21.ズメイ王国の大使
わたしは恐怖に目をつぶり、寝台に持ち込んでいた不死鳥の羽衣を、無我夢中で抱きしめた。すると、
「口惜しい……」
恨めしげな声が聞こえ、わたしは震えながら目を開けた。
男性は、黒っぽいローブを身にまとっていて顔はよく見えなかった。ただ、フードの影から覗く赤い瞳が、暗闇の中でもわかるほど爛々と輝いている。コワいんですけど!
「よその男からもらった貢ぎ物が、そんなに大事なのか……」
男性はまた一歩、こちらに近づこうとした。が、
「こざかしい真似を」
男性は透明な壁にぶつかったかのように、それ以上わたしに近づけなかった。
「不死鳥の羽衣か。……あの鶴の仕業だな」
忌々しそうな口調で男性はつぶやくと、真っ赤な瞳でわたしを睨んだ。
「エステル」
名を呼ばれ、わたしはごくっと生唾を飲み込んだ。
「エステル!」
「は、はい!」
強めに呼ばれ、思わず返事をすると、
「おまえは、俺の伴侶となる身だ。それを忘れるな」
そう告げると、幽霊のような男性の姿は、ふっと消えてしまった。
「えっ……」
わたしは呆然と、男性がいたはずの空間を見つめた。
え、今ここに、不審者がいた……、よね?
なんか色々コワいことを言って、いきなり消えてしまったけど。
……どうしよう、誰か呼ぶべき?
うーん。でも、今はもういなくなっちゃったし。
迷ったが、結局わたしはそのまま寝ることにした。
その日は夜遅くまで屋敷が騒がしかったので、使用人もみな疲れているだろうし、特に危害を加えられたわけでもないのに、大騒ぎして迷惑をかけたくなかったのだ。それに正直、眠かったし。
最初はあの幽霊みたいな男性の赤い目を思い出したりして怖かったが、不死鳥の羽衣を抱きしめているうち、わたしは眠りに落ちてしまった。
翌朝、目覚めた時は、すべて夢だったんじゃないかと思ったのだが、
「お嬢様、早くお支度を」
目覚めとともにメイドが部屋に入ってくると、慌てた様子でわたしに告げた。
「お客様がお見えです」
「え。こんな朝早く?」
貴族の朝は遅い。先触れもなく訪れるほど親しい仲だとしても、午前中、ましてや早朝に他家を訪問するなど礼儀に反した行為だ。
だが、
「……それが、ズメイ王国の使者と名乗る方の訪問でして……」
「ズメイ王国」
って、それは蛇族の国ではありませんか。
え、ウソ。
天人族の大使公邸を襲撃した、あの蛇族の王子様が!?
と思ったのだが、別人だった。
「わが国の王子が、大変ご迷惑をおかけいたしました」
深々と頭を下げる男性に、両親も困惑している。
「その、あなたは……」
「わたくしは、ズメイ王国の大使としてここファイラス王国に駐在しております、ザルティスと申します。わが国の王子がハーデス家のご令嬢にご迷惑をおかけしたと聞き、謝罪にまいった次第にございます」
ザルティス様は、深緑色の長い髪をした四十代くらいの温厚そうな男性だった。伴の一人も連れていなかったため、最初は本当に大使かと父が疑いを持ったようだが、ザルティス様が指にはめた紋章指輪は、間違いなくズメイ王国のものだった。
何より、その珍しい髪色は宮廷でも口の端に上っていたため、父の疑いも解けたらしい。
わたしは失礼にならぬよう、そっとザルティス様を窺い見た。
蛇族は人間を見下していることも多いと聞くけど、ザルティス様はとても腰の低い印象だ。
しかし、やはり蛇族は蛇族だった。建前も何もなく、ザルティス様はいきなり核心から話しはじめた。
「このような時間に訪問し、誠に申し訳ありません。しかし、このままではハーデス家のご令嬢が、厄介な騒動に巻き込まれかねないと懸念いたしまして」
「厄介というと、その……、そちらの王子殿下の」
「元王子です」
ザルティス様はきっぱり言い切り、わたしに顔を向けた。
髪と同じ、深緑色の瞳がじっとわたしを見つめる。威圧感はないが、居心地が悪い。
そわそわするわたしに、ザルティス様はさらりと言った。
「ハーデス男爵令嬢。……わが国の元王子、ユラン様に魅入られましたな」
「え」
固まるわたしに、ザルティス様はなおも続けて言った。
「こちらの屋敷に、ユラン様の気配を感じます。……昨晩、何か異変はございませんでしたか、ハーデス男爵令嬢?」




