32.変化
「エステル様、明後日の夜ですけど、王宮で各国大使館の要人をお招きして晩餐会を開くそうですわ」
王妃殿下付き侍女の一人が、そっとわたしに話しかけてきた。
今は礼拝後の朝食も終わり、キーラ様以外の侍女たちは王妃殿下のお戻りを待って控室にいる。
主がいないせいか、侍女の皆さま方も心もちリラックスした表情で窓辺の椅子に座り、おしゃべりに興じている。
「そうなんですね。わたくし達も王妃殿下に付いて出席する必要があるのでしょうか」
「今回の晩餐会は小規模なものらしいですから、侍女頭のキーラ様だけが王妃殿下付きとして出席されるのではないかしら」
「そうですわね、……あ、でも」
侍女の一人が、にこっとわたしに笑いかけた。ナタリー様やケイト様とは違う、親しみのこもった笑顔だった。
「アヴェス王国からグルィディ公爵閣下が出席されるのでしたら、エステル様にもお声がかかるのではないかしら」
隣の令嬢がきゃっと楽しげな笑い声をあげた。
「ねえねえ、こんな事をお伺いしていいのかしらと思うんですけど……、もし失礼でしたら、そうおっしゃってね」
「まあ、何よもったいぶって」
令嬢がたは互いを肘でつつき合いながらわたしを見た。
「エステル様は、そのう、グルィディ公爵閣下と婚約されているわけだから、直接お話をされたこともあるのでしょう?」
「ええ、まあ」
前世とか機織りとか婿入りとか、いろいろ衝撃的な話を聞いたなあ……。
令嬢がたは目をキラキラさせながら言った。
「公爵閣下とは、どのようなお話をされましたの?」
「アヴェス王国で流行している音楽や文学についてお話をされたりするのかしら? 公爵閣下はあまりにお美しくて、まるでお伽噺の王子様のようだから、なんていうか俗世の話題には興味をお持ちではないような気がしますけど」
「………………」
なんと言えばいいのか、わたしは答えに窮した。
婿入り希望! 反物を織りたい! と無邪気にのたまうクレイン様と、侍女の皆さま方が想像する王子様との間には、深い溝があるような……。もちろんわたしはお伽噺の王子様より現実のクレイン様のほうが好きだけど、真実を告げては令嬢がたの夢を壊してしまうかもしれない。
「クレイン様は……、えっと、皆さま方のおっしゃる通り、ちょっと浮世離れされたところがありますわ。こちらの思いもよらないお話をされたり、想像もしないような行動をされたり、たびたび驚かされますの」
わたしの返事に、令嬢がたはワッと盛り上がった。
「やっぱり天人族の王子様って、わたくし達とは違っていらっしゃるのねえ」
「神々しいくらいお美しい方ですものねえ」
うん、美しい方だっていう意見には、わたしも全面的に賛成する。
「……この間の、スティルミードへの贈り物のことですけど」
楽しげに笑いさざめいていた令嬢の一人が、ふと声をひそめて言った。
「あの時のエステル様のご意見には感銘を受けましたわ。……その場しのぎではなく、本当の意味で領民を思ってご意見されたのだとわかりましたもの」
思いもよらない賞賛の言葉に、わたしは面食らってしまった。
「いえ、そんな……。それは過分なお言葉ですわ。わたしの言葉は父の受け売りにすぎません。領主としてもいまだ見習いで、父の補佐を務めているだけですから」
「いいえ」
令嬢の一人が首を振って言った。
「エステル様は、言葉だけではなく領民のために努力し、そのために学んでいらっしゃるのだとよくわかりました。スティルミードはハーデス家の領地ではないのに、よくご存じでいらしたわ。……その、今まで申し訳なかったと、わたくし後悔しておりますの」
「わたくしも」
隣に座っていた令嬢がうなずいて言った。
「エステル様のことをよく知らないまま、噂を鵜呑みにして接してしまったことを悔いておりますわ。……許してくださる?」
わたしは驚いて令嬢がたを見回した。
王妃殿下の態度が変わったせいもあるだろうけど、これは先日のわたしの発言のせいでもあるんだろうか。
控室の隅にはナタリー様とケイト様がいて、こちらを見てヒソヒソと何かささやきあっている。侍女の皆さま全員の態度が変わったというわけではない。けれど……。
「ええ、もちろんです。……そのようにおっしゃっていただいて、嬉しいですわ」
わたしは謝罪してくれた令嬢に微笑んで言った。
王宮なんてわたしには合わない、一刻も早く家に帰りたいって思っていたけど、少し考えが変わった。
一歩踏み出してみたら、恐れていたほど状況は悪くなかった。
ほんのちょっとの勇気で、変化は生まれるのかもしれない。




