第55話 「フルメタルデッキ」
「お願い、トラを離して! どうしてこんなことをするの!」
甲板の中央でニニコが叫ぶ。
「た、助けてください! 博士、博士――!!」
トラも叫ぶ。
いまトラは、顔中に脂汗を流し、バンザイの姿勢でつっ立ている。後頭部に小銃を突きつけられて。
あろうことか、突然スキンヘッドの軍人に銃を突きつけられたのだ。
いや、マジでなんの脈絡もなく、突然。
軍人はトラを甲板の中央まで歩かせると、「お内裏さまのダウンロードに失敗したのは、水曜日のボケペンギンだ!」と叫んだきり、意味不明のセリフをわめき続けている。
完全にイカれとる。
その上、ニニコは半狂乱になって犯人に喚きたてていた。
「いまなら罪は軽いわ! トラを撃ったら、海に放りこんでやるんだから!」
少女を犯人に近づけまいと、水兵が2人がかりで行く手を阻む。
離れるんだ、あっちに行けと怒鳴りつける屈強な男たちに抑えこまれ、それでもニニコは1歩も引かない。
トラを解放して、と必死に懇願する。もちろん逆効果だ。
「お金が目当てならムダよ! 彼は1ナラーも持ってないの! なぜなら……」
「余計なこた言わんでいい! だ、誰か、博士を呼んできてください!」
「トラ、もう少しの辛抱よ! この人の要求はなんなの? ワーワー!」
「俺が知るわけねーだろ! ちょっと黙ってろ! ワーワー!!」
ここでようやく、犯人が要求を口にする。
「いますぐピザを焼いて実家にFAXしろ! ついでに俺の除隊届を出してくるんだ!」
「な、なんの話してんの。たのむから落ち着いてくれ……」
意味不明の供述に、トラの顔色が凍りつく。こ、これはヤバすぎる……
犯人の両耳のピアスが、きらりと光る。
ガラスの装飾がついた、青とピンクのピアス。
「もうこんな生活は我慢できねえ! 早くしろ、この野郎がどうなってもいいのか!」
「なんでそうなるんだよ! だ、誰か……この人の上官はいませんか!」
ガシャリ!
弾を装填したらしい。
撃つ気満々だ。
さすがのトラも、ひたひたと首元に触れる鉄の感触に真っ青になっている。すでにまわりは、艦内中の海兵らによって取り囲まれていた。
「おいよせッ! バカなマネはよすんだ、ハール2等!」
「てめえ軍法会議モンだ! 海の上じゃどこにも逃げらんねえぞ!」
「か、かといって自殺なんかすんなよ! 顔写真つきで世界中に報道されちまうぞ! ましてや人質を殺しやがってみろ……」
そうとう興奮しやすい連中が集まったらしい。
信じがたいことに、犯人を追いつめる言葉を容赦なく浴びせる海兵たち。銃を構えている者もいる……いや、そんな犯人に丸見えの位置で。
またニニコがそれに刺激され、よけいにパニックになった。
「トラに万一があったら許さないわ! ゲス野郎め、ボケ野郎め! ウエーン!」
「刺激すんじゃねえ! た、頼むから全員下がれ、下がってくれ! ワーワー!」
「その通りだ! 全員下がれ! ワーワーワー!」
トラも犯人もパニック―――犯人の様子は普通じゃない。
目は血走り焦点が合っていない。口端からは、ヨダレが顎にむかって垂れている。
ウヒウヒと時折笑みを浮かべるその顔は、なにかの薬物の症状のようだ。
「ヒヒヒ、お、おれは故郷に帰るんだ……俺は自由だ……ヒヒ……」
そこへ……
ピ―――ッ!
けたたましい笛の音とともに、ドタドタと別の軍人が10人ほどやってきた。
ほかの海兵とちがい、将校の白い軍服の集団。そのなかでいちばん歳のいった中年の軍人が、ずいと列の前に出るや、犯人を見るなり怒号を上げた。
「ハール二等兵! この出来そこないの負け犬め! いいや、犬にも劣る! いますぐ人質を解放し、投降せよ!」
ライオンが吠えるごとく、まるで拡声器のような大絶叫が轟く。間近で聞いたニニコ、ほか何十人かがひっくり返った。
負けじと犯人が言い返す。
「出てきやがったな艦長! 俺が負け犬なら、てめえはエビチリだ! どういう意味ですか!」
言い返せてない。
なに言ってんだよ、このバカは。
艦長の顔が真っ赤になる。
「頭にカスタードでも詰まってるのか貴様! 我が艦の面汚しが、一人前の口をきくな! 泣いても泣きやんでも許さんぞぉ!」
興奮状態の艦長を見て、トラが悲鳴を上げた。
「ちょっとオッサン、人質の俺が見えねぇのか! 言葉に気をつけてくれ。な、なあ。アンタも俺なんか人質にしたってしょうがねえだろ? な……」
いつものトラからは考えられないほどの慎重な対応。
しかし―――
「どちくしょうが! これ見よがしに、女と艦に乗りこみやがって! オレは見たんだからな! 毎晩あの女学者とよろしくやりやがって」
「な、なにが見ただ! ウソつくんじゃねえよ! か、神様……」
その通り、そんな事実はない。
おそらく彼が見たのは幻覚だろう。
しかし、ようやく意思疎通が出来たというのに、会話が通じていない。打つ手がない。
一向に進まない交渉に、艦長がしびれを切らしたらしい。
ホルスターから拳銃を抜いて、犯人に向けた。
「予科練上がりのクソガキめ! ここに来てひざまずけ! 俺に永遠の忠誠を誓うんだ、誓うと言え!」
「それだけじゃない! みんな聞いてくれ! そこにいる少女もこいつは弄んだんだ! オレは見たんだ!」
「見たって何をだよ!? ウソつくんじゃねえ―――!!!」
艦長を完全に無視。
くり返すが事実ではない。
だが取り囲む水兵たちは、一斉にトラを非難する。
「なんだって? このクズ野郎!」
「この子はいくつなんだ? 14くらいじゃねえのか? 未成年者なんとかじゃねえか!」
「てめえの大学に通報してやる!」
「なんだ、その長靴は! 何のアニメのつもりだ!」
猛然となる甲板。
もう死にそうなトラ。
「頼む。頼むから通訳を呼んでくれ……!」
ニニコは――――――
「うそ。うそ、でしょう? トラ……」
悲痛な表情で、唇をふるわせる。
絶望―――
トラは――――――
「身に覚えがあるってのかよ! ウソに決まってんだろうが!」
悲痛な表情で、唇をふるわせる。
絶望―――
はちきれんばかりに顔面を真っ赤に膨らませる艦長。
構えた銃の引き金に、指をかける。
「いまから5つ数える! 人質を放せ、さもないと射殺するぞ! ワーン! ツー!」
死のカウントが始まる。
ハール二等兵の目の色が変わった。
いや、一変した。
軍人の本能だろうか、血の気が引いたように表情が凍りつく。
ジャキ……
トラの肩に銃身を乗せ、艦長の心臓へ狙いを定める。
銃口が自身の首から外れたことを、トラは理解した。
「うるァア!!」
ドガッ!
「グハッ!」
一瞬!
犯人……ハール二等兵が引き金を引く、寸前!
まさにその一瞬前にトラの裏拳が顔面に叩きこまれ、彼はドォと真後ろに倒れた。
「ぐ……うおぉ、お……」
頭を甲板に打ちつけたらしい。
白目をむいて転がるハール二等兵を、おそるおそる長靴のつま先でツンツンするトラ。やはり動かない。
た、助かった……
「はー、はー、ふぅ……」
トラがため息をついて、大汗を拭う。し、死ぬかと思った。
「トラ―――ッ!」
泣きながら駆け寄ってくるニニコ。だが……バシン!
「ぐッ!」
トラに頭をひっぱたかれた。
「お、お、俺を殺す気か! 黙れと言ったろ!」
「叩くなんてひどい! あんなに心配したのに! エーン!」
「泣きてぇのは俺だ! 何考えてんだアホ!」
ニニコは泣いている。
トラも泣いている。
「トラのエッチ! 知らない間に私を……最低よ!」
「お前の記憶なんか知るか! うおおおおん!」
ニニコは泣いている。
トラも泣いている。
気を失ったハールの両足がロープで縛られた。
「確保しました、艦長どの!」
「よ、よろしい。フゥ……フゥ……」
息を荒げた艦長が、ハールのもとへ歩み寄り……なにかに気づいた。
「む……おい! ハール二等兵の耳についているものは何だ? 調べろ」
「はっ……艦長どの。ピアスのようであります」
「よこせ。ふうむ……」
背の高い軍人が、ハールの両耳からピアスを外し、艦長に手渡した。
ひとつは青の。
ひとつはピンク。
2センチほどの、球形のピアスだ。
「なんだ? 宝石かと思ったらカプセルのようだ。中にはなにかの液体が……」
艦長がまじまじと2個のピアスをにらむ。
ガラスに見えたが、ただのプラスチックだ。内部は空洞で、水のようなものが針の先端から漏れ出している。
「うむ……おい、これを医務課にもっていけ。調べさせろ」
艦長は、その場にいた下士官にピアス……のようなものを渡した。
一件落着、だといいが。
※ ※
大騒ぎになっている甲板に、レインショット少佐とフォックスが降りてきた。
「なんだ……なにが起こったのだ? おい、君! 人質はどうなったのだ?」
レインショットが近くにいた水兵を呼び止める。
「はっ、ジョンソン少佐! ひとまず解決をいたしました。人質の青年は解放され、艦員には損耗なし!」
「トランス状態だったハール二等兵は、艦長の活躍により確保・拘束。その際、不審な耳飾りが押収されました! 以上!」
あわただしく敬礼し、彼はその場を離れた。
一方、顔面蒼白のレインショット少佐。
「み、耳飾り……トランス状態? だと……ま、まさか……」
レインショットの表情を見たフォックスに、いやな予感がよぎる。
「おい……少佐。なんか心当たりがあんのか? 嘘だろ、これ……あんたの荷が関係してんじゃねえだろうな」
答えない。
絶望した表情で、騒ぎの中心を見つめるレインショット。
「さ、最悪だ……」
トラと、艦長と、ニニコの叫び声が、甲板を震わせる。
「ジジイ、てめえの銃かせ! 全弾てめえにブチこんでやる!」
「貴様、俺の銃にさわるんじゃない! なんだその長靴は!」
「トラが叩いた! お姉さまに言いつけてやる!」
一件落着……なわけねえだろ。
残り9時間。
駆逐艦への放火まで、あと9時間を切った。




