ズドォ!
ズドォ!!
ちょ、お前ここヤクザの事務所……
ズドン、ズドン、ズドォン。
ぐわー、入っていく!
………
……
…
廊下から叫び声が聞こえる。
床が振動する。
…
……
………
ズドン!
ズドン!
ゴホゴホ、なんかケムいぞここ!
ズドン!
ズドン!
ゴホ、まさか火事じゃねぇだろうな!
ズドン!
ズドン!
よせバ……やめ!
お、お邪魔します!
………
……
…
ドゴォ!!
バラバラバラバラ……!
扉が蹴り飛ばされ、粉々にぶっ飛んだ。
「どうも……こんちわ。あの、お邪魔します」
ズシン、ズシィン……!
大広間に入ってきた長靴男が、気まずそうに挨拶を始めた。
そして叫ぶ。
「あの、消防署から来ました。火の用心……ぎゃあ! ライブで燃えてんじゃねえか!」




