閑話 鶴の王子様の恋愛事情
「明日は東の島嶼地域に行ってこようと思います」
私の言葉に、グルージャ兄上が顔をしかめた。
兄上は執務机に向かい、たまった書類にサインしていたが、手を止めて私を見た。
つい先日、婚約者に贈る反物を五着も織ったため、兄上は死にかけたばかりだが、今は顔色もよく気力みなぎる様子だった。たぶん、婚約者に反物を気に入ってもらえたのだろう。
羨ましい。
愛する人と巡りあい、その人のために死にかけるほど尽くすことができるなんて、兄上はなんという果報者なのだろう。鶴冥利に尽きるというものだ。
兄上は王太子のため、相手の家に婿入りすることができない。可哀そうだなあと子どもの頃から思っていたのだが、たとえ婿入りできずとも、愛する人と結ばれることができるのだ。そして、愛する人に贈り物を要求され、それに応えることもできた。鶴にとって、一番大事なポイントを押さえている。
それに比べて私は……。
私はうつむき、唇を噛みしめた。
私は未だ、伴侶を探し出すことすらできていない。怪我が癒えてからずっと、ずーーっと探しつづけているのに。
ああ、私も兄上のように、伴侶に贈り物を要求されたい。
たとえそれで死んだとしても、悔いはない。愛する人のために死ねるなんて、それこそ鶴の本懐というものだ。
「明後日には戻ってこられるのだろうな? 三日後には、ファイラス王国でわが国との国交百周年を祝う式典がある。おまえにはそれに参加してもらうつもりだが」
「勝手に決めないでください。ファイラス王国との外交は兄上の担当でしょう」
私の指摘に、兄上は眉間の皺を深くした。
「……おまえには、病み上がりの兄を労わろうという気はないのか」
「兄上はとっくに復調されているかと思いましたが。先日も、夜が明けるまで舞踏会で踊り続けたと」
「婚約者のために夜通し踊るのは、鶴の基本的なマナーだ! そんなことくらい、おまえも承知しているだろう!」
私は黙って兄上を見返した。
たしかに兄上の言う通り、鶴の一族は伴侶を得れば、相手のために機を織り、ダンスを踊りと、全身全霊で相手を喜ばせようとする。鶴は、好きな相手に徹底的に尽くす種族なのだ。
婚約者を得た兄上が、浮かれているのはわかるが……。
「兄上はすでに婚約も済ませ、後は婚礼を待つばかりではありませんか。そのように恵まれた身の上でありながら、弟の伴侶探しを妨害しようとするとは、兄上こそ弟を思いやる心に欠けているのではありませんか?」
兄上は、はあ、とため息をついた。
「……おまえの、その伴侶探しだが……、その、こんなことを言うのはアレだが」
「なんですか」
兄上は言いづらそうに小さな声で言った。
「もういい加減、諦めてはどうだ? おまえがしらみつぶしに大陸中を探し回って、それで見つからぬというのだから、相手はおそらく、妖精か何かに生まれ変わっているのだろうよ」
「ならば精霊界を探します」
「無茶言うな!」
兄上はぎょっとしたような表情になった。
「いくらおまえの力が強いといっても、精霊界にわれらの力は通じぬ。探すといっても、何をどうするつもりなのだ」
「……たとえわが身がどうなろうと、諦めることなどできませぬ。相手に拒絶されたのなら、潔く身を引きましょう。見苦しく相手にすがるような真似はいたしませぬ。……が、私はまだ相手を見つけてもいないのです。それなのに、諦めろと? もし兄上が私と同じ立場なら、いかがなさいますか。婚約者どのと会えぬとわかれば、あっさり諦めて心変わりなさいますか?」
「馬鹿を申すな!」
兄上は声を荒げ、それからふう、とため息をついた。
「……おまえの言う通りだ。われらは、会えぬからとて、心変わりなどできぬ。わかってはいるのだが……」
「ええ、兄上のお気持ちは承知しております。私を慮ってくださったのでしょう。そのお心はありがたいと思っております」
私は兄上を見た。兄上も私を見た。
われらは外見も性格もよく似ている。鶴の一族は、男女問わずみな似たような見た目、性格をしているのだが、その中にあっても、私と兄上は双子と見間違われるほど似通っている。
だから、兄上が何を考えているのか、よくわかった。
「自棄になったりはいたしません。ご心配なく、兄上」
「それならばよいのだが……」
私は兄上の目を見つめ、はっきりと言った。
「私は必ず、私の伴侶を見つけだしてみせます。それまで、決して死んだりはいたしませぬ」
「……そうだな。とにかく、三日後のファイラス王国の式典には、出席してもらわんと」
結局、面倒な外交を押しつけられるのか。
ため息をついた私に、兄上は言った
「そう嫌がらず、行くだけ行ってこい。ファイラス王国に、おまえの伴侶がいるかもしれんではないか」
兄上の言葉に、私は肩をすくめた。
それはあり得ない。上空を飛んで、ファイラス王国を隅から隅まで探したが、どこにもあの魂は見つからなかった。少しでも似た輝きがあれば、飛んでいって確かめたが、どれも無駄骨に終わったのだから。
ああ、私は愛する人の名前すら知らぬ。知っているのは、魂の色と形だけ。あの美しい魂の輝きだけだ。
夢に見るほど恋焦がれた、あの美しい魂。
私を助けてくれたあの優しい人は、いったいどこにいるのだろうか。




