第204話 「エアリアル」
『ゴキブリどもめ、逃がさんぞ!』
水な義肢の目がどこにあるのかはわからない。だが2人の位置はわかるらしい。正確に追いかけてくる!
「う、上へ行け! ヤバいヤバイヤバイ!」
「ハア、ハア! も、もう死ぬ……!」
ズシン、ズシン。
がんばれトラ。
真下は湖。
下には逃げられない。水な義肢が「水」を纏ったら、いよいよ逃げられない。いやそれ以前に、落っこちたら最後だ。
ズシン、ズシン!!
外壁を砕きながら、トラは必死に壁を登る。フォックスを背負ったまま、すごい根性だ。とにかく水な義肢から離れなければ。
「ハア! ハア! ゼーゼー!」
「う、う、腕が、腕が痺れ……」
忘れていたが、フォックスは腕を大ケガしていたんだった。だんだんズリ落ちていく。死ぬ死ぬ!
「トラ、さっさとなんとかしてくれ!」
悲鳴。
なんとかと言われても。
このまま屋上まで上がるしかない。いや、壁のあちこちには窓がある。水な義肢から距離をとって、ふたたび城内に逃げこんだほうが安全だ。
いやいや!
距離を取るんだったら、安全圏まで行ってから下に降りるほうが確実だ!
しかし、魔王城は許さない。
バリィイイイイイン!!
ガシャアア!!
「見つけたぞ、バーベキューファイア!」
トラの1メートル前方……つまり真上! まさにいま飛びこもうと思ってた窓が砕け、さっきの黒フードのひとりが身を乗り出した。ガラス片の雨がトラに降りそそぐ。
「痛てて、痛てて!」
「うわあ出やがった!」
黒フードは全身からブスブスと煙を放っている。さっきフォックスが放った火炎攻撃のせいに違いない。彼は斧を使ってガラスを粉砕したようだ。
その斧を、トラに向かって振り上げたではないか! こんな近くから投げつけられたら避けられっこない!
「くらいやがれ!」
斧が飛んでくる……よりも早く!
「お前が食らえ! とおおおお!」
「えっ、うわあ!」
斧を投げられるより早く、トラはフォックスを背負い投げた。華麗な一本背負いだ!
「ぎゃあ!」
絞め殺されるアヒルのごとき奇声を発し、フォックスは宙を舞う。
重力的に見れば、下から真上に前転したことになる。人類初の偉業……なんて言ってる場合じゃない。遠心力たっぷりに加速したフォックスのカカトが、黒フードの顔面を襲った!
ズガァッ!
「ぐぶぁ!」
叩き殺されるアヒルのごとき声をあげ、男は真うしろに蹴り倒された。
「どわ―――、落ちる落ちる!」
今度こそ宙ぶらりんのフォックス。トラの両腕にしがみつき、必死で足をバタつかせる。
「ななななにしやがんだ! さっさと引っぱりあげろ!」
「ゼーゼー! す、少しは俺の役に立て! ゼー、ゼー!」
息も絶え絶えのトラ。
ドシンドシンと窓に向かう。とにかく城の中へ……
ダメだった。
「ウラァ!」
窓からまた別の黒フードが! ややこしいので黒フード2号としよう。黒フード2号が、トラめがけて斧を振り下ろした。
ガキン!!
長靴に直撃! 足枷でなければ、足首が切断されていただろう。
「うぎゃあ! なにしやがる、こいつめこいつめ!」
「バカ、やめろ……ぎゃあぎゃあ!」
トラのすごい技が出た。
ブウン、ブウン!
ムチを振るうごとく、フォックスをメチャクチャに振りまわす。黒フード2号はたまらず城の中へ身をひそめた。
「いまだ、逃げろ!」
「ギャア――――――!」
ズシンズシンズシン!
完全に目をまわしたフォックスを抱え、トラは屋上へと逃げる、逃げる!
「逃がすかコラァ!」
「追え、追うんだ!」
黒フード2号と3号が窓の外に出た。あろうことか両手の斧を外壁に叩きつけ、それをくり返しながら垂直の壁を登ってくる。
ズガンズガンズガン!
まるでニンジャだ。
「おおおおおお!?」
トラはもう、足がちぎれそうだ。なんでこんな次から次に、化け物級の使い手が現れる!?
「のああああああああ!! し、死んでたまるか……とああああ!」
ズギャッ、
ズギャッ、
ズギャア!
駆け上がった。
ついに屋根にたどり着いた。
ガシャ、ガシャ、ガシャア!
瓦、瓦、瓦!
何百万枚あるのだろう、瓦!
山なりになった斜面を踏み越えると、平なてっぺんにたどりついた。陸上競技場ほどもある、広大な魔王城の屋上―――なんという広さだ。
な、なんという景色……空がいちだんと近くなった気がする。たたきつけられるほど風が強い。
魔王城周辺の全景が見渡せる。
森のなかを通ってきたから、どこか人里離れた場所かと思った。ちがう、数キロ先には巨大な町が見える。遠くに海も見える。
周囲は自然公園のようになっているらしい。丘は堀にぐるりとかこまれ、魔王城の区画だけが島のように孤立しているようだ。
どう考えてもここから逃げるには、来るときに渡った橋を通るほかない。できるのか、そんなこと。あんな長い橋を通過するのは、撃ち殺してくれと言ってるようなものだ。どうするどうする―――
そんな場合じゃない!
「ハア、ハア!」
ズシャズシャ。
天辺……本当に何もない、だだっ広すぎる。400メートルくらい離れたところに別棟の屋根が見えるが、それ以外はなにもない。
空。
空しかない!
ここから全体像を見たことで、魔王城の構造が初めて理解できた。漢字の「丗」のようになっていたのだ。正確にはもう少し複雑な形だが、とにかくトラ達は「丗」の最後尾に立っている。
トラはフォックスを背負ったまま、屋根の反対側を目指す。ふらふらのフォックスが落っこちないように、しっかりとしっかりと彼女の下半身を支えた。お、降りるんだ、どこか安全な場所に降りるんだ。
「き、気絶しそうだぜ……うわッ!」
「ぎゃあ! うわあ!」
「捕らえたぜぇ!」
最悪!
ニンジャ2号、3号も屋根に駆けあがってきた。しかもトラ達から、それぞれ離れた位置にだ。右に2号、左に3号……どっちがどっちでもいい、挟まれた!
同時に両斧を投げつける2号3号。
ブンッ!
ブゥン!!
前後から4つの斧が飛んでくる。さらに左右のニンジャはナイフを抜き、タイミングをずらして投げ放った! たとえ斧をかわしてもナイフの餌食だ。遮蔽物もないのに、こんなの躱せるか!
いや、遮蔽物はある!
ガキン!
ガァン!
ガキン! ギンッ! 焼き籠手群がザアと集まり、2人の盾となった。
「ひい!」
「ひ―――!」
トラもフォックスも、頭を抱えてうずくまる。だが2人にケガはない。間一髪、防御が間に合った。
……焼き籠手がトラまで守った?
フォックスはわかるが、トラまで?
弾き飛ばされた斧とナイフが、屋根の斜面をすべって落下していった。
「なっ!」
「く、くそ!」
ニンジャは、すかさずベルトからナイフを抜き取る。いや、ナイフではない。その鞘だ。
ただの鞘ではないらしい。先端が缶切りのようになっていて、側面はヤスリのような凹凸が並んでいる。
いや、ジャックナイフだ! サヤ自体が、アーミーナイフのような折りたたみ構造になっている。
「サガット! 女をやれ!」
「あいよ、兄弟!」
ナイフを手に、前後から襲いかかった。
「広がれ、焼き籠手!」
叫ぶフォックス。
たがブロックはぜんぜん動かない。
はて? みたいな感じでウロウロと浮くばかりだ。
「ぎゃあ何やってんだ広がれよ! アタシを中心に5メートルくらいの円になってホイール状に回転しろ! バリアみたいになれ!」
めっちゃ詳細に命令。
ザアアアアアアアア!
ブロックは理解したらしく、言葉どおりに回転をはじめた。マオちゃんが煙羅煙羅にそうさせたように、焼き籠手も台風となって主を守る。だがニンジャたちは、うかうかとこんなものにやられるほど素人ではない。
「ぬおっ!」
「しゃらくせえ!」
ジャンプ!
高い……なんという跳躍力、焼き籠手のバリアを飛びこえた。
「うぎゃあ!」
「ひゃあ!」
背中合わせのトラとフォックス。もう目の前に刃先が迫る、迎撃せねば死ぬ―――ってときに!
『見つけたぞおおおおおおおおおおお!!』
ズガア!!
水な義肢に追いつかれた!
絶叫!
とてつもない声に、魔王城の屋根が端から端まで振動した。
屋根に駆け上がるなり、いきなりアームが4人に襲いかかる。屋根を剥ぎ取るかのようなラリアットだ。天井の一部がズドンと吹っ飛んだ。
「ぎゃあ!」
「ぐあ……!」
空中高く放りあげられたニンジャ2号、3号。この高度から転落して助かるだろうか? いや、敵の心配してる場合じゃない。
トラとフォックスは?
いた。
ズッシズッシとまだ逃げている。2人とも四つんばいのところを見ると、腰が抜けたらしい。
「このボケ、あっち行け!」
「落ちやがれ、くらえくらえ!」
ショックで幼児退行したみたいな2人。瓦を拾っては、水な義肢に投げつける。
ガシャン。
カシャン。
もちろん水な義肢は、瓦などものともしない。
『フハハ……楽に死なれてはつまらんからな。どうだ、どちらから死ぬ? どちらが先に死ぬか選ばせてやるぞ』
ガシャ。
ガシャッ!
瓦を踏み砕きながら、ゆっくりと近づいてくる。
『これだ。愛するものをかばい、自分を先に殺してくれと懇願しあう姿の美しいことよ……愛を葬るのはこたえられん』
……獣。
化け物、いや悪魔と呼ぶ価値もない。
トラとフォックスは―――
「お、俺だけは助けてくれ! そ、そうだ、フォックスに憑りつけよ! この女はアイテムが好きなんだ!」
「てめえふざけんな! よく女をいけにえに出来るな! ア、アタシはイヤだ、イヤだ!」
おたがいを差し出しはじめた。
……獣。
悪と呼ぶ価値もない。わめきながら2人は後ずさる。どこに行こうというのか、ここより高いところなどないのに。
『……よくも期待を裏切ってくれたな。つまらん、本当につまらん。ここまで殺し甲斐がないとはな……』
おそろしい声。
あきれ果てた、と言わんばかりの恐ろしい声がとどろく。
『もういい、せめて我の最大奥義で死ね。むごたらしく潰れる姿でも見ないことには、気が晴れんわ』
ガシ!
右のアームをガッシリと屋根に突きたてた水な義肢。アームは後ろに伸び、本体が離れていく。そして左のアームも、ぐんぐんと空に向かって伸びていくではないか。
一直線。
一直線になる。
こ、これはまさか……助走!? 一気に縮むことで渾身のパンチを撃とうとしている!?
「ぎゃあ! やめてくれ!」
「おわあ、焼き籠手! ブロックブロック!」
泣き叫ぶ2人。
もうアカン。




