第219話 「マーチ」
「避けてみな」
ボゥッ!
火球を放った! テニスボール大の炎が砲弾のように穢卑面に飛ぶ。
直撃―――しない!
シュバッ、シュバッ!!
咲き銛の背から……左のトゲが4本、右のトゲが4本、大きく伸びた。まるで巨大なクモ! 槍は穢卑面の背後に伸び、バスの屋根にどすんどすんと突き刺さる。
『ケケケ、避けると思ったか? お見通しだわ』
ズバン!!
左手を背後に向けて振るった! 勇者剣が帯状にほどけ、コンテナの屋根を切り裂く。
速い……レーザービームのごとく、屋根板を切り抜いた。
盾!
タタミ4枚分ほどの鉄板が、ぐるんと運転席を覆い隠す。8本の槍が鉄板を刺したまま、バスの正面を隠してしまった。
ボンッ!!
ドンッ!
ドゥン!!
ズドン!!
火球が叩きこまれた鉄板が、すさまじい炎を巻きあげた。だがバスのスピードは少しも落ちない。巨大な炎の壁が恐ろしい速さで迫ってくる。
「ぎゃあ見えない、見えない、見えない!」
パニックの運転手。
目の前がいきなり壁にふさがれ、アクセルから足も離せない。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
「見えない、見えない、見えない!」
ギャギャギャ!
ドガッ!
ドガァッ!
右にハンドルを切ってしまった。
中央分離帯の壁に、バスはガツンガツンとぶつかる。火花―――高さ1メートルの壁が無ければ、反対車線に飛び出していただろう。
ドガァ!
バギンッ!
30メートル間隔に立ち並ぶ照明灯2本にぶつかった。車体が大きくふらつく!
「ぎゃあ、ぎゃあ!」
あわててハンドルを戻す運転手。
だがその手に……
ドズン!!
運転席の屋根を突き破り、ハンドルにも槍が突き刺さった。ドライバーの手の甲を貫通して。
「うぎゃあ―――!」
くい。
くいくい。
槍が器用にハンドルを操るたび、運転手が悲鳴をあげる。
「手が、手が! やぶける、ちぎれるギャア―――!」
『これだから人間は使えん……視界をふさがれたくらいでオタオタしおって』
やれやれと首を振る穢卑面。
『ケケ……しかし車の運転というのはなかなか面白い。そうら、スピードを上げるぞ』
ぐい!
右足用の槍を押しこんだ。
……悪魔め。
グオン!!
加速!
トラックとバスの距離が縮まっていく。すさまじい速さで。
「こりゃひでえ。火を怖いと思ったのは初めてだぜ」
ジャキン。
フォックスは5指を高速バスに向けた。バスに、というか……フォックスからは炎の壁が迫ってきているようにしか見えない。
それがどうした。
フォックスは、5指をバスに向けた!
ブゥワッ!!
火!
それも流れるような火。ドロドロと糸を引くような……水面に流した油のような火。長い帯のような火が後方に流れていく。
バスからは、その火は見えないはずだ。前方視野だとか死角だとかいう話ではない。鉄板の盾で視界は塞がれ、前を走るトラックはもちろん、フォックスの様子など見えるはずもない。
……本来であればな。
穢卑面の能力にはなんの関係もないことだが。
『なんだ、あの薄い火は? なんのマネだ?』
らんらんと目を光らせる穢卑面。
見えている。
千里眼の能力で、鉄板など目隠しにもならない。穢卑面には、フォックスの様子がはっきり見えていた。
だが、なにをしているのかわからない。
なんだ、あの火は?
『なんだ、あの火は……? いや、ちょっと待てよ。トラがいない』
穢卑面の目が光る。
いつの間に。
いつの間にかトラの姿がない。
どこへ行った?
どこへ―――
『おのれ、どこへ行きおった? どこへ……ケケケ! ケッケッケ!!』
笑う。
肩を上下させて、人間みたいに笑う。
『なるほどなるほど。フォックスの火は、我の注意をひく囮か』
穢卑面は笑う。
前のトラック……コンテナの扉が半開きになっているではないか。どうやら行方不明のトラは、荷台の中にいるらしい。
なぜ?
何をしようとしているのか―――
穢卑面には丸見えだ!
『ケケケ、人間風情がどんな策を思いついたのかな? どうれ、見てやるか……大わらわするマヌケな姿をな』
遠視。
穢卑面の千里眼は、いかなる物体も透かして見える。トラックの荷台など問題にもならない。
荷台の中は、弁当、パン、惣菜などの番重がぎっしりと積まれている。それこそスキマなどまったくない。およそ何百人分の食事にあたるのだろうか。これが半日で売れる量だと考えると、人間の食欲とは大したものと言うほかない。
……ちょっと待て。
『ちょっと待て。トラはどこだ?』
穢卑面はギラギラと目を輝かせる。
だが……
『いない。あれ?』
トラがいない。
いったいどこへ―――
瞬間!
見つけた!!
『しま……貴様!』
トラを見つけた。
罠だった!
荷台のドアは罠だった。
トラはすでに下車していた。
中央分離帯の上に飛び降りていた。そして、すでに蹴りを放っていた。分離帯にそびえたつ照明灯の鉄柱に!
「んぅるあああアアア! あああアアアア!」
ズガン!
ズガンッ……ギィィ!
2度の蹴りによって鉄柱はへし曲がり、あろうことか車道へ倒れこんできた。
ドシィンッ!
車道に横たわる照明の柱。いやもう、ただの障害物。
『ブレーキだ!』
叫ぶ穢卑面。
だが止まるはずがない。
高速バスが猛スピードで、鉄柱の上を通りこえた!
ドカン!
ドガ、ドガン!
大きく揺れる車体! 何度も上下し、何度も左右する。タイヤがすべてバーストした……それどころじゃない!
『うおおおおお!』
衝撃で盾が……バスを守るはずだった盾が、衝撃で落下した。バスは鉄柱だけでなく、鉄板をも轢いてしまう。いや、前輪に巻きこんでしまった。
『き、貴様! おのれァあああああああ!』
穢卑面はトラに勇者を伸ばそうとしたが、もう遅い!
トラは去っていく。
あの一瞬で、反対車線のタンクローリーに飛び乗ったのだ。逆方向へ去っていくバスを笑顔で見送っている。あろうことか中指を立てて。
「あばよ、化物! くたばっちまえ!」




