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90 忍び寄る危機

 私はベレナ。


 栄えある魔王軍所属の軍人。

 しかも四天王のお一人であらせられるアスタレス様の副官を務める。


 つまりはエリート。


 私ほどの若さで才能を認められて、四天王補佐にまで抜擢される者はそういない。

 私自身、剣や魔法、アスタレス様をお助けして兵を動かす戦術眼にはそれ相応の自信を持っていた。


 いずれはアスタレス様の下を巣立って独立し、みずから一軍を率いて人族軍と戦う将軍になるであろうと。

 そんな日を夢見る若き軍人。それが私ベレナだった。


 そこに唐突な転機が訪れる。


 きっかけは、アスタレス様に発せられたある奇妙な命令。


『人魚族の姫を捕えよ』と。


 今にして思えば、こんな珍妙な命令キナ臭いと感じなかったのは一生の不覚。

 そのせいでアスタレス様を窮地に追い込んでしまった。

 悔やんでも悔やみきれないことだけど、それが逆にあんな結果に繋がるなんて。


 アスタレス様、魔王ゼダン様とご結婚。


 どうしてそうなった?


 展開があまりに急すぎて、私の頭脳ではとても思考が追い付けない。

 その隣で、私と同格である副官バティが「そういうこともありますよ」と思考を超えて受け入れているのがかなりムカついた。


 それからしばらく経って、ご夫婦となられたアスタレス様と魔王陛下が魔国へ戻られることになった。


 しかし私はご同行できなかった。


 すべての転機のきっかけとなった場所、聖者キダン様が営む農場を繋ぐための転移ポイント管理を任されたからだ。

 クッ。

 出世に有利と思って磨いた転移魔法が、こんな形で仇になるとは……!

 いいえ。

 たしかに聖者キダン様の存在は、魔族の命運を左右するほど重大。

 あの御方とのパイプをしっかり保っておくことは、これからの魔族の戦略に必須事項となるでしょう。


 その物理的側面を任せて頂けるとなれば、この副官ベレナ光栄の極み。

 粉骨砕身の覚悟で魔国とこの農場を繋ぐルートの管理人、務めさせていただきます!!


 ……てな感じで始まってしまった、私ベレナの農場生活。


 その主な仕事は、魔王様だけがコードを知る転移ポイントの管理。


 ここで改めて説明しておくけど、転移ポイントは転移魔法とはまったく別の魔法で作成される、一種の魔力座標だ。

 一七六桁からなる複雑な座標コードを詠唱に組み込むことで、対応した転移ポイントへ飛ぶことができる。


 転移魔法で訪れることができるのは、転移ポイントのある場所のみなので重要。


 しかしその転移ポイントには注意点もあって……。

 事故や風化などで環境が大きく変わってしまうと転移ポイントが消失してしまうケースもあるため、確実に保っておきたいなら管理人は必須となる。


 その役目を仰せつかったのが私。


 魔族と聖者様を繋ぐ重要な仕事ではあるが、その内容といえば一日一度の転移ポイントのチェック。

 ちゃんと機能しているかを確認し、掃除して塵でも払えば即完了。


 ぶっちゃけ鼻歌一曲歌ってる間にすべて終わる。


 それだけの簡単なお仕事です。

 終われば一日何もすることがないので当然ながら聖者様の農場のお仕事を手伝い。

 畑仕事、狩り、海での採取、部屋の掃除、何でもやりますよ。


 同格のバティが服作りというヤツだけの仕事を早々に見つけてしまったので私一人、身の置き所に困っている。

 それでも、ここに移住し始めの頃はまだよかった。

 当時はまだまだ人手が少なく、どの部署も慢性的に助っ人を必要としていたため、私はそれらを飛び回って加勢する遊撃手的な役割として重宝された。


 しかし、この人手不足をいつまでも放置しておくほど聖者様もバカではなく、すぐさま人魚族、さらにモンスターの人員を補充して体制を強化した。


 その結果。

 いよいよ私の仕事がなくなってきた。


 畑仕事はゴブリンチームが拡充されたことで充足。

 狩りや工事もオークチームが拡充されたことで充足。

 醸造蔵での仕事も、新しい人魚族の人員が補充されたことで益々作業が専門化し、門外漢の私が触れていい仕事じゃなくなってしまった。


 ここに来て私、焦り始める。


 私、この農場にいる意味なくない?

 出来る作業がなくない?


 なんでも一通りこなせる万能選手の地位に胡坐をかいていたら、いつの間にか器用貧乏に転落していた!

 このままじゃ私、この農場で何の役割も持たない無職に陥ってしまう!


 大ピンチ!

 無職は私の、魔王軍にて四天王副官まで登りつめたエリート意識が許さない!!

 アイデンティティの危機だわ!!


 危機感が極めつけに募ったのは、先日のヴィール様改造ダンジョンに挑戦した時。


 あの時私は、魔族代表として攻略組に加わっていたのに何の活躍もできなかった。

 後半まるきり存在が空気だった。

 嘘。

 前半のかなり早い段階で空気だった!!

 聖者様もほとんど私の名を呼ばなかったし、他の人たちも私の存在に気づいてなかった!!


 かなり深刻にヤバい。

 私も魔王軍に務めた軍人だっただけに、モンスターとの戦闘にはそれなりに自信があったのに、そこで空気ですよ!?


 このままじゃ私、完全にただの無職野郎と転がり落ちてしまう。

 それだけはヤバい!

 早急に何とかしなくては!!


              *    *    *


「それで私に相談しに来たと?」


 私と同様アスタレス様の副官を務めていたバティは、今や農場の被服担当としてなくてはならない地位にいる。

 聖者様から専用の被服室を与えられて、そこを自由に使っていい御許しを得ている。

 無職に転落しかけている私と雲泥の差だ。

 スタート地点は同じだったはずなのに、何処でこんなに明暗が分かれた!?


「……私さあ、急に人が増えたせいで作業着の追加発注、正気を疑う量でクソ忙しいのよね」


 だったら! 私がそのお手伝いを!!

 アスタレス様の下で一緒に頑張ってきた私たちじゃないの!

 ここでコンビ再結成!!


「嫌よ。アンタ手先不器用じゃん。無茶苦茶」


 それはそうなんだけど……。

 そんなにハッキリ言わなくても……!!


「縫い目が荒くて私が縫い直すことになったら二度手間じゃない。アンタがこの仕事に向かないってことは、長年組んできたからこそよくわかるのよ」


 この相棒。

 殺人的な仕事量でささくれ立っているのか、言葉尻に容赦がまったくない。


 だったら何をやればいいのよ!

 無職は嫌!

 無職だけは嫌!!

 魔王軍でエリート街道を突き進んできた私のプライドが許さないの!!


「めんどくさいなあエリートは……!」


 戦友を見捨てる表情をしないでバティ!

 私の窮状をどうか救って!!


「じゃあいっそ、魔王様やアスタレス様に頼んで任を解いてもらったら? それで魔王軍に復帰するの」


 ええッ!?

 でも転移ポイントの管理は!?


「どうせ掃除と異常チェックぐらいなら私がやっとくわよ。本格的に壊れでもしたら先生かヴィール様に相談すればいいんだし」


 やめてえええええええええッッ!?

 あの究極存在二人になら何であろうと丸投げできるじゃない!!

 私の最後の存在意義まで奪わないで!!


 第一、敬愛するアスタレス様から任された仕事を投げ出すなんて絶対できないわ!


「じゃあ、いっそ聖者様の夜のお相手でも務めたら? アンタ一応顔はいいし、おっぱい小さいけど」


 ななななななななな、何言ってるのよ!?

 実力に頼らず色仕掛けでいい地位に座ろうなんて、私のプライドが許さないわ!!


「………………………………めんどくさいなあ」


 今めんどくさいって言った!?

 小声でぼそっとだけどたしかにめんどくさいって言ったよね!?


「ああ、そうだ。聖者様がまたなんか始めようとしているじゃない?」


 話を逸らすな!

 長年肩を組み合って頑張ってきた相棒相手にめんどくさいって……!


 ……え?

 新しいこと?


「ずっと長いこと作り続けていた大きな窯が最近完成したじゃない。聖者様、あれ使って新しいことするみたいよ」


 新しいことって?


「そこまでは知らないわよ。私ごとき凡人に聖者様の脳内が窺い知れるわけがないでしょう」


 たしかに。


「でも、早めに関わっておけば新しい仕事を回してくださるんじゃないの? 今からでも聖者様に聞きに行ってみれば?」


 それは耳寄りな情報だわ!

 ありがとうバティ! さすが我が心の友!

 新たな仕事を求めていざ聖者様の下に!!


「そもそも最初から聖者様に相談したら、何か仕事を回してくれると思うんだけどなあ」


 駆けていく私には、もはや相棒の声は届いていなかった。

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