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幽霊伯爵の婚約譚  作者: みづき
二章 望むもの
17/18

<8>

 リゼルは扉を開け、音を立てないよう部屋に滑り込んだ。

 重湯をテーブルに置いてベッドに近づくと、ヴェルミオンは少し呼吸が荒いものの薬が効いてきたのか比較的落ち着いていた。

 額に触れると熱も下がりつつあり、リゼルはほっと息を吐く。

 その時、ヴェルミオンが小さく身じろいだ。

「ん……。リゼル……?」

 睫毛が震え、潤んだ紫の瞳が現れる。

 かすれた声に返事をすると、彷徨っていた視線がリゼルを捉えた。

「ヴェルミオン様、大丈夫ですか?」

「……うん。だいぶ、平気になった」

「水は飲まれますか? ラシェルが重湯も作ってくれたんです」

 小さく頷いたのを見て、リゼルはグラスに水を注ぐ。のろのろと自分で起き上がったヴェルミオンにグラスを手渡し、テーブルから重湯を運んだ。

 リゼルが器を差し出すとヴェルミオンは素直に受け取り、そっと口をつける。

 少し冷めてしまっていたけれど、熱で弱っているヴェルミオンにとっては食べやすいらしく、スプーンを握る手は思いのほか速く動いていた。

 口に含んでほのかに頬を緩めるヴェルミオンを見つめ、リゼルはわずかな逡巡のあと呟くように言葉を発した。

「体調が崩れた原因は、なんですか」

 思いのほか硬くなった声にはっとする。

 けれど今さら取り繕うのも嫌で、リゼルは動きを止めたヴェルミオンを見上げた。

「思い当たることはありますか」

「……ラシェルが言った?」

「答えてください」

 きゅっと唇を引き結ぶリゼルとは対照的に、ヴェルミオンはどこかおっとりとした表情で小首を傾げる。

「遺品触れるといつもこうなんだ。体調を崩してしまう。症状はその時々によるけど、ひどいときは寝込んでしまうくらい」

 頬は赤く、熱に浮かされた瞳は潤んでいた。そんなヴェルミオンは、重大な話をこともなさげにするりと吐き出す。

 それがやけに気に障った。

「そういう大事なことは、きちんとおっしゃってください」

「ラシェルが言ったんじゃないの?」

「言いました。聞きました。でも、私はヴェルミオン様から聞きたかったんです」

 不思議そうに首を傾けるヴェルミオンにリゼルは拳を握りしめる。

 遺品に固執する理由を話したあの日、どうして言ってくれなかったのだろう。

 すべてを語れとは言わない。けれど、その身に関する大事なことをなぜ話してはくれなかったのか。

 他でもない、ヴェルミオン自身のことなのに。

「そんな大事なこと、黙っていないでください」

「大事?」

「急に倒れられたらびっくりします。何かあったんじゃないかって……それに、仮にも一緒に暮らしているのに、一番大事なことを隠さないで」

 ヴェルミオンの微熱だと思っていた症状が急激に変化した時、リゼルは血の気が引いた。

 彼の身に何かあったのではないか。もしかすれば、大ごとになる病気なのではと。

 人の命は一瞬である。

 気にも留めない些細なことであっても、実は重大な場合だってあるのだ。

 そして、病は人の命を一瞬で刈り取ってしまう。

「こんな状態になるまで、無理しないでください」

「……うん。そうだね、ごめん」

「どうしてこんな無茶をするんですか」

 リゼルはかすかに声を震わせてヴェルミオンに訴えた。

 自分を蔑ろにして得られるものなどなにもない。

 加えてヴェルミオンの苦痛と引き換えに得られるものに、いったい何の意味があるのだろう。

「リゼルは、眠れないことってある?」

 ヴェルミオンは先ほどよりもはっきりとした目を細めた。

 その問いにリゼルは怪訝な顔で曖昧に頷く。

「……あります、けど」

「僕の場合、それがずっとだ。眠りたくても眠れない」

 ヴェルミオンは少しはだけた首元に手を伸ばし、鮮やかな色合いをした赤い石の首飾りを掴む。

「もう長い間、まともな状態で眠れたことがない。唯一安らげるのは〝視て〟いる時か、こうして気を失うように眠っている間だけ」

 紫の双眸を伏せてそう話すヴェルミオンにリゼルは息を詰めた。

「眠れないって、どうして」

 理由を尋ねれば、ヴェルミオンが小さく微笑んで首を振る。

 これ以上は訊くなという――否、言いたくないと告げていた。

 リゼルは唇を震わせ、追求したくなる気持ちを寸でのところで堪える。

「……口出しをするのと、関心がないのは違います。せめて、心配くらいはさせてください」

 まっすぐに見据えれば、ごめんねと消え入るような囁きが聞こえた。

 他人の過去に思いを馳せて、自らの体を追い込んで。

 破滅しか残されていない道ではなく、ヴェルミオンが本当に心休まる場所はどこにあるのだろう。

 けれど今のリゼルでは、その場所にはなれないとわかっていた。

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