第226話 「ロデオ」
扉が降ろされる。
ブクブク。
ぶくぶくぶく……バタン。
水中で、扉と扉が合わさる。1ミリの隙間もなく、ぴったりと―――悪魔が封じこめられる。
ガコ……ン。
留め金がかけられた。
「あばよ、ルディ」
つぶやく。
トラは身震いした。
なんだか急に体温が下がったような気がする。無理もない、首まで水に浸かりっぱなしなのだ。全身ズブ濡れで、内臓の奥まで冷え切ってしまった。
はやく岸に上がればいいのだが、動けない。
扉の取っ手を握ったまま、手を離すことが出来ない。なにしろ中には4つもアイテムがあるのだ。またぞろ不思議な力で、脱出してこないとも限らない。
……それもあるが。
なんだか、ルディにとどめを刺してしまったような気がするのだ。不安と罪の意識で、手を離せない。
「いや離せよ」
「ふんぎゃッ!」
ザブン!
ひっくり返るトラ。川の中に倒れこみ、ばしゃばしゃと暴れる。
「あっぷあっぷ!」
「や、や、やったじゃねえか、ブルブル」
いつの間に。
フォックスがやって来た。歯をガチガチと鳴らし、寒さに震えている。そりゃ、半裸でこんな氷漬けの川に入ってきたら……いや大したものだ。
なんとかトラは体勢を立て直し、ざばと首から上を水面に出した。ぴゅっと口から水を出す。またズブ濡れ……
「ゲホッ、ゴホッ、お、遅いんだよ来んのがよ! 死ぬかと思ったぞ!」
「ピ、ピ、ピンチだと思ったから助けに来てやったんじゃねえか。お前が穢卑面といっしょに荷台に入ったときは焦ったぞ、ブルブル」
チャプチャプ。
「入ったんじゃねえ、スベって流されちまったんだ。気がついたら穢卑面と仲良くハコヅメだ。ヤバかったぜ」
「と、とにかく無事でよかったよ。お前が出てきてホッとしたぜ……ルディのやつ、死んだのか?」
死。
フォックスの無神経さよ、簡単にルディが死んだかを聞いてくる。
トラは、ざぶざぶと波打つ配送車に目をやった。横転し、水に半分以上も浸かる2トン車の不気味なことよ。
荷台に死体と鎧があると思うと、余計に気味が悪い。
「……とうとう殺人やっちまった。よりによってルディを殺しちまった」
凹むトラ。
「お前が殺したわけじゃねえだろ。こりゃ死人を埋葬したみたいなもんだ」
慰めるフォックス。
「アタシも村のみんなを火葬したぞ、それと一緒さ」
「いっしょか。そうか……待てよ、それ一緒かあ? ふぇ……ヘェックショ!」
「一緒一緒! へ……ヘッキシ! お、おいもう岸に上がろうぜ」
クシャミ2連発。
体が冷えてきた。もう岸に上がらないと本当にヤバい。
「寒い寒い!」
ばしゃばしゃ、フォックスはバタ足で岸へ向かう。荷台など気にする様子もない。
対してトラは、何度も荷台を振りかえる。
2トン車って、こんな小さかったっけ? 大部分が水に沈んでいると、余計に小さく見える。
「ぶるっ……! 凍りそうだぜ……」
ざぶざぶ、ざぶ。
フラつきながらも岸に向かって歩く。また振りかえる……もう水面に浮上する気力もない。
「寒みい……」
いま体温は何℃まで下がっているのだろう。全身が凍りついて、もう痛いくらいだ。
ざぶ、ざぶざぶ。
ざばぁ。
ざばあっ!
「ひーっくしゅ! さ、寒い……」
「フォ、フォ、フォックス、火、火、火……!」
ようやく岸に上がった2人だったが、もう身動きすらできないほどの消耗と低体温だ。なんか2人とも身長が縮んだように見える。物理的に縮こまってしまっている。
「火、火、フォックス、火……!」
「わ、わ、わかってんよ、こ、この木を、木、木……!」
ボオッ!
岸に打ち上げられていた1メートルほどの流木。フォックスが触れたとたん、腐ったそれはバチバチと燃えはじめた。
あ、あ、あったかい……
やっと、やっとトラとフォックスの顔がほころぶ。まだ体を震わせているが、やっと暖をとることが出来た。
「はあ~、あったけえ……」
「やっぱ火はいいなあ、燃えてんの見てっとホッとすんぜ。おいトラ、そっちに落っこてる枝集めてくれよ……ってオイ、その手! 血!」
ガシ!
フォックスがトラの右手を乱暴につかんだ。血まみれの腕を。
「ぎゃあ痛てて! なにすんだ離せ!」
叫ぶトラ。
穴だらけの腕を掴まれたのだ、痛いなんてもんじゃない。だが……フォックスの手を振りほどこうともしない。
「お前、手ェ動かねえのか?」
フォックスの声が詰る。
「右手、動かねえのかよ」
「ぐっ」
顔が近い。
炎に照らされたフォックスの美しい顔よ、濡れた髪に火の光がキラキラと反射する。幻想的な女、いや女の体。
目の前と言える距離に、ほぼ剥き出しの大きな胸。その奥に、なだらかな腹が息をするたびに艶めかしく動く。息……フォックスの吐く息が肌に当たる。どこを見てもエロい。
もう右手は痛み以外の感覚がない。
籠手につかまれているはずなのに、その感触がない。フォックスの言うとおり、右手はさっきから指1本動かない。
「手ェ、動かねえのか」
「……うん」
1秒。
2秒。
男女は砂利だらけの川岸で身を寄せあったまま固まる……2秒だけ。
「ひゃあ、な、なにを!」
「うるせえ、服をぬげ!」
ビリビリビリ!
フォックスがトラにのしかかった。シャツを強引に剥ぎ取るや、びりびりと包帯状に破り裂いてしまう。
「うおおお痛ええええ! や、やめてえ!」
「やかましい、黙ってアタシの好きにさせやがれ!」
上半身裸の男。
上半身半裸の女。
誓ってこれは看護である。それが証拠に、トラの傷ついた右手を縛りあげていく。フォックスは的確に……かどうかはわからないが、右腕3か所をギュウギュウに括りしめて出血を止めた。
どうやら傷ついたのは静脈だけだったようだ。動脈だったらすでに失血死していただろう。
「ひい―――、どけ―――!」
「ガタガタうるせえ! 大人しくしろ!」
言い忘れたがトラは両足も刺されている。その傷ついた足に、フォックスはどっかりと乗っかっている。
「痛い痛い痛い! 死んでまう!」
「アッ! そうだったテメー、足もだったな! 見せろ!」
「ワオー!」
「ワオーじゃねえ!」
取っ組み合いさながらにフォックスはトラを襲い……じゃない、懸命に止血する。シャツだけでは足りず、その辺に落ちてたビニールロープも使って縛る。
「ど、どけ! どかねえと挿れんぞ!」
「どくか! アタシが挿れてやる!」
……もう、ムードもへったくれも。
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数分後。
「もぐもぐ。この新発売のパン美味い。ホラ食えるか? アーン」
「アーン。もぐもぐ……うん、美味いな」
岸に漂着した山のような荷、その中から密封されている菓子パンなどを拾い集め、2人はガッつく。片手の使えないトラのために、フォックスはひと口にちぎって食べさせてあげる。
はいアーン、もぐもぐ。ゲップ。
ようやく満腹になった。
正直こんなのんきに食事している場合ではないが、さすがにもう動けない。見上げると、分断された高速道路のスキマから見事な星空が見えた。
「やーれやれだ。どうするよ、これから。また車奪うしかねえけど、高速に上がってもムダだろうな」
勇者剣でブッた斬られたそれは、まるで建設途中の高架道みたいだ。たとえトラの長靴で高速道に上がったとして、通る車などあるわけがない。最初のバス事故で、警察が通行封鎖をしているのは確実だ。
まごまごしてると、ここにも道路公団のパトロールがやってくるだろう……そうなれば魔王軍もやって来るにちがいない。
「さーて、マジにどうすっかな……おいトラ! そんな見んなよ」
両手で胸を覆い隠すフォックス。
そんな今ごろ……さっきまで恥じらう様子もなかったくせに。でもさすがに、胸を凝視されるのは抵抗があるようだ。
「ていうか、アタシのシャツどこやったんだよ、ポンチョもだ」
「カンベンしてくれよ、そんなもんどっか行っちまったよ」
一方、トラの照れることよ。
半裸のフォックスを見たいが、見るなと言われて視線をそらす。激痛と空腹で目がまわりそうだったが、止血し食事を終えると、少し落ち着いたようだ。そうなるとフォックスの体にとにかく目が行く。
「見んなって!」
「見てねえし!」
チラッチラッ。
「なら、好きなだけ見ろよ」
「……へ?」
ゴクリ。
「ウソに決まってんだろスケベ」
「なほ……ここここのアマ!」
コント。
砂利だらけの川岸で、呪われた男女は漫才を始めた。誰も見ていないのをいいことに……何度も言うが、こんなことしてる場合じゃない。
どうする?
車を奪取するのは、さすがにもう無理だろう。
どうする?
スマホを失ってしまった。したがってニニコとシーカに助けを求めることもできない。
どうする?
警察がここに来ないはずがない。ということは、魔王軍にかぎつけられるのも時間の問題だ。
「行けるとこまで行くか? 言っとくけど高速には戻れねえぞ。じきにサツが殺到しちまうだろうしな」
「……この際、その手で行くか? さすがに俺も覚悟決めたぜ」
「警察にわざと捕まるってか? まさかアタシ達が指名手配犯だって忘れてんじゃねえだろうな」
「じゃなくてさ、前にもやっただろ。高速道路の裏側にへばりついて歩いてくんだよ。どっかでスキを見て、またカージャックすりゃよくね?」
「……お前、その足で大丈夫なのかよ」
「死ぬかもしれん。その前に抱きしめていい?」
「いいぜ、どっからでも来い」
「ここここコラ! 籠手を向けんのをやめろ!」
コント。
逃走計画ができたことで、やっと談笑する余裕ができたようだ。
―――そして終わりを告げる。
ババババババババババババババ!
バラバラバラバラバラ!
バッバッバッバッバッバッバッバッ!




