第245話 「ロスト」
マオちゃんはフルカワ回収作戦が完了するまで、学校を休学することにした。内申点、出席日数ともに問題はなかったため、年度内に復学すれば留年せずにすむ。
本当なら昨日から修学旅行に行くはずだった。みんなは今頃、アムステルダムに着いたころだろうか。
マオちゃんも本当は行きたかった。
二度とない、今の同級生たちとの修学旅行。本当は行きたかった。
いまマオちゃんは、第47魔王城の会議室にいた。
あれから1ヵ月……トラたちがめちゃくちゃに踏み荒らした挙句、 “ 焼き籠手 ” が放火までしたものだから、魔王城は半壊状態だった。
しかし、そこはさすがの魔王軍。その日のうちに復旧工事が始まった。さすがに外壁はまだ防音シートで覆われている。だがすでに運営機能は復旧しており、業務はもう再開していた。
ただし人的被害はひどく、全職員の6%ほどが職場復帰できていない。なかにはまだ入院中の者もいる。
マオちゃんは休職や入院中の職員みんなを見舞い、このたびの失態についてひとりひとりに謝罪した。
魔王軍の現行最大の任務は、フルカワ回収作戦。その本部はべつの場所に置かれている。そのうえで大まかな業務は、世界中に点在する支部に振り分けられた。
いま第47魔王城は、すべての鎧を保管するための巨大な設備として大改造が進められている。
したがってマオちゃんはいま、被呪者ならびに旧被呪者の対策に追われていた。
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「へへ……それでは始めますが、どうしましょっかね、魔王様。トラブリックとニニコ、ハムハム。どれからご覧になりますか」
「えー、どうしよっかな。オススメとかある?」
小会議室にて、外科医のダンドル博士から説明を受けるマオちゃん。大型のディスプレイを前に、いつもと変りない様子だ。
デスクの上には資料、タブレット、ノート、そしてチーズバーガーセットのXLが置かれている。ドリンクはアイスティーだ。
ちなみにマオちゃんのうしろに控えるように、黒服の3人組がいる。魔王専属のボディーガードだ。いずれもすさまじい達人だが、いまはとくにエピソードに関係しない。単に、いるとだけ紹介する。
それよりダンドル医師だ。
白髪まじりの、50代なかばくらいだろうか。なんか彼は酔っぱらっているようにも見える。目の焦点が定まらず、へらへらと笑っているではないか。
マオちゃんはそれを咎めることもしない。あむあむとチーズバーガーをほうばっている。
「へへ……じゃあ、第3位から。ハムハム・クックポンポン君の映像から見ていただきますか」
パッ。
ディスプレイに、映像が映された。
医療用のベッドに横たわるハムハムを、上から撮影しているらしい映像。どうやら動画ではないようだ。
ハムハムの右足は、痛々しいまでに包帯を巻かれている。その右足の甲が、半分ほど無い……切断されている。
うつろな目でこちらを、つまり天井にあるであろうカメラを見つめるハムハム。生気を失ったその表情は、まるで死人のようだ。
ときどき点滴のチューブが揺れるくらいで、画面はぜんぜん変化がない。
えっ、チューブが揺れる?
これ動画?
「はやく再生スタートして。え、これ動画じゃないの?」
「いや動画っていうかリアルタイムの映像ですこれ。ハムハム君、一日中あんな感じでしてね。ぜんぜん動かないんですよ」
「寝てるの? 目ェ開いてるけど」
「いえ、起きてます」
「動いてないの見せられても……これって、こっちの声は向こうに聞こえてる?」
「え? いえ、すいません、聞こえません。そこまで用意してませんでした」
「いや、まあいいや。じゃあ説明して」
「わかりました。まずハムハム君ですが、右足はスマイリー隊員に撃たれて重傷でした。半分吹き飛んだ状態だったため、足首から先9センチほどを切除。術後経過は良好ですが、かなり精神的なダメージが大きいようです」
「そうなの? かわいそうだね」
「もうしばらくの回復後から歩行のリハビリを開始する予定ですが、どうもあのとおりでして。専門家のカウンセリングが急用と判断します」
「ほかに目立ったケガってあったの? はじめに魔王城に来た段階でもう車椅子だったよね」
「へへへ、それも右足ですね。脛骨にも骨折がありますが、こっちは別状ございません。ですんで、現在は南城市の病院に移送しております。へっへっへ、通常なら4ヵ月ほどで退院可能ですがね」
「え、魔王城にいるんじゃないの? 南城の病院って、クバネ総合病院? この映像って、そこから来てるわけ?」
「はい。井氷鹿から解放されたいま、もうハムハム君はただの人間ですからね。呪いもない子どもの収監なんか、魔王城じゃなくても無問題ですよ」
「それもそっか。ほんでハムハム君のメンタル面って、具体的にどんな感じなわけ?」
「うつ状態ですね。足を切断したショックと、人を植物状態にしてしまった罪の意識で」
「は……は!? 植物状態って誰が?」
「スマイリー隊員です。ハムハム君が腹を刺したことで、失血性の心肺停止になって」
「スマイリー君が!? ウソでしょ、そんな報告受けてないよ!」
「はい嘘です。彼はもう退院してまして、元気に職場復帰してます」
思わず立ち上がったマオちゃんだったが、脱力するように座りなおした。じろりとダンドル医師をにらむ。
ちなみにスマイリーとは、第192話でハムハムに刺された人だ。あの不気味な笑顔のマスクのひと。どうやら生きていたらしい。
「……ダンドル君さあ」
「へへ……ウソも方便ですよ。おかげでハムハム君はすっかり大人しくなりまして、いまでは自分から魔王軍への協力を申し出てくることもありますしね」
「自分から? なんで?」
「フルカワのことを話したんですよ。再生の能力の話。もしフルカワが見つかったら、君の足も元通りになるかもしれないし、スマイリー氏も植物状態から回復するかもしれないって」
「またエラい嘘ついてくれたね。フルカワに再生の能力なんかないって言ってんじゃん」
「でもそこで私の嘘が効いてくるわけですよ。フルカワの能力で、スマイリー氏が元気に復活、って芝居を打つんです。これなら再生の能力にも真実味が増すってもんですよ」
「詐欺じゃん。そのあと彼の足はどうすんのさ」
「井氷鹿をだれに呪わせるかで、ずいぶんお迷いだと聞きました。ハムハムくんが喜んで協力してくれるなら、それに越したことはありませんよ」
「いや、ハムハム君の足はどうすんのって聞いてんの。再生できないっていつか気づかれるじゃん」
「それはそれ。スマイリー氏を植物状態から回復させたら、フルカワの力が失われたってシナリオにでもしましょう」
「そんな残酷な」
「へっへ、ウソも方便ですよ。たとえウソでも、まずは彼に生きる意志を取り戻してもらわないといけません」
「うむぅ。さっき、ハムハムくんが喜んで協力とか言ったよね?」
フライドポテトをつまむマオちゃん。
いつのまにかディスプレイの写真は変わり、ハムハムがおだやかに寝ている姿に変わった。
「ハムハムくんが自分から魔王軍にいたい、って思うように誘導するってこと?」
「へへへ。しますか洗脳?」
「洗脳じゃない、誘導」
「します?」
「いや……保留。まだしない」
「よろしいんで?」
「ハムハム君を侮ると痛い目見るよ。それよか彼の家族にはなんて説明してんの? もう行方不明になってずいぶん経つんじゃないの?」
「さあ……」
「さあ!?」
「それはアレです。医局部のアレじゃないんで、私はちょっと。たしかお手元の資料のどっかに書いてあったと思いますんで、へへ」
「……あとでいいから、そのどっかを抜粋してメールして。ほかにハムハム君については?」
「へっへへ、彼はバーベーキューファイアに恋してますね」
「うん!? ハムハム君が? フォックス君に?」
「こないだの問診のとき、たまたまバーベキューファイアのことを質問したんですよ。そしたら明らかに、受け答えがモジモジしはじめましてね」
「へえ、意外」
「へっへ、これはアレです。年上のお姉さんに夢中になってるアレだと見えました。ところで彼を収容してる病室は、監視カメラで24時間見張ってるんですが」
「そりゃ24時間監視してくんないと困るよ。なんの話?」
「問診の次の日の朝です。ハムハム君は目を覚ますや、しまったという顔をしたのをカメラは見逃しませんでした」
「はあ?」
「ハムハム君、取り返しのつかないことをしたような絶望的な表情を浮かべましてね。明らかに困っているようでした。やがてフトンを使ってカメラから隠れながら、ベッド横のティッシュを使い……」
「そんな話かい! あのね、私いま食事中なんだけど!」
「へっへへ。そういうわけで、彼を洗脳するんだったらバーベーキューファイアをエサにするのが望ましいと。へへへ」
「洗脳はしなくていいったら! もういい、次。トラブリックくん見せて」
なんという下品な男だろう……ダンドル博士は、ヘラヘラと画面を切り替えた。
次に映し出されたのは、トラだ。
今度は動画じゃない。トラがベッドに拘束されている写真だ。あろうことか泣き叫んでいる瞬間の、情けない姿だ。
いや、よく見るとトラが寝かされているのはコンクリの床だ。
上半身はマットに寝かされているが、両足は床に投げ出されたうえで、鎖で固定されている。長靴の重さを考えれば当然と言えるが、さすがにひどい。
「へっへっへ。彼に関してはちゃんと動画撮りましたよ。あんまり面白いんで、YOURUBEに投稿しちゃおうかなんて思ったくらいで」
「思うだけにしといて。はやく説明して」
「それではご説明を。まずトラくんですが、右手が使えません」
「はい?」
「こちらをご覧ください。彼の右手のレントゲンと、CTおよびカルテです」
「ふむ……うわっ!」
トラの写真にかぶさるように、新しいウィンドウが3つ開かれる。トラの右腕のケガが、モザイクも無しに映し出された。なんという痛々しい写真だ。
「これはトラくんを捕獲したその日の写真ですが、へっへっへ。ご覧のように、右上腕に穴が開いてます。完全に貫通してますな」
「だから食事してんだからこっちは! 消して!」
「これは失礼を、すぐに消します。えー、へへ。まずケガのアレですが、キッカ・フジカワ隊員が素手で彼の右手を刺したようですな。その後 “ 咲き銛 ” によって、同じ場所を刺されたようです」
「うわきっつ……キッカちゃん、なかなかやるじゃないの」
さらに別の写真。
「そしてこれがレントゲンと、MRIの画像です。えー、正中神経と橈骨神経が切断されてますな。本人にヒアリングしたところ、右手がまったく動かないそうで」
「自業自得だな」
「へへっへ。何日かは激痛で暴れまくってましてね彼。モルヒネを打ってあげましたところ、その日はなんとか落ち着いたんですが。そのまま検査したのがさっきの写真でして、まあご覧のとおり、右手はもうメチャクチャですな」
「あーあ。治るのコレ? これこそ切断しないで大丈夫なわけ?」
「骨折は処置しまして、さらに血管と神経はつなぎました。ただまあ、あとはリハビリ次第ですね。完全に元通りにはならないだろうとは本人にも伝えたんですが、へっへっへ……」
「なによ、気持ち悪いな」
「いえいえ。こればっかりは動画で見ていただいたほうがよろしいかと。再生してみましょうか」
「あんま見たくないけど」
うんざりのマオちゃん。
ダンドルはへらへらと動画をクリックした。
すると―――
《うおおおおおおん! お、お、俺の右手はもう動かねえのおおおお!?》
動画のトラは泣き叫ぶ。
すごい音量だ。
《なんで俺がこんな目にいいいいい!》
「これは一昨日の映像です。手術後に目を覚ましたあと、べつの医師から容態の説明を受けた直後の……」
「まって、聞こえない!」
《うおおおおおん! か、神様たすけて!》
「すでに足枷を拘束する鎖は撤去し、ベッドに寝かせています。しかし足枷の重量に耐えられる寝台がなく、やむなくミサイルの運搬用台車を改造し……」
「ちがう、聞こえないの!」
《うおおおおおん! フォックスー!》
「ちょっとボリューム下げて!」
「これでも音量5くらいなんですが……2にしましょう」
《ウオオオオン! ほほほほんとにオレの右手は一生動かないんですか!? ぎええええ!》
暴れるたびに、ベッドはガシャガシャと音を立てる。
転げ落ちそうな勢いで暴れるトラ。
《誰か、誰か助けてくれ! もう警察でいいから呼んでくれー!》
「止めて!」
「へーへっへ! へーっへっへへ、へへへ!」
マオちゃんの怒声で動画は止められた。
トラの映像は、すさまじい取り乱しかたのまま、まだ映っている。ハタチ超えた男の半狂乱の顔は、静止した状態だと余計にこわい。
「へっへっへ。へっへっへ」
「もう疲れた。なんなのこの男、情けない……」




