第224話 「ソーダフロート」
2×2×2メートルほどの、局所的な波。だが速い……衝撃波のように穢卑面に向かう。
しかし。
『ケケケエ、面白い! いろいろ思いつきおるな!』
ガガンッ!
今度は井氷鹿のアンテナが真下に伸びた。すでに凍った川面をどうしようというのか。
いや、凍結の能力ではない。
バネ。
アンテナ全体に巻きつくスプリングが、ぐいと縮む。次の瞬間、どしんと氷を叩いて穢卑面は飛んだ。
高い……フォックスの波を簡単に飛びこえる。
波はジャンプした穢卑面のはるか下を通過し、あろうことかトラを直撃した。
ズドォオオオオオオオオオ!
「ぐあああああああ! あっぷっぷ、ブクブク……!」
数百リットルもの水圧を食らい、トラは後ろに倒れこむ。両足を刺す氷槍など、2本とも砕けてしまった。
『ケケーッケッケッケ! 残念だったな』
ザシャッ!
着地、いや着氷した穢卑面の高笑い。
ゆっくり、ゆっくりと歩き出した。
パキパキ、バキバキ。
穢卑面が足を進めるたび、氷はゆっくりと広がっていく。
川岸のフォックスは……逃げない。
なにを考えているのか、ぴくりとも動かない。
どうする気だろうか?
焼き籠手を使って、穢卑面を燃やすだろうか。
冗談じゃない、それができれば苦労しない。
呪いにかかったものを殺せば、鎧が解放されてしまうではないか。
ルディの肉体が死ねば、穢卑面を含む鎧はすべて解放される。そうすれば次に呪われるのはフォックスだ。
『フォックス、お前がいまなにを考えているか当ててやろうか。人間の考えなどお見通しだ』
ざしゅ。
ざしゅ。
『我が井氷鹿を使い、岸まで跳躍しないか……だろう? ケケケ! その手に乗ると思ったか!』
ざしゅ。
ざしゅ。
『空中ではお前の攻撃を避けれんからな。殺してくれるのなら願ったりだが、歩行不能なヤケドを負わされてはかなわん。確実に近づいて、お前を呪ってやるぞ』
「そうかよ」
フォックスは逃げない。
逃げてもムダだと思っているのか? あるいはトラを助けるチャンスをうかがっているのか。
「ま、待てコラ!」
うずくまるトラが右手を伸ばす。
だが、その手首を氷柱が! さっきと同じだ、剣のごとき氷が突き出し、今度はトラの手首を貫いた。
ドズッ!
魔王城でメガネ女に刺し抜かれた傷。同じ場所に氷が刺さった。
「ぎゃあああああああああ―――!」
絶叫。
うずくまる……
『お前は寝ていろ、すべて終わったら起こしてやる……さてフォックス……待ってろ、いまそっちに行ってやるからな』
穢卑面は何をするつもりなのか。
フォックスを呪う、それはわかった。
だがフォックスの意識があったのでは意味がない。
それではかつてのルディと同じだ。
穢卑面が操れるのは、脳死もしくは植物状態の人間だけ。
意識明瞭の人間を呪っても、その体を自在に操ることは出来ない。
だからこそ、井氷鹿。
①フォックスのどこでもいいから動脈を切る。
②意識を失うまで失血させる。
③その傷を井氷鹿の氷でふさぐ。
④咲き銛の槍で、ルディの首をはねる。
⑤ケケケ!!
⑥ルディの首をはねるのに、咲き銛を使ってやる!
⑦意識を失ったフォックスに憑依する。
⑧川に潜り、酸欠で脳死させる。
⑨ケケケ! 脳死人間の一丁あがりだ!
『ケケケケエ! ケケッケケッケ!』
笑う悪魔。
醜い仮面の、おそろしい計画。このまま、穢卑面の思惑どおりになってしまうのか。
『ケ―――ッケケッケッケッケ、さあ撃ってこい! 我を殺してくれえええええ!』
「やれやれ、ひでえ夜だ」
ジャキン。
フォックスが籠手を構えた。
これ以上ない、というほど安堵の表情で笑う。
「ホント、お前らは人間みたいだな」
ボゥ……ゴゥオオオオオオオオオオ!!
すさまじい炎が籠手から吹き上がる。
大きい。
高さ5メートルはあろう火柱だ。
「人間をなめんじゃねえぞ、後悔しやがれ。アタシ達をナメんじゃねえ」
なんという熱、そして明るさ。
月明かりなど完全に吹き飛ばすような……まるで昼! グッと握られた焼き籠手の拳に、炎が収束していく。フォックス必殺の火炎弾―――
いやダメだ!
穢卑面を殺してはいけない。そんなことをしては、今度はフォックスが穢卑面に呪われてしまう。
―――ちがう。
いつもの火炎弾じゃない―――
籠手はソフトボール大の石を握っているではないか。炎熱に焼かれ、石は真っ赤に焼ける。
真っ赤……いや、もう、光の玉。
「ロケットランチャーだ、避けてみな」
オーバースローの投法。
大きく振りかぶった籠手から、大火炎とともに光弾が投げ放たれた。
ドンッ!!
ズドォオオオオオオオオオオオオ!!
火炎岩は、ズドンと穢卑面の足もとに叩きこまれた。
まるで隕石!
まるでレーザービーム!
火炎石は、ブ厚い氷の足場を貫いた。その亀裂を広げるように、炎はミシミシと侵入していく。
ゴゴゴゴゴ!
ビキビキビキビキ……!
『う、おおおおおおおおおおお!?』
振動。
揺れる。すさまじい揺れ……どんどん氷はひび割れていく。まるで氷山が砕けていくようだ。
川底に結着されていたであろうバスケコートほどもある氷島が、どんどん崩落していく。川から作られた魔の氷が、魔の炎で川に帰っていく。
ドドドドドドォゥ……!
傾く。
氷の島が傾いていく。
『お、お、おおおおお!?』
穢卑面がたまらずヒザをついた。
氷の島は急角度で傾いていく。
どっちに?
決まってる。
重いほうにだ。
「さあ、チークタイムだぜ」
トラ。
トラが立っている。
ギィィイイイイイイイイイ!!
長靴の重さで、氷はシーソーのように傾いた。10度、20度、30度……どんどん傾いていく。だがトラは、がっしりと急斜面に貼りついていた。
両の足でだ!
『おおおおおおおおお! おおおおおおお!』
滑り落ちる穢卑面。
下り坂と化した氷面を、穢卑面はなすすべもなく滑り落ちていく。すかさず槍を伸ばした!
『おのれぁあああああ!』
ズドン!
ズドズドォ!
氷に突き刺さるピッケル、いや槍。
急停止。
斜面の中ほどで穢卑面の落下は止まった。
と思ったのも一瞬のこと。
ガシィっ!
「どこ行くんだよ、逃がさねえぞ」
トラが凍った斜面を登ってきた。がっしりと右足を穢卑面の体に―――咲き銛に貼りつけた。
吸着。
いや溶接されたかのようだ。ビクともしない!
『は、はなせ貴様!』
「ああ、いま離すよ。ついて来い」
ズル。
ズルズルズルズル!!
滑る。
また滑る。
『お、おオオオオオオオオ!?』
トラは氷側の足を自由にした。
穢卑面を道連れに、トラは氷の坂を滑り落ちていく。猛スピードで……川に落ちていく。
ズボッ!
ズボォッ!
氷に刺した槍などすべて抜けてしまった。トラの右手はおびただしい血に染まり、したたるそれは、どろどろと坂を流れ落ちる。
その血を追い越すほどの速さで、2人は滑り落ちた。
滑る。
川に向かって滑り落ちる。
道連れ。
氷点下の川面へと、2人まとめて滑落―――
ちょっと待て!
氷島の真下には、配送車のコンテナ!
あのトラックの荷台が口を開けていた。
ドドドオオオオオオオオオオ!
ザバアアアアアアア!
大音響を立て、氷山は崩落した。
「ぬおおおおおおおお! あっぷあっぷ!」
『ぐおおおおおお! あ、あっぷあっぷ!』
ゴボゴボゴボ!
大波のすさまじい水圧は、人間の抵抗など許さない。氷のブロックごと、トラと穢卑面は荷台に飲みこまれた。




