30.貧者への施し
「もう神殿へ奉納するタペストリーは出来上がったようね。次は貧者のためのシャツの縁かがりをしましょう」
王妃殿下の言葉に、ナタリー様がちらりとわたしを見やった。
「王妃殿下、わたくし達は昨日タペストリーの仕上げをいたしましたけど、エステル嬢はその間、婚約者の方と遊んでおりましたわ。昨日の分もあわせて、エステル嬢がシャツの縁かがりをなさるべきでは?」
「ええ、わたくしも、もう指が痛くて。……エステル嬢なら、昨日針に触れてもいないんですもの、わたくし達の分も引き受けていただくべきですわ」
わたしはため息を飲み込み、頭を下げた。
「……昨日は皆様にご迷惑をおかけいたしました。ナタリー様とケイト様のおっしゃる通りですわ。貧者のためのシャツは、わたくしが仕上げます」
ほほ、とナタリー様がバカにしたように笑った。
「エステル嬢は素直で可愛らしい方ね」
そう言いながら、どさっとわたしの腕にシャツの山を押し付ける。
「さ、どうぞ。……王妃殿下、謁見のお時間まで中庭を散策いたしませんこと?」
「そうですわ、殿下。エステル嬢は昨日、中庭のお花を堪能なさってますけど、わたくし達は忙しくてそんな余裕もなかったのですもの」
ううう……。わかっていたけど、お二人に嫌味に胃が痛くなる。
黙ってシャツの山を持ったまま、窓際へ引っ込もうとしたわたしに、
「お待ちなさい、エステル」
王妃殿下の声が飛んだ。
「……皆にもう一度、よく言っておかねばなりませんね。エステルが昨日、席を外したのはわたくしの命令を受けてのことです」
驚いて顔を上げると、王妃殿下は厳しい顔つきで侍女たちを見回した。
「タペストリーの仕上げも同じように、わたくしの命令です。……その命令に不満があるのなら、申し出なさい」
「………………」
侍女たちは居心地悪そうに下を向き、ナタリー様とケイト様はもごもごと口ごもっている。
「王妃殿下、しかし……」
「貧者のためのシャツは、みなで縁かがりをするように。文句のある者はここから下がり、家へ戻りなさい。わたくしに従えぬ者の場所は、王宮にはありません」
はっと息を呑む音が聞こえた。
わたしも王妃殿下の言葉に驚愕した。
家に戻れということは、王宮への出仕を止められる、すなわち王妃殿下付き侍女という身分を取り上げられるということだ。
昨日まで、王妃殿下は令嬢がたのわたしへの嫌がらせを止めるでもなく煽るでもなく、見て見ぬふりをなさっていた。
今日になっていきなりの手の平返しということは……、これは、クレイン様が何か手を回してくださったのだろうか。
わたしが昨日、屋敷に帰りたいと訴えたせいで、クレイン様はわたしが王宮で居心地の悪い思いをしているということに気づいてくださったのだろう。
申し訳ないけど、ありがたい……!
王妃殿下付き侍女という役職は、令嬢がたにとってたいへん名誉ある地位だ。高位貴族のご令嬢であっても、いやだからこそ、それを失うような羽目にはなりたくないだろう。
「……エステル嬢、わたくしの勘違いだったようですわ。シャツを戻してくださる?」
「皆で手分けして仕上げたほうが早く済みますものね」
ナタリー様とケイト様が、さっとわたしからシャツの山を取り上げた。
うーむ、さすが高位貴族。己が不利と見るや、態度を変えることにいささかのためらいもない。これくらい潔くなければ宮廷では生き残れないんだろうなあ。
改めて、わたしは宮廷に出仕しなくてよかった。
それからしばらくの間、わたしは無心にシャツの縁かがりを続けた。
貴族よりも王族のほうがこうした慈善活動に熱心というか、ほぼノルマのようにスケジュールに組み込まれているのだが、王妃殿下もこうした業務をきっちりこなされているようだ。
「王妃殿下、こちらのシャツは神殿か救貧院へ寄付されますの?」
「いいえ、これらは土地が痩せて作物が育たぬ、貧しい地方の農夫のためのものです。今年は北部の……、なんという場所だったかしら?」
「スティルミード。西部地方にある村ですわ」
王妃殿下の問いかけに、侍女頭のキーラ様がすかさず答えた。
スティルミードかあ。わがハーデス家の所領のすぐ近くにある村だ。たしかにあそこ、土地が痩せてて穀物が育ちにくいって聞いたことがあるなあ。
しかし、どうせ施しをするなら、もっと役に立つものを贈ればいいのに。
わたしは黙って手を動かしながら、ちょっと不敬な感想を抱いたのだった。




