118 沈黙の漁船
引き続きオークのリーダー、オークボです。
「魔女……?」
「魔女だって……?」
「魔女って、あの……?」
釣り竿で釣り上げてしまった人魚さんの言葉に、私たちオークは困惑していた。
今眼前にいらっしゃる人魚さんは、それこそ下半身は魚でオーソドックス。ただし鱗の色が真っ黒。
上半身はそれこそ美しい女性。これは農場で面識のある人魚たち……、プラティ様やパッファ女史、ランプアイ女史やガラ・ルファ女史に引けを取らないだろう。
ただし今目の前にいる人魚の方が目が切れ長で、キツめの印象を受ける。
全体的に紫っぽい色の髪は、背中が隠れるほどに長くてボリューム感があった。
「あ? おぬしら、オークか?」
魔女を名乗ったその人魚は、私たちの姿を見てすぐさま気づいた。
まあ当たり前か。
何と言っても我々モンスターだし。
「モンスターが乗っているということは魔族の船か? しかし魔族が何故こんなところに……!?」
本当この勘違いよくされるな。
しかし我々の主は魔族ではない。聖者キダン様だ!
「まあいい、この大海原のど真ん中でわらわを釣り上げてしまうとは不幸なことよ。サメぐらいにしておけば手足を噛み千切られる程度の災難で済んでいたのに……!」
釣り上げてしまったことには心からお詫び申し上げます。怒りを治めてはくれませんか?
「なんと? オークがここまで人がましく喋るとは面妖なことよ。だが安心せよ。わらわはもう怒ってなどおらん」
そうなんですか?
あー、よかった。
人魚と険悪になったら、農場に住むプラティ様たちに迷惑がかかってしまうからな。
「怒りはせぬが、ちょうどいい機会じゃ。おぬしらまとめて、わらわの新魔法薬の実験台となってもらうぞ?」
ええー?
「ちょうど陸の生き物相手に、どういった殺戮ができるのか実例が欲しかったところ。疑似生命たるモンスターなれば殺しても胸は痛まぬ」
そう言って人魚は、懐から色付き液体の入った試験管を取り出すと、蓋を開けて中身を床にこぼした。
ああッ!? 甲板を汚すなッ!?
「死ぬ前に、何故わらわが『アビスの魔女』と呼ばれているか物語ってやろう。わらわは、マナを生命に変える研究を行っておる」
甲板にこぼれた液体がゴボゴボと泡立ち、その泡がやがて半固体に実体感を帯びてくる。
「そう、つまりおぬしらのようなモンスターを人工的に作り出す研究じゃ。それは異端とされ、人魚国はわらわを捕えようとした。それゆえこうして逃げ回っておる」
泡はどんどん大きくなり、ちょうどゴブ吉たちゴブリン程度の上背で止まった。
だから私たちオークから見れば断然小柄だ。
しかしそれでも、私を含めて船員全員が身震いせざるを得なかった。
泡がより形を成して出来上がったのは、蛸と人族を組み合わせたような、全身ヌメヌメの名状しがたい生き物だったのだから。
それでも口と思しき部分には鋭い牙があって、噛まれたら痛そうだ。
そんな怪物が、ちなみに三十体はいる。
いきなり乗員が増えて船沈まないか?
「さあ行け我が子ディープ・ワンよ! オークごとき倒せぬようでは貴様らに価値はないぞ!!」
生み出された怪物たちはよくできていて、人魚の命令を忠実に聞いて襲い掛かってきた。
私たちへ向けて。
血の惨劇が戦場で繰り広げられる……、とは誰も思っていなかった。
「はああッ!!」「ふんッ!」「おおおおッ!!」
ウチの若いのが張り切ってくれた。
船員十人の全員が張り切るまでもなかった。
三人が、聖者様より賜ったマナメタルの斧を振るうだけで、怪物たちはすべて船外へ吹き飛ばされた。
遠くでボチャンボチャンと水柱が上がった。
「いいぞお前ら。あまり近くに落とすと魚がビックリして逃げちまうからな」
私と同じ班長格のオークマが、若い者らをねぎらう。
私も彼の意見に同感だ。
「バカな……! 開発途中と言えども、今のは過去最高性能を誇る最新モデルだというのに……! それがただのオークどもに……!」
「ただのオークじゃない」
驚愕する人魚に、若いの一人が畳みかけた。
何をやっているんだ、あんな鼻持ちならない態度で?
「オレたちはウォリアーオーク、聖者様に進化させていただいたオークの変異種さ」
「それだけじゃねえ。この船には二人、ウォリアーオークを超える二段変異種レガトゥスオークが乗り込んでいるんだぜ」
自慢げに言うことじゃないだろ、まったくもう。
あの最強の聖者様すら謙虚を知っているというのに、ヤツらは聖者様から学べんのか。
「おっと」
さらに若いのの一人が、海へ飛び込んで逃げようとする人魚の行く手を阻んだ。
何やってるんだ。逃げたいなら逃がしてやればいいのに。
「すんなり逃げられると思うのか? 攻撃しておいて?」
「そうだ。一言の詫びぐらいないと、こちらの気が済まんぞ」
くだらないことに拘って。
そうして下手に追い詰めると、とんでもないしっぺ返しを食らうことが……。
「くッ!?」
ホラやっぱり!?
魔女が、試験管よりずっと大きなフラスコを取り出した! 中身の液体の色も前より格段におどろおどろしい。
「こうなったらこれを使うしかないようだな! 安定性に不安はあるが……! この船ごと沈めーッ!!」
甲板に叩きつけられるフラスコ。
パリンと割れて、ぶちまけられた魔法薬から生み出されたバケモノは……。
先のものの二十倍は大きかった。
「うわあああああッッ!?」
「デカい! 重すぎる!! 船沈む!?」
「マストを守れ!! あんなデカブツが暴れただけでへし折られかねんぞ!!」
ドラゴン化したヴィール様ほどではないが、それでも遥か見上げるほど大きい。
あんなデカブツが船に乗っているだけで転覆の危機だ。
「ははははははは! 慌てろ慌てろオークども!! この『アビスの魔女』に敵対した軽率さを恨め!!」
最初に敵対行動したのはあっちのような……。
「さあ、フォビドゥン・ディープ・ワンよ! オークどもを蹴散らせ! 一体残らず海の藻屑としてやるのだ!!」
魔女は勝ち誇ったように命令するが……、しかし巨大バケモノからの反応はなかった。
「え?」
それどころかタコのような触手で掴み上げた。
主であるはずの人魚を。
「わーッ!? クソ! やっぱり制御を受け付けぬ! 力が強いだけの失敗作か!?」
そんな呑気に言ってる場合か。
巨大バケモノは大口を開けて、そこへ人魚を運ぶ。
丸呑み以外に予想できない。
「いやああああああ!! 助けてえええ!!」
バックンと飲み込まれる。
その寸前。
巨大バケモノは百の肉片となってバラバラになった。
この私の振るう斧の乱撃によって。
……オークマ!
「よしきた!」
さらに同格オークマが振るう斧の刃風で、細かく斬り分けられた肉片は吹き飛ばされて船外へ。
「きゃああああああああああッッ!?」
人魚の小柄な体も一緒に飛ばされるところだったが、その時には私の体も跳躍していた。
ふわりと抱きかかえて、甲板に着地。
「おぬし……!」
たとえ海面でも、あの勢いで叩きつけられたら痛いだろうからな。
人魚をお姫様抱っこで抱える私へ向けて、オークたちの怒涛の歓声が上がった。
「おぬし、一体何者じゃ……!? さっき言った二段進化したオークというのが……!?」
いや。
ただのオークさ。






