39.死んでもいい
「クレイン様!」
「まだあの男の名を呼ぶか」
ユラン殿下はイライラしたように言った。
「あのような弱い男に、なぜそれほど執着するのだ! 俺のほうが、よほどおまえにふさわしい強さを持っているというのに」
ユラン殿下がわたしの肩を揺さぶり、言った。
「いい加減、目を覚ませ。……それとも、今生でも俺に焼き殺されたいのか?」
ゾッとするような低い声で言われ、わたしはユラン殿下を見上げた。
殿下の赤い瞳が爛々と輝き、わたしを睨みつけている。
さっきはこの目で睨みつけられ、気絶しそうなほど怖かった。でも今は、そんな恐怖など吹っ飛んでいる。
クレイン様はわたしを守るため、十分な力を発揮できない状態でも迷わず戦ってくださった。それなのに、婚約者のわたしがこれくらいで怯んでどうするというのだ。
わたしは腹に力をこめ、ユラン殿下を睨み返した。
「そうやって、殺せばわたしを手に入れられるとでも思っているんですか!」
わたしは大声で言った。
怒りで身体が震え、どうにかなりそうだった。
「前世でわたしを殺して、それであなたは満足したんですか!? 満足しなかったから、生まれ変わってもわたしを探したんじゃないんですか!?」
ユラン殿下は虚を突かれたように目を見開いた。
「どうして前世と同じ間違いをくり返そうとするんですか! せっかく生まれ変わったのにどうして……!」
「エステル」
わたしの肩をつかむユラン殿下の手に力が入ったが、わたしは殿下の胸を押し戻した。
「わたしがあなたの妻ですって!? お門違いもはなはだしいわ。あなたなんて、あなたなんて……、わ、わたしの下僕で十分です!」
そう言い切り、わたしは右手を振り上げて、思い切りユラン殿下の頬を打った。
「えっ……」
ぱしん、と乾いた音がした。ユラン殿下は打たれた頬に手を当て、呆然とわたしを見た。
よろめくように一歩後ずさるユラン殿下をしり目に、わたしは倒れたままのクレイン様のもとに駆け寄った。
「クレイン様」
わたしは地面に膝をつき、そっとクレイン様の上にかがみ込んだ。
クレイン様の乱れた髪を払い、その口元に手をあてると呼気が触れ、わたしはほっと息を吐いた。
よかった。気を失っているだけみたい。
だけど、ユラン殿下の攻撃のせいか地面に落ちた時の怪我なのか、額に血がにじんでいる。
わたしはすぐ側にある噴水にハンカチを浸して絞り、クレイン様の額にそっと押し当てた。
「う……」
クレイン様は低く呻き、目を開けた。
「クレイン様! 気がつかれましたか。しっかりなさって!」
まだはっきり意識が戻っていないのか、クレイン様はどこかぼうっとした目でわたしを見上げた。
「……ここは、天国……? 私、死んだ……?」
「死んでません!」
縁起でもないことを言うクレイン様に、わたしは思わず大声を上げた。
「鶴は千年を生きる種族なんでしょう? こんなことでクレイン様は死んだりしません!」
「……エステル……」
クレイン様は嬉しそうに微笑んだが、体を起こそうとして再び倒れ込んでしまった。
「クレイン様!」
見ると、クレイン様の片翼には大きな穴が開き、その周囲が焦げたように黒くなっていた。
「なんてこと……」
「すまない、エステル」
クレイン様は目を伏せ、悲しそうに言った。
「こんな醜い羽根を見せてしまって」
「何をおっしゃるんですか!」
わたしは思わず大声を上げた。
「こんな時にそんな……、そんなこと気になさらないでください! それにクレイン様は、醜くなんかありません!」
わたしはクレイン様の手を握って言った。
「いつだってクレイン様は、最高にお美しいです。初めて会った時から、ずっとそう思ってました。クレイン様ほどお美しい方を、わたし見たことがありません!」
「……そなたこそ、誰よりも美しく光り輝いているのに。そのように言われると、照れてしまうな……」
面映ゆそうに微笑むクレイン様に、心臓がぎゅっと痛んだ。
いま気にするポイントそこですか、とは思うけど、そういうちょっとズレたところがいかにもクレイン様らしい。
「クレイン様……」
わたしはそっとクレイン様を抱きしめ、泣いた。
この状態では、もうクレイン様は戦えない。王宮の警備兵が来るまで、持ちこたえられないだろう。
わたしもクレイン様も、蛇族の王子様に殺されてしまうかもしれない。
でも、そんなことどうでもよかった。
殺されるとしても、こうして二人一緒にいられれば、それでいい。
心からそう思った。




