第207話 「ハピネス」
シーカと朽ち灯が、またひとつとなった。
『クク……完全復活だ』
シーカの手に、朽ち灯はふたたび籠手となった。
「さい、こう」
感無量のシーカ。
『さあ、もうこんな城に用はない。脱出するならさっさとしろ……と言いたいところだが。その前に、水な義肢をなんとかせねばな。食うても美味くなさそうだが』
恐ろしいことを言う籠手。
『お……ほう? ニニコもやるではないか。すこし見直したわ』
めずらしくニニコを誉める朽ち灯。
ニニコは……
匍匐前進し、アントニオの背後に忍び寄っていた。太ももから伸ばした触手の1本が、スルスルと地面を這う。
盗む気だ。
そっと彼のポケットから車のキーを……盗まない。
触手の動きがピタリと止まる。
ニニコはキーを盗まない。
なぜ?
なぜもへったくれもあるもんか!
ニニコを舐めるな!!
「……私、なんで煙羅煙羅に使われてるの? ニニコ、あんたそれでも人間なの? 恥を知りなさい」
ひとりごと。
そして、バシンッ!
せっかく伸ばした触手を戻し、自分の顔面をはり飛ばした。
「なに考えてるのニニコ。化け物と戦ってる人から盗むなんて、人間のすることじゃないわ」
ヒリヒリ。
腫れたほっぺたなど知ったことか、ぎゅっと拳をにぎりしめる。
『アアアアアアア! 誰でもいいから殺させろァアアア!!』
吠えまくる水な義肢。
身勝手な、そして醜いバケモノ。
『水、水さえあればこんなことにはあああああああ!!』
ブウン!!
大振りの一撃がアントニオを襲う!
「ぬおッ……がはぁ!」
バギィ!!
アームに跳ね飛ばされ、アントニオは地面に叩きつけられた。頭から落下……何度もバウンドし、ニニコのそばに横たわった。
「ぐぶぅ! うぐ……」
「だ、大丈夫? しっかりして……しっかりして!」
車のキーなどもう知ったこっちゃない!
ニニコは彼を助けに向かった。アントニオの顎は砕け、口からは血があふれる。とめどなく、あふれる。
このままでは窒息死してしまう。
「い、いけない……ン、ンン! ヂュウ、ヂュウ……ベッ!」
ニニコがアントニオの口内を吸う。
ぢゅう、ぢゅう。
何度も何度も、血を吸っては吐き出す。
「ぢゅうう。ぢゅうう、ブベッ! はあ、はあ……ぢゅうう。ぢゅうう、ブベッ!」
「がはっ! ごほごほ……」
気づいた。
アントニオは息を吹き返してくれた。
「はあ、はあ。はあ、はあ……ごふッ! はあ、はあ……!」
「よかった。ゲップ、ちょ……ちょっと飲んじゃったわ」
ホッとしながら吐き気をもよおす。
ニニコの場合、真っ白闇の能力があるから、血を飲んだくらいじゃ病気にならないと思うけど。
それよりその背後では―――
『があああ! げ、限界だ! 憑りつかねば、はやく憑りつかねば……女! 誰でもいい、女アアアア!』
暴れる水な義肢。
ドカンドカンと地面を殴りはじめたではないか、まるで痛みに耐えているように。
『女! 女!! 女女女女女女女女女女女女女女女女女女!』
『女……そこにいたか、女! 我に来いぃいいいいいいいいいい!』
……おぞましい怪物。
怪物がジェニファーを見つけてしまった。左のアームが、ぐんと伸びる。
ヘビ。
まるでヘビ。
「あ、あ、キャア―――!」
悲鳴。
「ジェ、ジェニ、あぶな!」
ドン!
シーカがジェニファーを突き飛ばした。いや守った。朽ち灯を開いて迎え撃つ……だが質量がぜんぜんちがう!
朽ち灯もろとも左腕をつかみ取られた。
「う・お!!」
腕がもげる、いや引きちぎられる!
「シーカさん……きゃあ!」
『女ああああああああああああ!』
もう1本のアームが暴れまわる。今度こそジェニファーを……いや、ジェニファーを遠いと見た水な義肢は、ニニコにアームを伸ばした。
「ぎゃあ!」
飛びあがるニニコ。もうだめだ、避けられない!
ガシィ!
捕まった!
『女、女だああああああああああ!』
「ぐは……!」
ニニコ、じゃない!
捕まったのはハワード隊の女……マスクをした女!
アントニオがやられたとき、彼のもとに駆けつけたのはニニコだけではなかった。彼女も救護に向かい、そしてニニコをかばった。
「ぐああああああああああああ! あ、あ……」
細い体が、水な義肢の怪力で持ち上がる。マスク女の腹はめりめりと歪んだ。
「ぎゃああああ―――!」
『女……いい! いい……!』
「こ、このバケモノ! やめろ、やめなさい!」
血まみれのニニコ。
全触手を解放し、水な義肢に立ち向かった。恐怖など……怖いに決まっている! それが、それがどうした!
「こいつめこいつめ! 離せ、離しなさい!」
「シーカさん!」
「クララ!」
水な義肢に捕まったシーカと……以下、女をクララと記載する。シーカとクララを助けんと、すべての人間が立ち向かった。
人間を、人間をなめるな!
「この野郎! クララを離せ!」
「乗っかれ、乗っかるんだ!」
水な義肢の表面を覆いつくす人間たち。
原始的な戦闘だった。
考古、マンモスを狩る光景とはこんな感じだったのだろうか。群と巨の戦い。
『邪魔だアアアアアアアアアア!』
ブンッ!!
ドガガガガガガ!!
「ぐえ!」
「ガハァ!」
「おげっ!」
シーカを捕らえたまま、大蛇のように暴れ狂うアーム! 全員をなぎ倒す!
「が・あああああああああああ!」
何度も地面に叩きつけられたシーカは、全身をヤスリがけされたも同然だ。だが水な義肢は、興味なしとばかりにシーカを放り捨てた。
血ダルマになったシーカは、無残に地面に転がされる。
「が、は……」
『おいシーカ! 無様な……弱虫め。復活してそうそうこれか』
左手でボヤく朽ち灯。
『フン、水な義肢め。調子に乗りおって……だがあの調子だと、あと10分足らずで活動限界だな。いいザマだわ』
『ああああああ! 限界だああああああ!!』
水な義肢の絶叫がとどろく。
もう止めるものはいない、誰にも止められない。
『女、呪う、呪う、呪うぅぅうう!!』
「ぐは……あっあっ……」
クララの悲鳴。
手足をつかまれた彼女は、水な義肢に圧しかかられるように地面に押さえつけられた。
『背がある。背……肩、首……ははははあああああ……』
もはや強姦魔。
がちゃ、がちゃとアームがバラけていく。クララの白い腕を押さえ、足をつかみあげ、とうとう水な義肢は彼女に憑りつき始めた。
がちゃがちゃがちゃ。
『背がある……4242隻の船を沈めろ……』
がちゃ、がちゃ、がちゃ。
『ひひひひ、ひひひひひひひ』
「が、は」
クララの顔はマスクで半分が隠れている。だがその苦痛に満ちた様は、誰の目にも明らかだ。さっきまで水な義肢を引きはがそうと必死に抵抗していたが、ついに大人しくなった。
最後の力をふりしぼり、マスクをずらして。
クララは……
「あ……あ……アッアッア」
笑った。
尖った歯が並ぶ大きな口。
「アッアッアッ、う、うれしい、アッアッアッアッ」
『うれしかろう! 嬉しいだろう!』
ザラザラザラ。
「アッアッアッ。私を呪ってもアッアッ、意味ないんだよアッアッアッ。魔王様がすぐにアッアッアッ、呪いを解いちまうから、アッアッア」
『……は?』
「今度はアッアッ、鉄の箱にでもアッアッ、封印してやるアッアッア。砂漠にでも埋めてやるアッアッ。テレビもネットもないアッアッ、明かりもない棺桶に封印して埋葬だアッアッア」
『……は……は、は!」
「何千万年何億万年、アッアッ、人類が死に絶えたあともお前は、アッアッ、ひとりきりで地の底だアッアッ」
『……』
「私は人間に生まれてアッアッ、よかったアッアッ。永遠なんてアッアッ、おっかないものにアッアッアッ、怯えずにすむアッアッ」
『……ひ』
「アッアッ。私はアッアッ、悲惨な人生を送ってるやつにアッアッ、幸せを見せびらかすときアッアッ、アッアッ、アッアッア」
『ひ、ひ』
「アッアッア。激烈な快感を覚えるんだ……イく、イっちまうの」
なんという、なんという顔……うっとりと幸福に満ちたクララの顔。その口からとろりとこぼれた舌は、先っぽが2つに割れているではないか。
しかも、タトゥーとピアスまで入っている。
ヘビ。
まるでヘビ。
『ひ、ひ、ヒイイイ!!! うわああああ―――!!』
水な義肢は、よほど恐ろしかったのだろう。クララを放り捨てて逃げ出した。なにがそんなに恐ろしかったのだろうか。
舌が?
いや……まさかそんな。
『化物だあ――――――ひぃいいいいいいいいい』
水な義肢は逃げる。
両アームをめちゃくちゃに動かし、犬かきをするように逃げていく。あわれな、あわれな虫のように。
『助けてくれ! 助けてくれえ―――!!』
ゴロゴロゴロ。
転がる。転がりながら、魔王城のなかへと逃げていった。壁の穴をくぐり、黒煙のくすぶる食堂へと消えていった。
どこへ逃げようというのだろう?
きっと地下に向かったに違いない。安息の、あの封印室へ。
水な義肢の脅威は去った。
だがその代償はどうだ……立っている者はもういない。いちばんの重傷者はアントニオだろう。重傷どころのケガではない。
だが、ほかのみんなも同じようなものだ。とくにクララは……クララはもう、助からないかもしれない。
「ギャハハ! 私が追っ払ってやったんだぜ、ギャハハ!」
笑い死ぬかもしれない。
『見事だったぞ人間ども! さあ立ちあがれ、我こそはという者はここに集え!』
短い手足をふりふり、SUVの屋根で煙羅煙羅はスピーチをはじめた。
ていうか、いつのまに車へ?
マオちゃんはどこいった。
『魔王さまに忠勇を誓う者たちよ、ここに参れ! さあ名乗り出よ!』
プシュー!
プシュ!
煙を噴き出しまくる。
マオちゃんは?
マオちゃんは……車のカーゴスペースで爆睡していた。
ハイドランジアの吸いすぎによる意識障害だろう。むしろ、よくここまで起きていたものだ。バックドアを怪力でブチ開けるや、ごろんと車内にもぐりこんで寝ちまった。
「スヤ……グーグー」
おやすみ、マオちゃん。




