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男爵令嬢エステルは鶴の王子に溺愛される  作者: 倉本縞


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閑話:百年目の初恋(後編)


 雪山で死を覚悟し、最後と思って一声鳴いた、その時だった。


「あれ、ここ禁猟区なのに」

 のんびりとした声とともに、さくさくと雪を踏む音が聞こえた。


「鶴? この山に鶴なんかいたんだ。……可哀そうに」

 そっと体を撫でられる感触がして、私はぱちりと目を開けた。


 なんだ? 結界は破られてないのに、どうして……。

「あ、生きてたんだ、よかった」

 声のする方向に首をむけた私は、目を開けたまま硬直した。


 えっ……、なにこの魂。キラキラしてる。輝いてる。まるで春の陽だまりのような……。えっ? えっ? 私、もう死んだ? ここ天国? 天国って、こんな美しい魂がいるんだ? だから天国って言うんだ? えっ……、何がどうしてあああ足触られたあああ良い匂いがするぅうううもうダメ心臓爆発するぅううう!


「こら、暴れないで。いま罠を外してあげるからね、……はい、できた」

 やさしく声をかけられ、そっと体を撫でられる。

 ああああえええええ! こっ……この人、私の伴侶! 間違いない! 絶対この人、私の伴侶! あああありがとう伴侶! ありがとう世界! ありがとう闇商人! 何もかもに感謝! 生きててよかった! いま死にかけてるけど!


 喜びのあまり、私はバサバサと翼をはためかせた。

「怪我してるんだから、暴れちゃダメだよ」

 伴侶にたしなめられ、私ははっと我に返った。

 いけない、伴侶の前ではしたなく翼をはためかせるなんて! まだプロポーズもしていないのに! ていうか、名前も聞いていない!


『あっ、あの、あの、名前……』

 私が伴侶に話しかけると、伴侶は不思議そうに首をかしげた。

「ん? 誰もいないのに声が聞こえる……?」

 きょろきょろと周囲を見回す伴侶の姿に、私は胸がいっぱいになった。


 私の伴侶は、獣人のあまりいない場所で生まれ育ったのだろうか。

 鶴の一族を目にしたことがないのかもしれない。

 伴侶が目にした初めての獣人が私だとしたら……、嬉しい! あなたの初めてになれて光栄です! 恩返しさせてください!


 はやる気持ちを抑え、私は伴侶に語りかけた。

『……私は天人族だ。罠にかかり、死にかけていたのだが、そなたのおかげで助かった。礼を言う』

「え!?」

 伴侶は驚いたように息を呑み、私を見た。


 そんなに見つめられたら、照れてしまう。

 もじもじする私に、

「びっくりした。……あなたは獣人なんだね。鶴の獣人なんて初めて見たから、気づかなかった。ひどい目に遭ったね」

『そ、そうか。……あっ、言っておくが私は普段、ぜったい罠になどかからないから! 今回は、その、ちょっと考え事をして歩いていたせいで!』

 私は慌てて言い訳した。ようやく出会えた伴侶に、しょっちゅう罠にかかる間抜けな鶴などと思われたら憤死する。


 伴侶は首をかしげ、心配そうな表情で私を見つめた。どうしよう、そんな目で見つめられたら、求愛のダンスを踊りたくなってしまう! ああ、足さえ怪我してなければ!

「怪我は大丈夫? こんな山の中だから医者もいないけど……」

『なんの問題もない! こんな怪我、かすり傷だ!』

 実際、ほとんど痛みは消えていた。伴侶に出会えた嬉しさのせいだろうか。

 まだ人型はとれなかったが、この分なら、すぐに怪我も治るだろう。伴侶に出会えた鶴はありとあらゆる難病が治るというのは、本当だったのだな。


「そっか。よかった、じゃあ、わたしはこれで」

 えっ!?

 伴侶が、伴侶が去ってしまう!


『な、名前! 恩返しをしたいので、そなたの名前を!』

 慌てて叫んだが、

「恩返しなんて、そんな大したことしてないから気にしないで! それじゃ!」

 爽やかに言って、私の伴侶は雪山を下りていってしまった。


 えっ、えっ、そんな。

 待って待って、私も一緒に……と翼を広げた瞬間、私はショックで固まった。


 なんだこの羽根は! 艶もなくボサボサではないか! え、私はこんなひどい羽根を伴侶に見せてしまったのか!? うそ、どうしよう!?


 私の伴侶は、人間だった。人間には魂を見る力はない。私の魂は氷のような薄い青色で、美しいとよく褒められるが、私の伴侶にはわからなかっただろう。

 それに、たしか人間は、魂より体や顔を重視する変わった一族だったはずだ。それなのに今の私の見かけは、生まれてから一番最低だと自信を持って言える。あああ!


 ……伴侶が私を置いていってしまったのも当然だ。

 こんな醜い鶴に「恩返しをさせてほしい」なんてプロポーズされても困るだけだろう。私が醜い人間につきまとわれ、閉口したのと同じように。


 えっ……、私、伴侶に醜いって思われたのか? ボサボサの羽根でみっともない鶴ーって、そんな風に思われたのか!? そんな!


 私は恥ずかしさと悲しみに打ちひしがれ、両翼を丸めて雪の上を転がった。

 ああ、本当は今すぐ伴侶の後を追いかけたいけれどできない。我慢だ。羽根をふさふさのツヤツヤに戻すまで、ついでに足の怪我を治すまで、伴侶を追いかけるのはあきらめよう……。


 なに、あれほど美しい魂なら、空の上からでもすぐに見つけることができる。あの色や輝きを忘れるものか。

ああ、愛しい私の伴侶。怪我をした醜い鶴にも手を差し伸べる、やさしい心を持つ私の伴侶……。


 いったんアヴェス王国へ戻るか、と羽根を広げたところで、ふと私は疑問に思った。

 そういえば私の伴侶は、どうして結界の中に入ることができたのだろう? 気づいた時には魔術の檻も壊れていたし……。


 まあいい、伴侶に出会えた奇跡に比べれば、他はすべて些事にすぎぬ。

 伴侶、伴侶、私の伴侶、と歌いながら私は雪山を飛び立ち、アヴェス王国へ向けて羽ばたいた。


 次に会ったら、正式にプロポーズしよう。そなたのために反物を織らせてほしいと、そう告げよう。いや、出会って二度目ですぐ反物を織らせてほしいなんて言ったら、誰にでもそんなことを言う安い鶴と思われてしまうかもしれない。

 ここはひとつ「そなたがどうしても言うなら、織ってやらぬこともない」とか言ってみようか。鶴の織る反物は有名だし、きっと伴侶だって織ってほしいと言ってくれる。ああ、その時が待ちきれない!


 愛しい伴侶。きっと、すぐにまた会える。


そう思ったのだが。

 ……それから二十年、血眼になって探しつづけたのに、私はあの美しい魂を見つけることができなかったのだった……。



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