5.疑惑
「ああ、天上の音楽とは、まさにロシニョール様のお声のこと……」
ブレンダはうっとりと言った。
「お声もさることながら、お姿も美しいし。……天人族って、ほんとに素敵よねえ」
「……まあ……、そうね……」
わたしは用心深く答えた。
あの日から、すっかりブレンダはクレイン様贔屓になってしまった。
こうして、何かにつけて天人族を褒めてくる。
そりゃ、わたしだって天人族は美しいと思うけど。
ファリス劇場内にあるカフェは、ロシニョール様の単独公演を楽しんだファンたちでごった返している。
わたしとブレンダも、パンフレット片手に公演の余韻にひたっていた。
「たしかに、今日の公演を楽しめたのはクレイン様のおかげだけど」
「わたしにまでチケットを下さるなんて! なんて親切なお方なんでしょう!」
ここぞとばかりに褒めるブレンダを、わたしはチラッと見た。
「美しく、高貴で、親切でも、ストーカーはストーカーよ」
「……エステルったら、辛辣すぎるわ」
ブレンダは不満そうに言った。
「殿下は親切で、よいお方だと思うわよ」
「ブレンダはロシニョール様のチケットをもらったから、そう思うんでしょ」
そう言うと、ブレンダは気を悪くしたように顔をしかめた。
「そんな言い方はないんじゃない? そりゃあ、ロシニョール様の公演を楽しめたのは有難いと思っているわ。……でも、殿下は、ご自分が一緒に行くよりも、わたしが一緒のほうがあなたが喜ぶと思って、それでわたしにチケットをくださったのよ。あなたのことを想っていらっしゃるからだわ」
ブレンダの言葉に、わたしは顔が赤くなるのを感じた。
……たしかに、クレイン様はストーカーだけど、わたしに何かを強要したりはなさらない。恩返しをしたい、とおっしゃっていたけど、それは本気なのかもしれないと思う。何をすればわたしが喜ぶか、きちんと調べてくれて(その手段がストーカーなのは大問題だが)、そのうえで「受け取ってほしい」とチケットを差し出してくれた。
身分から言って、わたしに強要することだってできるのに、けっしてそうはしない。隣国の王子という雲の上の身分なのに、男爵令嬢のわたしに、ひざまずいて懇願してくれた。あんな風にひざまずかれたことなんて、婚約者だったサミュエル様にだってない。生まれて初めてのことだった。
あれには正直いって、胸がときめいてしまった、……けど。
「クレイン様は、わたしに恩返しがしたいっておっしゃっているけど、それはいったいいつまで続くのかしら?」
「いつまでって」
わたしはため息をついた。
ロシニョール様の公演チケットをいただいた後も、クレイン様からは何くれとなく贈り物が届いている。わたしの好きな花やお菓子、可愛い小物など、ちょっとした贈り物を、まめに送って下さるのだ。高価なものならお礼状とともに突っ返せるが、本当にちょっとした贈り物に「よければ受け取ってほしい」と小さなカードを添えてくださるものだから、こっちも「これくらいなら、もらってもいいかなあ」とつい受け取ってしまうのだ。
しかし、それも限度というものがある。
クレイン様が使節団の一員としてこの国にいらして、早一か月。季節は春から夏へと移り変わろうとしている。使節団の皆さまも、とっくに隣国アヴェスへ戻ったというのに、クレイン様だけがこの国に居残っているのだ。
これ以上、クレイン様からの特別扱いが続いてしまうと、自分がバカな勘違いをしてしまいそうで怖い。
クレイン様はただわたしに恩返しをしているだけなのに、もしかしたらクレイン様は、わたしに恋をされているのではないか、なんて。そんな風に思ってしまいそうで、怖いのだ。
「そもそも、わたしには前世の記憶なんてないんだから、恩返しなんて必要ないのに……」
「そのことなんだけど」
ブレンダが遠慮がちに言った。
「あなた、前世について、殿下と話し合ったことあるの?」
「話し合いっていうか……」
わたしが教えてもらったのは、クレイン様が魂の色や形を見ることのできる、特殊能力の持ち主だということ。
クレイン様は、その特殊能力でもって、わたしが命の恩人だと確信したそうだけど……。
「正直言って、わたしが命の恩人だからって、それが何って思ってしまうのよ。もし本当に、わたしがクレイン様の命を救ったのだとしても、それって前世の話でしょう? わたしには前世の記憶もないし、こんな風に恩返しをしてもらう理由がないっていうか、もう十分だと思うんだけど」
「……それは……、鶴の一族と人間の感性は違うから、恩返しの定義も違うのかも」
ブレンダは言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
「エステル、殿下と一度、話し合ってみたら? 殿下にとって、恩返しとはどういう意味を持つのか、どうすれば恩返しが終わるのか。……そうすれば、殿下があなたに何を求めていらっしゃるのか、理解できるんじゃない?」
「そうかなあ」
殿下は、こう言ってはなんだが、わたしとはまるで考え方が違うように思う。なんせ、いきなり前世だ魂だと言い出すようなお方だ。話し合ったところで、理解できる気がしない。
だが、そう言ってもブレンダはあきらめなかった。
「そんなこと言わないで。一度でいいから! ね、一度、殿下とちゃんと話し合いましょうよ!」
「いや、一度、クレイン様がハーデス家を訪れてくださったことがあるから、話はしているのよ。でも、クレイン様のお考えなんて、まったく、これっぽっちも理解できなかったんだけど」
「それは、あなたと二人きりで緊張していたから……!」
「……え?」
わたしは、「ちょっと待って」とブレンダの話をさえぎった。
「どういうこと。クレイン様が緊張していたとか、どうしてそんなことをブレンダが知っているの?」
「え。……あの、そこは気にしなくていいから」
「いいえ。そこが気になるの」
わたしはブレンダを睨んだ。
「ブレンダ。あなた、クレイン様に何か頼まれたわね?」




