第216話 「タイガータイガー」
「俺もアスカの子孫なのか?」
トラは迫る。
真剣に、真剣な顔で、シルフィードに迫る。
フォックスは……やれやれと首を振った。段取りが狂っちまうだろうが、このバカ! と言いたげな顔。だが言わない。
トラのこんなに真剣な表情を見ては、なにも言えない。
トラは脚力のことで、明らかにマオちゃんから特別視されていた。そのことをトラ本人も気にしていたらしい。
かつてないほど真剣な表情で、トラなりに誠意をもってシルフィードに尋ねる。
が、シルフィードは……寝っ転がったまま、うるさそうにトラを追い払いにかかる。
「あの、あのさ。話に入ってこないでくれないか」
……バカめ。
なんなんだよ、コイツは。
シルフィードにとってトラは、命の恩人のはずだ。あくまで現段階では。それが、どうしてこんな態度を取れる?
いやそもそも、大ケガしている状態で他人を無下にできるのだ? 助けてもらえなくなったら、とは考えないのか?
愚者。
バカと呼ぶ価値もない。
愚者だ。
しかし。
しかし、トラは辛抱強く食い下がる。
「話聞いててずっと引っかかりっぱなしだったぜ。俺もアスカの子孫って可能性は?」
あきれ顔のシルフィード。
いや、顔面ボコボコなのでなんとも言い難いが、とにかく呆れたような口調。
「なんていうか……フゥが何も言わないからずっと我慢してたんだけど、2人にしてくれないかな。最初っから言いたかったんだけど、すごくお邪魔なんだ」
トラは、トラは、拳を固く握りしめた。
このまま顔面を叩き割ってやるのはたやすい。だが、だが、だが―――
だが!!
「ねえ、シルフィード。トラブリックもアスカの子孫って可能性はない?」
フォックスは穏やか。
トラの質問を反復してあげる。
「……」
不満げなシルフィード。
ふてくされたように、シーツに何度も丸を描く。もうガキ……
「彼もここまで一緒に苦労してきたの。ないがしろにしないであげて。それに足枷のことは知ってるでしょ?」
穏やかなフォックス。
内心、キレそうなのだろう。声がどんどん低く、そして早口になってきた。だが、だが表情は穏やかなまま。
「トラの脚力がふつうじゃないのは誰にでもわかるわ。アスカの子孫ってことはないかしら」
不満げなシルフィード。
だが、フォックスの笑顔に負けたようだ。答えてくれた。
「……ないね。トラは、アスカの子孫じゃない」
「なぜ、そう言えるの?」
「彼はデカいし、白人だもの。それに金髪だ」
「……続けて」
ダルそうなシルフィード。
穏やかなフォックス。
突っ立ったまま、真顔のトラ―――
「現在確認されているアスカの子孫は、全員が日本人だ」
「それにアスカの子孫は、せいぜい身長175センチ以下。痩せ型で、かならず黒目黒髪だ。科学的な理由は解明されてないけど、それがベータ・ミオスタチン欠乏症で生まれてくる条件らしい」
「トラはそのどれにも当てはまらない。白人だし、背も185くらいだろ? なによりアスカの子孫の筋力が高いのは、全身においてだ。脚力だけ異常に発達して、ほかは常人並というのはミオスタチン欠乏には例がないね」
「ねえフゥ。もうトラの話はいいだろ?」
退屈そうなシルフィード。
穏やかな笑顔のフォックス。
「もうちょっと我慢して。ね? 私も気になるのよ。魔王が言ってたの、トラの魔力量を調べてみたいって。アスカの関係者以外で、魔力が極端に低い例なんてあるのかしら」
「……調べられるのは、魔王軍の専用設備だけだよ。それに、いくらアスカの子孫が怪力と言っても、常人の4倍がせいぜいだよ。トラの脚力はそれどころじゃない。魔力とはまったく別の理由じゃないかな」
ズシン!!
ギシィ!
コンテナが軋む。
さっきの蛾が、どこにいたのか……またパタパタと飛びまわる。
「あのな、勇者くんよ。言い忘れたんだがな」
肉薄。
ベッドに寝そべるシルフィードの顔に、これでもかと鬼の形相でトラは肉薄した。
「ダチと、女と、アイテム以外で俺をトラって呼んでいいのはな、この世にひとりだけなんだよ」
ポカン。
ここまで怒りの様相で迫られてなお、シルフィードはポカンと虚ろな目で見返してくるだけだ。
しばらく彼の顔をにらみつけていたトラも、さすがの無反応にバカバカしくなったらしい。ズシンと上体を起こし、捨てゼリフを吐いた。
「フン……おジャマ虫は消えるぜ。あとはどうぞ、おふたりで」
ズシン。
ずしん、ずしん、ズシン!!
バタン!!
不機嫌そうな足取りで、出て行ってしまった。
残されるフォックスとシルフィード。
フォックスはトラの態度を咎めるでもなく……笑う。
「ふぅん……」
笑う。
シルフィードに応対する表情とは、まるで違う笑顔。
むくれるシルフィード。
「なんだい、あの言い草は。でもフォックス、これでやっと2人になれたね」
「ええ。それでシルフィード。あなたのケガが治ったら、魔王城に勇者を取りもどしに行くわけでしょう」
また、フォックスの笑顔は作り物になった。
穏やか~な顔。
「もちろんさ、一緒に来てくれるんだろ、フゥ」
「もちろん。でも……困ったな」
「どうしたんだい?」
「私いま、お金まったくないの。当面の宿代も無くって……とりあえず7泊分のお金は払ったんだけど」
ウソ。
よくもこんなに、すらすらウソをつけるものだ、フォックスは。
「なんだ、そんなことか。いまスマホはあるかい?」
「うん」
「僕がバンキングしてる口座から払ってくれればいいよ。IDとパスワードを言うから、KUK銀行のログイン画面を出してくれるかい?」
シルフィードはこれで……ドツボだ。
彼にしてみれば、男の甲斐性をアピールする絶好の機会だったのだろう。だが、フォックスの目的こそそれだった。
シルフィードをいい気にさせて、自分から金を出すよう仕向ける―――大成功。
大成功だ。
フォックスは笑う。今日、いちばんの笑み。天使のような笑顔を、シルフィードに向けた。
◇
そしてコンテナの外。
トラはタバコをふかしながら、夜の風に吹かれていた。
もうすっかり日は落ちている。
暗い。
だが真っ暗ではない。
道路工事でおなじみのLEDチューブライトが、堤防沿いをぼんやり照らしているからだ。
幻想的。
あちこちから男女の下品な声さえ聞こえなければ、生ゴミのにおいがしなければ、本当にいい夜だ。
「ふぅ……すぱ、すぱ、すぱ」
顔をしかめ、トラは煙を吐く。右腕の包帯がいいかげん痒い……バンにあった救急箱で、ケガの応急処置ができたのは幸いだったが、さすがにそろそろ痛み止めが切れてきたらしい。ズキズキと痛み出した。
「すぱ、すぱ、すぱ」
物憂げなトラ。
これからどうなっちまうのか……とてもフォックスのように楽観的にはなれない。フォックスの籠手は最強のアイテムだし、強気にもなれるだろう。
だが自分はどうだ。
もともと最弱というほかない長靴。そのうえ、さらなる呪いにまでかかってしまった。水に浮いたからどうだというのだ。
―――先が思いやられる。
と、タイミングよく背後から声がした。
「よう、終わったぜ」
ようやくコンテナから出てきたフォックスは、後ろ足でドアを乱暴に閉じた。ばさばさと髪をかきあげ、背伸びをする。
「ん~~……お? なんだよそれ、まさかジェラートか? ホットの? 冷たいの?」
「あのな、俺の顔見てみろ。ヤクだったら、もっと愉快な顔して吸ってるっつーの」
すぱ……ふぅ。
「そこのコンテナのバニーちゃんに、遊んでけって誘われてよ。1銭もねえっつったらタバコ恵んでくれた。ありゃ俺にホレてるね」
「バーカ」
「誰がバカやねん。うまく金は引き出せたのか?」
「もちろんだベイビー。あとはニニコに連絡とって合流するだけだ。順調すぎるな、オイ」
「……そうかい。そりゃあ結構だぜ」
「あとは……おい、どうした? なに怖い顔してんだ」
フォックスはトラの顔をのぞきこんだ。下から見る彼の顔は、なんだかひどく塞ぎこんでいるように見える。
が、すぐにニヒヒとフォックスは笑う。
トラの体にすり寄って、いじわるっぽく笑う。
「あ、もしかしてスネてんな。アタシがあいつに……」
が。
トラの表情は変わらない。困惑したような……いや、弱気な顔。トラにしては珍しい。
その手には、すっかり短くなったタバコ。ポイ捨てするでもなく、ずっと2本の指で挟んだままだ。
思いつめた表情を、フォックスに向けた。
「なあ……俺達、このあとどうなっちゃうの?」




