第212話 「シャンティタウン」
5時間後。
さて、ここは大きな川の堤防だ。数キロにわたって湾曲したコンクリートの堤防。その18メートル上には大型高速道路が走っていて、ちょうど屋根のようだ。
こういう場所にはありがちだが、ブルーシートのテントが延々、いくつも続いていた。浮浪者たちが身を寄せ合う場所……ちょうど夕方とあって、あちこちのテントで煮炊きをする様子が目立ち始めた。
くさい。
路上生活を経験したことがない者には、耐えられないほど生ゴミくさい。川沿いの風通しのいい場所なのに、というべきか?
それとも川のそばだからこんなに臭うのだろうか。
だが住人たちは逞しいもので、この堤防で商売をする者がいる。肉体労働から戻ってくる住人のためにだろうか、屋台まで並び始めた。
ほかにも繕い屋。
洗濯屋。
両替屋。
はては……ひどくいかがわしい看板を出すテントもある。
市だ。
さながらアウトレットだ。
テントが並んでいる有様は、サントラクタの難民キャンプと似ている。だが中身はまるで違う。不潔で、雑菌だらけの、エネルギッシュな貧民街だ。
その街の一角に、広い廃材置き場があった。小学校の体育館くらいの面積に、廃棄物が山と積まれている。スクラップ屋だろうか、鉄クズ屋だろうか。
その入口と呼ぶべきブロック壁の前に、バンは停車していた。前後のナンバープレートを取り外されて。
ゴミ山に埋もれるように佇むプレハブ小屋がある。すべての窓が木の板でふさがれた、やけに不気味なプレハブだ。
―――フォックスと、老人の声がする。
「ボケてんのかオッサン。どこの世界にスマホ2台と、ナビ付きワンボックスを交換するアホがいるんだよ」
「ドアなしボロ車の下取り金額を正確に聞いてましたか、アホたれアマ。スマホと改造ロムと新品の古着、それと14230弁。以上が買い取り価格となります。ご理解いただけましたか、アホたれアマ」
プレハブの中では、フォックスとゴミ山の主がおだやかに言い争いをしていた。チッカチッカと点滅する蛍光灯が、なんともうっとうしい。
チッカチッカ。
チッカチッカ。
埃だらけの事務机の上には、スマホ2台、そして見たこともない紙幣と硬貨が置かれていた。
前歯のない店主が、机の向かいに立つフォックスに手を突きだす。
「自慢の盗難車のキーをよこしてくれますか、アホタレアマ。それとも通報されたいですか」
「足もと見んのもたいがいにしとけよ。誰にアホっつったか思い知るか?」
フォックスの口元がゆがむ。
彼女は、それはそれは汚いポンチョで右腕を隠している。これが店主の言う、新品の古着だろうか。
そのとき、プレハブの外からズシンズシンと足音が近づいてきた。布を吊っただけの入り口に目を向ける店主。
その布をめくって、トラが顔をのぞかせた。
「ヘイヘイ、まだまとまってないのかよ。ハニー」
「聞いてくれよダーリン! 14320弁だってよ、信じられるか?」
うんざりした声をもらすトラ。
どなり散らすフォックス。
「弁なんてカネ、ニュースでしか聞いたことねえよ。ナラーで言ったらいくらなんだ?」
「6000にもならねえよ、クソッタレのクソッタレだ!」
「わかったから行くぞ。よお、おっさん。その値でいいから早くしてくれ」
「コラ、なに勝手に決めてんだ!」
ギャーギャー!
わめくフォックスを無視し、店主は2台のスマホと弁紙幣、弁硬貨、タバコ2箱をビニール袋に入れて差し出した。
「毎度あり、タバコはサービスですよアマ。ダーリンによろしくな」
「~~~!! カモりやがって!」
バシッ。
ポケットから車のキーを取り出すや、机にバシと叩きつけるフォックス。そして袋を乱暴に引ったくると、ガーガーわめきながらプレハブをあとにした。
「ガーガー! ワーワー!」
わめくわめく。
見送る店主は、トラに笑顔で手を振りながら、フォックスに中指を突き立てていた。
◇
「ダーリン! まったくお前は甘いんだからな! お前のほうがハニーだコレ!」
「わかったわかった、落ちつけよ。なあ、もう名前で呼び合ってもいいだろ」
怒るフォックス。
なだめるトラ。
2人並んで、堤防の反対側へと歩いていく。
さっきの川の支流、やはりコンクリートの堤防沿いには、ばらばらとテントが立っていた。だが数十メートルも歩くと、今度はコンテナばかりがずらりと並ぶ場所に出た。
ほんの少しずつだが、下り坂になっているらしい。前の堤防はどんどん低くなり、2メートルくらい下にあった川面が、いまは1メートルくらいの高さにある。逆に川幅は広くなってきた。
そのぶん狭まっていく面積を補うように、木の足場が川の上に足されている。もう、違法建築のオンパレードだ。
ズシン。
ズシン。
こんなボロい足場にトラが乗ったら、ドブ川まで真っ逆さまだろう。
コンテナ、コンテナ、コンテナの列は、個人でやってるお店らしい。各コンテナの前には、下着同然の姿の女たちが立っている。女が立っていないコンテナには「満室」の札がかけられていた。
そしてときどきすれちがう、ガラの悪い男たち。もれなくタトゥーの入った、どう見てもカタギじゃない人間。
ま、トラもフォックスも、彼らをまったく気にしていないが。購入したばかりのスマホを、トラはすいすいと操作する。そしてようやく笑みを浮かべた。
「やっとメルアド再取得したぜ。あとはシーカとニニコが迎えに来てくれんの待つだけだ」
「オーライ、あとはアイツだな。まさかもう死んでんじゃねえだろうな」
「あいつなら大丈夫だ、部屋でぐっすりオネンネしてるよ」
「いったいどのコンテナ借りたんだよ。なにもこんな遠いとこじゃなくてもよかったろ」
「文句ばっか言うな、ほかに空いてなかったんだからしょうがねえだろ。ほら見えてきたぜ、あのコンテナだ」
トラは遠くを指さすが、フォックスにはどのコンテナだかわからない。おんなじようなのが立ち並びすぎだ。各コンテナに番号が振られていなければ、どれがどれだか借主にもわからなくなるだろう。
と。
「ヘイ、ブラザー。ジェラートいらねえか? 買ってけよ」
両肩にメチャクチャなタトゥーを入れた男が声をかけてきた。
「!」
びくり!
トラが怯む。悪だくみをしている最中の現場に、いきなり踏みこまれたような唐突さ。おもわず素直に答えてしまう。
「え? ああ、そうだな。もらうよ」
「そうこなくちゃ。冷たいのがいい? ホットなのがいい?」
にこやか。
にこやかに語るイレズミ男。
「あ……え?」
戸惑うトラ。
「いや、ジェラートだろ? 冷たいのに決まってんじゃん」
「あいよ、冷たいのね。そっちのカノジョは?」
にこやか。
「ブラザー。アタシら1000弁しかねえんだけど、いくつ買える? アタシも冷たいのもらえっか?」
にこやか。
フォックスは、ぴらりと紙幣1枚を差し出した。
男の表情が変わる。
一変して、ヤクザ者のそれに代わった。
「あー……1000? 1000って言ったか? 消えちまいな、貧乏人」
◇
結局ジェラートは買わなかった。
2人はなにごとも無かったように、また歩く。イレズミ男は、悪態をつくなり消えてしまった。後ろを振りかえっても、コンテナが果てしなく続いているだけ……彼の姿はもうない。
「なあ、ジェラートは? いやどうなってんの?」
「お前はホント、こういうとこトッポいよな。ジェラートってのはヤクの隠語だよ」
やれやれとフォックスは首を振る。
「冷たいのが覚せい剤、ホットなのがコカイン。400ナラーちょっとで買えると思うか?」
「……」
押し黙るトラ。
「困るぜ、これから二人三脚で裏稼業やってくんだからよ。夜の世界にもなじんでくんなきゃな」
「ああ、わかってる」
なんかマウント取ってるみたいなフォックス。
なんとも言えない、なにか言いたそうなトラ。
そしてようやく、2人は借りたコンテナの前にやってきた。
トラはポケットから鍵を取り出し、ドアノブに差しこんだ。バカげたことにその鍵には、ホテルでおなじみのプラスチックの棒がついている。こんなコンテナを施錠するのに、いらなすぎる配慮だ。
となりのコンテナにもたれかかる女が、トラとフォックスを見て笑う。
「よう姉ちゃん、同時に2人かよ。穴足りんのか? 1人こっちにまわせよ」
下品な女。
フォックスはにらみ返した。
「次、アタシに聞くに堪えねえセリフ吐いてみろ。縁だけ切り取ってドブ川に捨ててやるからな」
負けないくらい下品……
「ひでえところだぜ」
吐き捨てるようにトラはつぶやく。
なんとも言えない最悪な気分で、吐き捨てる。
ガチャア!
コンテナのドアが開かれた。
中はせまい。
8畳ほどの縦長いハコの奥に、ベッドがひとつ。そのベッドに、全身ボコボコの男が横たわっていた。
「ヘイ、勇者殿。お加減はいかが?」




