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男爵令嬢エステルは鶴の王子に溺愛される  作者: 倉本縞


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34.前世の記憶

「焼き殺す」

 わたしはバレット公爵夫人の言葉をおうむ返しにした。


 そういえば以前、クレイン様は言っていた。

「蛇族は、その執着に怯えて神殿に逃れた相手を、己が身もろとも焼き尽くしたのだ」と。

 もしかしてそれは、二十年前の神殿焼失事件のことだったのだろうか。


 バレット公爵夫人は、扇の陰でつぶやくように言った。

「二十年も前のことですから、当時のことを覚えている者も少なくなりましたけど。……わたくしは忘れられませんわ。あんな恐ろしい……、おぞましい事件」

「公爵夫人は、事件について何かご存じなのですか?」

「いいえ」

 バレット公爵夫人は首を横に振って言った。


「あの時、わたしはまだほんの子どもでしたから。……ただ、屋敷を訪れた神官長と父が話しているのを、偶然耳にしたのです。神殿が保護した人物を、蛇族の者が神殿もろとも焼き殺したのだと。蛇族の執着が人間を殺したのだと、そう聞いたのですわ」

 その言葉を聞いた瞬間、わたしは背中がゾワッとするのを感じた。めまいに襲われ、汗が吹き出してくる。


くらくらする頭に、火事だ、逃げろと叫ぶ声が遠くから聞こえたような気がした。


火事……。だが逃げることはできない、とわたしはぼんやり思った。この部屋からは出られない。結界を解いてもらわないと。

 煙に巻かれて息もできず、意識が朦朧となっていく。このまま死ぬのか、という絶望に目の前が真っ暗になって……。


「甘いものはお嫌い? このシカラの実の甘煮はたいそう美味だけれど、なんの香料を使っているのかしら」

 バレット公爵夫人の言葉に、わたしははっと現実に引き戻された。


 ここは王宮の晩餐の間だ。当たり前だが煙の匂いはしないし、悲鳴など聞こえない。

 なんだったんだ、さっきの幻覚は。

 わたしは軽く首を振り、気持ちを切り替えた。

 気づくと晩餐も終わりに近づき、甘く煮た果実や葡萄酒が出されていた。


「あ、ええ。このシカラの実の甘煮はファイラス王国の特産で……」

 公爵夫人に説明しながら、わたしは再び二十年前の神殿焼失事件について考えていた。


 バレット公爵夫人によると、二十年前の事件は蛇族による犯行らしい。

 なぜクレイン様は、その事件について調べていらしたんだろう。ひょっとしてそれは、前世のわたしと蛇族の王子に関わりのあることだったのだろうか。

先日クレイン様にお会いした時、くわしく聞いておけばよかった。


 前世、わたしは蛇族の王子ユラン殿下と結婚の約束をしていたということだが、もしかしたらわたしは前世、神殿で……。


 さっき、一瞬だけど不思議な感覚に襲われた。

 今まで嗅いだことのない煙の匂いと息苦しさ、建物の崩れる音や肌を焼く炎を、まざまざと感じたのだ。


「まあ、なんて素晴らしいのかしら」

 同じテーブルからあがった感嘆の声に、わたしはぼんやりと目を向けた。

 数人がかりで城を模した砂糖細工が運びこまれ、中央の大テーブルに置かれたのだ。わたしの背ほどの高さのあるその砂糖菓子は、専門の料理人によって注意深く切り分けられ、それぞれの席へと運ばれた。


「どうぞ」

 わたしに差し出された皿の上には、城門に止まった小鳥が載せられていた。

「可愛らしいこと。わたくしのは鐘塔の鐘ね、よく出来ているわ」

「ほんとうに」

 機械的に砂糖細工の菓子を口に運んでいると、クレイン様ら男性陣が席を立ち、別室へと移動するのが目に入った。


 これからは男性たちだけで蒸留酒など強い酒を飲みながら、政治的な話をするのだろう。女性陣は女性陣で交流を深めることになるのだが、


「ハーデス男爵令嬢」

 従僕の一人が近づいてきて、わたしに頭を下げた。


「ご歓談中のところ、失礼いたします。侍女頭のキーラ様がハーデス男爵令嬢をお呼びです」


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